関東山歩き案内index
今からおいはらわんとしてもおそすぎた。すずのねあればさけるというは昔のこと、このえをも
とめてあらわるるくまのなんとおおきこと、やまからひとざとまちなか、あらわれんところなし。
くろきまのこ、りゃくしてこれをくまという。ひをおうからにひくま、ひぐまなり。つきをさげ
たるつきのくま。すなわち、つきのわぐま。ひくまえぞちちのやまやまにすめり。つきのわくま、
おおうのやまからみなみにすめり。やまにすめるはきぎのはかわをくらい、あきはどんぐり、くぬ
ぎ、くるみのみをえさとして、ゆきふかきふゆにそなえる。
きぎははなさけるとも、みをむすぶにはかなりのちからをもちいん。ためにひとせふたせときを
へだててみをむすぶもの、やまごとのきこうのよしあし、みずのかた。かぜのつよきよわき。こと
なる。あるときはゆたかにみのり、またあまたるときはすべからず、みをむすぶことなし。きのと
のみのとし。いずちのやま、のにてもきぎのみのりうすく、えさにとおおきくまおおし。やまをお
り、のをわけてまちなかにしょくをもとむ。くりかきひとのすみかになるみをもとむる。
おううのくにあいづのくにかんとうのくにしなののくに。いいわけるにおよばず、いずれもやま
にてつながるもの、くまにはくにざかいなどしらず。
やまにはいるひとはすずをならし、ひとのおわしめるをくまにしらさんするも、くまなどこれを
きにかけることなし。くますぷれえなるものさえもちあるく。からしのつよきしげきをふんむして
くまをしりぞけんもの。てつづつ、らいふるなどあつかいかたきもの、もてざるひとにはわずかに
まもりのすべなり。これがいちばににうりきれときかば、あやしきにせものあらわれん。からしの
くすりすくなく、ふんむのひきがねにあんぜんそうちなく。ふんむすればそのきょりみじかく。に
せものとしらず、もとめたるもの、くまにあわばあやしきことなかりけるぞ。これこそくろきまの
このてしたのしわざか。にしのうみのはずれのさきにすむひと、きんすのみにきをはらい、にせも
のをうりつける。こうもうろのなげきしくにのひとのわざなり、まことあしきあくにんのわざ。
これをほうじたるてれびたるものそのつたえいちにちにかぎらるる。にせものとみやぶるにつた
なきこくごのつづり、いつわりのさんちひょうきなど。ひしずむるくのあくにん、はなばたつたな
し。これをつたえしてれびあれば、これをおどしてふたたびつたえることなきようにあつをかける
まさにきちのわざなり。
かんとうのやまやまおううからつらなりてくまのかずおおくいずるところなればやま、あるこう
とおもいしひとはひたちのくに、やみぞかさまつくばのおねにみなみつらなるやまやまにくまのう
わさすくなるとしる。さらにみなみ、とねのおおかわをわたりし、しもうさ、かずさ、あわ。えど
わんをへだてたるさがみのみうら。くまなどしらず。いのしし、さる、しか、きょん。りす、のう
さぎ。ひとをあやめるほどのけものはあらず。とちのたみひとのでんはたをあらすとも。くまなし
のあがたあり。
されどしもうさ、いのはなむらのぶとむらにて、くるまのりかえんとするときは、ようじんがか
んようなり。いとあやしきめぎつねあらわれ、たびびとをまどわす。くちにあまきちそうはかずか
ぎりなく、これをしめさしてさそうことはげし。いとおしきこぎつねもおおく、うまきごしゅをば
めしあがれとまねきにおうじれば、ふところさびしくなりにける、これおさいふそうなんという。
これにそなえて、まえあしのふときつけうまもあらわる。くまよりおそろしきはめぎつねつけうま
なりしか。くまにかわりてあなおそろしや。
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今からなおそうとも昔のごとくに木々はなかなか生え揃わぬもの。雨ぞ降りたれば麓の民ぞ山津
波に襲われんものかと恐れおののかん。このおきて破りの普請に一時の停止を命ずるからにはいか
なる始末になるものや。
ひらなりの帝退きて、新帝統べるさだめの和の年を七とせを過ぎたる乙巳の時、安房の國鴨川の
郷に怪しげなる普請をすすむるものあり。(イッシきのとのみ)
上総の國、久留里の御城をひんがしに望んで街道をみんなみへ下れば三石山観音寺の参道を東に
分けて、みち尚けわし。香木原愛宕神社への路を西にみつつ進めば、かつては路行くものから銭を
取る関所の址あり。これをすぐればやがて下りに転ず。安房の國に入りしものと覚えて、鴨川の郷
の北の外れ、緑濃きはずの西の尾根筋を見やればひと谷、間におきて怪しきものを見る。尾根筋は
木々ぞ伐られて裸地をみせる。
誇大陽日の力板47万枚を並べんとして147町の山を削り谷を均さんと企てしもの、お上の許
しを得て普請始めるが、山の下谷の先の民の安堵を奪いかねぬ。安き普請をないがしろ、お役目か
らのご指導を書付にて受けたること、なんと五十八回に及ぶ。一度二度たりともあってはならぬ官
吏の導きを踏みにじるとは、前前のことならば遠島打ち首もあってよきもの。
鴨川山川海を守らんとして、麓の太田学の人集いてこの破法を広く伝えんとす。護るべきは山川
海に限らず、第一は住み暮す民人なり、なりわいなり。鳥獣も同じ。あがたの長、配下の官吏も動
かん。改めて天つ小船を空に浮かべてこれを見回る。許しを得ざる境の外にも木々を伐り山土を崩
すを見れば急ぎ、普請の一時の停止を命ずる。境のそとに及んだ普請は元の如くに服することを命
ずるところなり。
いずれの國にもいずれの御代の時にも、怪しき法度の輩多く、金子に目の先のくらみし鬼子の仕
業か、今に多い西の果て海の向こうから渡りし守銭奴の悪業か。いずれにせよ地神の怒りをうけて
逸速く立ち去るがよきものなり。
146Ha=146*1.008=147町
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今日でも半年以上の昔の嵐の土砂崩れの為に、この家の住民は親戚の元に身を寄せながら道の直
る日をいまだ待ちわびている。
ひらなりの帝退きて、新帝の統べる初の秋、日の本を嵐ぞ襲えり。安房上総下総のあまたに甚だ
し災禍もたらしぬ。国の司、政庁を抜けておのれが屋敷を見んといでまわり、国の繕いの号令を遅
らせたるハこのとき。山は崩れて街道を塞ぎ、倒れし木々はエレキの糸をきる。民の家屋敷、瓦と
いわず板葺きといわず、いためて雨風に任せるばかり。日の本の各国よりすけっとを仰ぎ、エレキ
の糸を結び、街道を開き、ようやく安ねいを得るに月の満ち欠け幾つを数えるや。
嵐の来りしは重陽の節句、これより半とせ以上もへだてる芒種の日に山を見やれば、未だに道は
崩れし土砂木々の下にあり、エレキの糸も切れ、人の住まうにかなわぬ家ありと。嵐にも負けず、
家屋敷に被りたる被害なくとも、道は人ひとり歩くに辛うじての土砂の踏み固め。エレキなくば、
飲み水も汲み上げられず。はや九つの月。繕い始むるようすなき、お上に掛け合うはのれんを押す
が如く。いつぞ直さるるものかとも知れず。上総の国は蔵玉小仁田の里、熊野神社は遠き社なり。
夏を前に、怪しきお上のふさくいをここにつづりて後に残さんとす。end
今でも耳にする昔の偉人聖人のことのはに、誤りを正すことに遅きことの無きことをいふものあ
り。この誤りを正すことは易きことだと思ひしが、なかなか為されぬわけがわからない。
| ゆんで下よりに濃溝の滝の赤地の白文字。あづまやのかみ手に滝の 無きこと。いまは農溝とつづれるや。 |
上総のくに、きみつの郡に川あれば、その一つに笹川という。この笹川、笹の里を貫きて流るる
に右に左に向きを代えたることはげしければ、穴を穿ちて水の近道を造りて川の流れをかへん。養
老の川などにてもここかしこにあり、これを川廻しといふ。笹の里、西水、東水のあたりにも穴を
穿ちて川の水を流せる川廻しの横穴あり。水のながるる有様は頗る奇観なりせば、清水渓流広場と
名付けて歩き廻る径をくるまみちとは別にこさえられたる。これはくるまみちより入りて、休み
所、厠などしつられたり。中の径は遊び歩きの径なれば、小尾根の上なり。右下に北上する笹川の
水流あり。崖の険しければ、これをながむるにあたわず、水音を聞くのみ。左に古き河川を埋めた
緑地あると聞くが、やはり崖険し。進めば中ほどに東屋あり。この東屋の西方の河川の方は水音激
しこと、滝のあるとぞ。
聞けばこれを農溝の滝と称す。落差こそ低けれども、一枚板の如き岩の川幅に拡がりて、水流を
落とす見事なものなり。遊び径よりは眺めがたく、更に下りてその脇によりて様子を伺うのみな
り。水車小屋への水をこのあたりからとりて、溝を穿ちて流しむる普請をせしところによりて、農
の水路の滝と呼び、改めて農溝の滝といひぬ。地理院の地形図にもその位置を正しく記せるものな
り。
上流、水流の東より北へ向きなおる所に左岸に岩壁あれば、ここに水流あり。背稲沢の水の落ち
るものなればセイナザの滝と名づく。更に上流とは東を向く。川廻しの横穴を下流からながむるも
のなり。
この横穴奇観の程、おもしろし。河床は小岩の段を見せてその形を愛でて、亀岩といふ。他に神
像仏尊の名を被せて奇岩に名づく。小尾根径の東側はぬかりの地に木道を張って古い河道を歩く。
さてこの遊び径の入口近くに絵解きの地図あり、農溝の滝と言ひて、その横穴の位置をうたう。
まことの滝には一言も触れざる。
あるとき、この洞の絵姿を写して、エスエヌエスなるものにて広める人あり。この洞上部は円く
弧を描き、斜めに指し入る光の影を水面に映せば、真横になりしカルタの印に頗る似せり。また切
れ間の入りしさくらはなの弁の一枚の横にせし姿なり。この姿のよきこと、呟きの伝えは上総のく
にとどまらず、大川を三つ五つも越えた先々、日のもとのくにのどこかしこからといわず人ぞ集い
ぬ。大車を幾台も仕立てて、人ぞあふれん。
さてこの洞を知らしめるあない書きを見れば、農溝の滝としてこの洞の姿を描き写し、僅かに下
流の滝など知らぬか如き。きみつの郡を束ねる番所のなせるものなり。しかし濃溝の滝とはこの洞
ではなく、洞の西方下流のものなり。その名あらたむるに「やまのて線やまて線」の故事に比ぶる
までもなく、怪しきと気付きし時がそのあらたむとき。
遊び径のここかしこにこの洞を「亀岩の洞窟」とする印の札が立てられたる姿をば今は見らるる
ものなり。されどきみつの郡の番所の絵看板はこの洞を「濃溝の滝」とする。さらに、あないがき
の刷り物はこの洞の写し絵を載せて「濃溝の滝・亀岩の洞窟」とその名を重ね書きせんものなり。
何も古いあない書きの絵解き文言が誤っていたとして「わび」をいれずともよし、ただ単に正し
き名をぞ、記せばよきものを。いずれや干支の巡りてや、いかんせむるや。また濃溝の文字は農溝
とあらためられたるがよきものなり。
写し絵の名の文言ぞ、のちのちの移り変わりを待たんと思いてここに綴りて、のちに伝えんとす。
さて世に誤りを正すことを思ふに面しろきものあり。占いのカルタに「たろ」または「たろう」
というものあり。ある時、ある人これを広く世に知らせんと、読み本出しぬ。これを「たろっと」
いふ。早くからこれを知るものたちは、たろ・たろうの誤りだとその名の異なるを訴えり。されど
既に遅く、この名は広く世間にはびこり、あらたむらるることなし。
山に入りて石を見れば文字刻めり、これを読めば淺百大神という。しかし後に淺間大神の誤りと
知りてあらたむることすばやく、ふたたび過ちを犯すことなし。
れいわの御代、僅か二年目に世に疫病はやれり。医の術尽せどもなかなか治まらず。その昔、世
に疫病の流行れるときに海に怪物が現われ、その姿を写し絵にすれば災いの疫病鎮めらるると、怪
しげな噂ぞ撒き散らしたるものあり、怪しげなるものの名はアマビエと云わん。旧き書物にありし
まことの出来事というが、まことたることなし。薬師の恩にもすがれぬあほうものども、そのアマ
ビエなる姿を絵に像に写してこれに祈願する。姿を彫って儲けとするものもあり。あなはずかし。
旧き書の絵の脇の文字読むにアマビコの墨のにじみをアマビエと読む。これ昨今の誤りなると「読
み捨ての瓦版」に綴るをよめり。雨彦や天彦の漢字書きは分からずとも名前の読み違い。世に恥ず
かしき人の多きこと限りなし。奇怪なる姿はヤスデの化身かや。
野蛮の国のひと、肉を見れば浄不浄を問わずこれを食する。おのれが食に余れば、金子を得んとして商
うこと多く、ついに蝙蝠までも衆の口に入らん。これが今日にはびこる疫病のもとなるか。 end
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