今昔このから物語集 巻第二 八〇〇二

今は昔と説話、語りはじむるは、はるか昔のこと。
今からすればそんなに昔のことでもないといひて、語り始める。
話の種は尽きざるが、三十一巻千五十九話には遠く及ばざる。
一話一話、語るに尽きざるものを。
からすれば、そんなにのことじゃぁ無い。
何せ
この書付け、蔵にも入っておらぬものじゃから
ゆるりと写して、のちに伝えんとす。

 

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今昔このから物語集 巻第一 八〇〇一

巻 第二 誤りを正すことの難しき
(こと)第十六

 でも耳にするの偉人聖人のことのはに、誤りを正すことに遅きことの無きことをいふものあ
り。
この誤りを正すことは易きことだと思ひしが、なかなか為されぬわけがわからない。

ゆんで下よりに濃溝の滝の赤地の白文字。あづまやのかみ手に滝の
無きこと。いまは農溝とつづれるや。

 上総のくに、きみつの郡に川あれば、その一つに笹川という。この笹川、笹の里を貫きて流るる
に右に左に向きを代えたることはげしければ、穴を穿ちて水の近道を造りて川の流れをかへん。養
老の川などにてもここかしこにあり、これを川廻しといふ。笹の里、西水、東水のあたりにも穴を
穿ちて川の水を流せる川廻しの横穴あり。水のながるる有様は頗る奇観なりせば、清水渓流広場と
名付けて歩き廻る径をくるまみちとは別にこさえられたる。これはくるまみちより入りて、休み
所、厠などしつられたり。中の径は遊び歩きの径なれば、小尾根の上なり。右下に北上する笹川の
水流あり。崖の険しければ、これをながむるにあたわず、水音を聞くのみ。左に古き河川を埋めた
緑地あると聞くが、やはり崖険し。進めば中ほどに東屋あり。この東屋の西方の河川の方は水音激
しこと、滝のあるとぞ。
 聞けばこれを農溝の滝と称す。落差こそ低けれども、一枚板の如き岩の川幅に拡がりて、水流を
落とす見事なものなり。遊び径よりは眺めがたく、更に下りてその脇によりて様子を伺うのみな
り。水車小屋への水をこのあたりからとりて、溝を穿ちて流しむる普請をせしところによりて、農
の水路の滝と呼び、改めて農溝の滝といひぬ。地理院の地形図にもその位置を正しく記せるものな
り。
 上流、水流の東より北へ向きなおる所に左岸に岩壁あれば、ここに水流あり。背稲沢の水の落ち
るものなればセイナザの滝と名づく。更に上流とは東を向く。川廻しの横穴を下流からながむるも
のなり。
 この横穴奇観の程、おもしろし。河床は小岩の段を見せてその形を愛でて、亀岩といふ。他に神
像仏尊の名を被せて奇岩に名づく。小尾根径の東側はぬかりの地に木道を張って古い河道を歩く。
 さてこの遊び径の入口近くに絵解きの地図あり、農溝の滝と言ひて、その横穴の位置をうたう。
まことの滝には一言も触れざる。
 あるとき、この洞の絵姿を写して、エスエヌエスなるものにて広める人あり。この洞上部は円く
弧を描き、斜めに指し入る光の影を水面に映せば、真横になりしカルタの印に頗る似せり。また切
れ間の入りしさくらはなの弁の一枚の横にせし姿なり。この姿のよきこと、呟きの伝えは上総のく
にとどまらず、大川を三つ五つも越えた先々、日のもとのくにのどこかしこからといわず人ぞ集い
ぬ。大車を幾台も仕立てて、人ぞあふれん。
 さてこの洞を知らしめるあない書きを見れば、農溝の滝としてこの洞の姿を描き写し、僅かに下
流の滝など知らぬか如き。きみつの郡を束ねる番所のなせるものなり。しかし濃溝の滝とはこの洞
ではなく、洞の西方下流のものなり。その名あらたむるに「やまのて線やまて線」の故事に比ぶる
までもなく、怪しきと気付きし時がそのあらたむとき。
 遊び径のここかしこにこの洞を「亀岩の洞窟」とする印の札が立てられたる姿をば今は見らるる
ものなり。されどきみつの郡の番所の絵看板はこの洞を「濃溝の滝」とする。さらに、あないがき
の刷り物はこの洞の写し絵を載せて「濃溝の滝・亀岩の洞窟」とその名を重ね書きせんものなり。
 何も古いあない書きの絵解き文言が誤っていたとして「わび」をいれずともよし、ただ単に正し
き名をぞ、記せばよきものを。いずれや干支の巡りてや、いかんせむるや。また濃溝の文字は農溝
とあらためられたるがよきものなり。

 写し絵の名の文言ぞ、のちのちの移り変わりを待たんと思いてここに綴りて、のちに伝えんとす。 
end 

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