天羽城跡 1310

 JR内房線上総湊駅下車。戸面原(とづらはら)ダム行きバス乗車。便数は少いが、利用は可能だ。(相川右
岸、東側の山々というのが本来のタイトル名でしょう。以前は「御嶽山」をタイトル名にしていました。
第C項の2まで天羽城跡は出てきません。項が多くなりましたので改名しました)   房総丘陵1000

@ 岩見堂やぐら登り口 (天羽城跡ではありません。場所が近いだけです)
案内標識の右上にわかりにくいですがタブノキの大木があります。

@御嶽山 ○110
 上総湊駅→0.15←神田橋→0.10←一川橋の西詰め三又→0.10←相川11柱分岐→0.05←
高野分岐→0.05←相川神社東交差点→0.05←相川橋→0.10←岩見堂やぐら入口
→0.25=0.20←御嶽山
≒〔小窓〕→0.10←クス三又分岐→0.05←〔西峠〕→0.05←
●162ピーク

 上総湊駅から相川へ向かう。相川橋の先、狭い道路が広くなった所、岩見堂やぐらの案内看板がある。そのま
ま道路を進むと山の西側の岩壁が見上げられる。その附近は道路の路肩が非常に広い。
 岩見堂やぐらの案内看板に従って湿潤した岩階段を登ると、右側、民家の庭先からの小径が合流して「やぐ
ら」の右側に至る。「やぐら」から更に左方向へ進むと小さな「ヤグラ」を穿った岩壁があるが、そちらへは行かな
い。手前の水流に沿った径を進むと左手の展望がいい。農地脇の狭い径を進むと右手に藪に囲まれた狭い径
が開いている。三分岐では右寄りの杉林の遺棄水田と推測される谷の右岸を進み、小尾根に出る。この小尾根
先を曲がり込むのだが、この附近だけが倒木に伴って藪が濃く、切り払われていない。僅かな距離だが進入不
能と感じた場合は左側の尾根筋を登る。その後は尾根筋か右寄りを忠実に進む。細い分岐が多数、明瞭な分
岐が一ヶ所あるが、いずれも尾根筋を基本にして右寄りを進む。左側の尾根に背の低い小さな切り通し型の岩
(これを〔小窓〕と称してみる)を見たのち、直登の径を進むと、ピークに御嶽山の石板碑などが並んでいる。
 〔小窓〕は幅高さとも2メートルくらい。東側にも巻き径があって、左北東側へ進むと直ぐに南へ向き直り、〔西
峠〕・●162ピークへ至る。
 御嶽山の頂上には東西共にこれを巻く径が有り、これを南へ進むと鏡餅のような岩の下から境界杭の埋まっ
た、あるいは倒れた急坂を繰り返し下り、倒竹で通行不能の鞍部に出る。妙厳寺の南、古墓地があり、コンクリ
ート舗装の斜路を北へ上った先、一回Zカーブをして更に北へ高度を上げる。東側からの倒竹に阻まれて通行
不能の道の延長に繋がるものと推測される。倒竹が処理されれば御嶽山の南側の径になるだろう。
 内田氏の房総山岳志では岳の字を使っているが、碑では嶽の字が読める。
 この山と岩見堂やぐら及び南寄りにある●162ピーク付近の範囲が梨沢常代(とこしろ)城跡だという。

A梨沢常代城跡 ●162
 岩見堂やぐら、御嶽山から●162ピーク、〔南峠〕にかけてが、梨沢常代城跡だそうです。
 A−1 南側から
 上総湊駅→0.15←神田橋→0.10←一川橋の西詰め三又→0.10←相川11柱分岐→0.05←
高野分岐→0.10←相川橋→0.10←岩見堂やぐら入口→0.10←妙蔵寺前→0.05←
丁字路(相川111柱・阿弥陀堂八幡宮入口)→0.10←左側の枝沢→0.25←〔南峠〕
 〔南峠〕→0.05←東分岐のピーク
 〔南峠〕→0.15←●162ピーク→0.05←〔西峠〕→0.05←三又クス分岐→0.10←
〔小窓〕≒御嶽山

 妙蔵寺から更に道路を南へ進む。丁字路の左東側の道路の先に鳥居と石段が見える。八幡宮の参道と阿弥
陀堂、東根組集会所が並んでいる。未舗装道路になって左側の沢の右岸の径に入る。小枝の被り多いが笹竹
の藪は疎らで、細い水流の脇から杉の谷の斜面に変わる。右側の山裾に溝径があるが、倒木と下生えで進め
ない。中央の杉の原の中に踏み跡を求める。その溝径がSカーブして高度を上げる箇所をニアミスする形で接
近、合流すると直ぐに峠に出る。仮に〔南峠〕とする。
 北側は下っている。右東側尾根筋を進むと小さな二又で尾根筋を左へ巻く。下生えの無い緩い斜面を登って、
左へ急登すると天羽城跡方面と鹿原方面の東分岐のピークに達する。南側に展望がある。
 左西側尾根筋を進むと網目の根の急登の斜面になる。そのピークを上り詰めると小さく鞍部とピークを繰り返
す尾根径に変わる。左南側に草木のない箇所で踏み跡を外して南へ寄ると断崖絶壁の真上に出る。●162の
ピークだ。尾根筋はそのまま西へ続いているが、その下りの傾斜がきつくなり始める箇所で北へ尾根筋を曲が
る。僅かな下生えの中に「シラン」の葉の群生が特徴的だが、季節によってはこれも無くなる。僅か下ると浅い
鞍部に出る。東西に踏み跡のある特徴的なもので〔西峠〕と称しよう。
 〔西峠〕から北へ僅か登ると小ピークを巻いたあと、下りになって小笹の僅か生える鞍部等尾根筋を北へ進む。
右下へ下る奇麗な斜路が岩塊の手前にある。三又クスの分岐だ。西へ巻く。山桜の株が倒木になっている痩せ
尾根で径は左カーブし南へ向く。笹が多くなりかけると右手の尾根筋が2メートル角に切り開かれた〔小窓〕があ
って、尾根筋の向こう側に出る。左南側わずかで御嶽山の頂上だ。
 〔西峠〕から西へは薄い踏み跡が北寄りに下っている。下るにつれて踏み跡が薄くなり、地滑り痕の倒竹の斜
面で径は消え、通行は出来ない。〔妙蔵寺の南に古い墓地があり、コンクリート舗装の斜路が北へ上っている。径
は笹竹に覆われ、その先は地滑り痕の倒竹に阻まれ進めない〕これが〔西峠〕からの西側の下りに接近する。

A-1 梨沢常代城跡南斜面 切り立った急斜面 中央が禿げている。
  (天羽城跡ではありません)

 A−2 東側から
 道路終点谷田堰・道路終点→0.10←石田村入口岩喰み株の分岐→0.05←
岩の突堤(三又クス分岐)→0.20=0.15←〔西峠〕
 〔西峠〕→0.05←三又クス分岐→0.10←〔小窓〕≒御嶽山
 〔西峠〕→0.05←●162ピーク
 天羽城跡登り口のある水田の道路を終点まで進み、フェンスを開閉して谷田(やつだ)堰左岸の未舗装道を進
む。溜め池が川のカーブに変わった位置で細い河流を右岸へ渡る。右下に河岸の湿地を見下ろしながら右へカ
ーブ。谷の地形を左岸側へ横切ると、左右に大きな岩が多数見えてくる。岩の上に根を張った株の正面を右寄り
に径を辿る。「石田村」という。奇岩と言うほどでもなく、径を狭めるほどでもない。その右寄りには小川がある。そ
の上流部は湿地になっているので、中央の石尾根寄りに岩をかわして進む。
 西側からの小尾根先が2回見える。西側から岩の突堤の迫っている箇所でこれを進むと幹が三又になったク
スノキの太い木がある。この脇からZカーブ一回下の地斜路が繋がり西側の尾根に達する。左右に尾根筋を進
めば〔西峠〕又は御嶽山だ。
 標高が若干高くなった平地の時、西側からの尾根の南壁が切り立っている。その裾から斜路に踏み跡を辿る。
緑の苔が覆っている小岩は溝径の脇のものだ。一回折り返して〔西峠〕に出る。
 〔西峠〕から左・南は●162のピークへ。西への下りは地すべり地形の倒竹地獄で通行困難。右・北は三又ク
ス径分岐、〔小窓〕から御嶽山に繋がる。
 〔小窓〕、〔西峠〕、〔南峠〕 場所を特定する為の苦肉の名称で、縄張り図等で本来の地名が判ればこれに代え
たい。

A−2 石田村入口岩喰み株(ケヤキ)の分岐 左右に径が分かれて、、、

B仲山 ○160 (なかやま・なやま)
 上総湊駅→0.15←神田橋→0.10←一川橋の西詰め三又→0.10←相川11柱分岐→0.05←
高野分岐→0.10←相川橋→0.10←岩見堂やぐら入口→0.10←妙蔵寺前→0.05←
丁字路(相川111柱)→0.10←梨沢橋(手前)→0.05←三叉→0.25←仲山
 上総湊駅から梨沢橋を目指す。梨沢橋の北側で東へ細い道路を進む。右側が農地に変わり、左側の崖面に
横穴墓がある。その中には石幢型六地蔵像ほか石仏がやや高い位置に奉られている。その先、左側には岩を
刻んだ階段の径が分岐している。湿潤していることが多いので注意したい。左へ緩くカーブして、左右に休耕田を
配した狭い径を進むと山に突き当たって、径は左右に分岐する。右折して谷の右岸の径を緩やかに登る。これ
が急登に変わると、小さな峠に登りつく。右折して尾根筋の径になるが、直ぐに又、谷の右岸の径になる。その
後、この谷が径を崩落させている。雑木もこの崩落箇所の径を隠して生えているので、慎重に崩落先の径を探
す。ほとんど同じ高度の先なので、変に上下しないこと。枯れ葉が厚く溝の深い径になり、ジグザグを繰り返す。
これが尾根筋に達すると、左側にごく僅か高い平らな山頂に達する。但し、浅い溝径はまだそのまま東へ繋がっ
ているが、枯れ竹が多くて進めない。
 山頂には「地滑り防止地区標柱第2号」と読める鋲が取り付けられたコンクリート杭がある。南西側に進んだ山
頂の肩の位置に、半分枯れ葉に埋もれた石祠がある。手水石の他には基礎石や不明の石がある。

C天羽城跡 北側 ○123 ●102
 バス停更和(さらわ)は上りと下りで東西に離れています。国道の南側には更和公園があって、川の右岸北岸
に長く展開しています。
 バス停更和の南、圓正(えんしょう)寺の境内には磨崖仏があり、その南には天羽(あもう・あまは)城跡がありま
す。地名としては「あもうじろ」又は「あもじろ」というそうです。
 C−1 圓正寺の磨崖仏 幸福院亀鶴山圓正寺
 バス停更和→0.15←丁字路→0.05←圓正寺
 バス停更和下車。西側にある丹後橋を南へ渡り、南詰めで左折、東へ進む。未舗装道路は湊川に沿って南に
向き直り、国道と並行する海良と上後を結ぶ市道に出る。ここで左折。東電柱天神山252柱。東へ進むと圓正
寺の入口を示す看板で南へ曲がる。看板には智山派とあるが山号がない、「きかくざん」だそうだ。
 境内には墓石が並び、左手尾根筋の崖下には無縁墓石が整理されている。奥へ進むとイノシシ避けの柵があ
り、その先裏山の谷へ進む。一本目の杉の木の位置左側に石段がある。これを登ると岩室が穿たれ、光背が岩
室天井の先端柱になって石造薬師如来坐像が半肉彫りされている。セメントで補修された頭頂は丸い。納衣は
通肩、中央に薬壺。横穴の奥壁の段には石像大日如来坐像も置かれている。この岩室の前には昔、大日堂が
あったという。
 見学に先立って、ご本尊への参拝を済ませたい。
 再訪したら本堂がない。平成26年・2014年9月21日焼失し、ご本尊も帰天されたという。仮設ハウスを仮堂
にし、薬師如来立像が奉られている。

C−1 圓正寺の境内には磨崖仏があります。

 C−2 圓正寺から(亀鶴山 ○130)
 バス停更和→0.15←丁字路→0.05←圓正寺→0.25←中腹の平地→0.10←東尾根
→0.10←東尾根と竪穴→0.05←亀鶴山南端のピーク→0.20←主郭
 圓正寺の石の門柱の脇に小川があり、これに下りる。数歩遡ると左側に小道が分岐している。風化した石段を
登ると新旧の石祠と三角点の標石(△29.5)が並ぶ。ここで右側の尾根筋を登る。右側に溝径があって合流す
る。または石祠の手前右側に伐採枝が積み重なって山径が隠されている。これを踏み越えるとすぐに小尾根筋
の踏み跡に変わる。―早い話が本径はゴミが置かれてわからないかも。―急な登りが一息つくと左下に分岐が
ある。
 市道から境内を目指した道路の最初の左分岐を進んだ僅か先、東電柱116柱の建つ畑の中の「みち」を西へ
進む。山裾に達すると、この付近がやや高い。右側が竹林、左側が杉林の分かれ目だ。左右に曲がりながら斜
面を縫う溝径を登ると尾根筋に達する。
 左にカーブしたあと、右に尾根筋、左に従来の溝径の分岐に出る。これは溝径の小さな崩落を避けただけのも
ので、溝径の方を進む。正面に尾根筋を置いて径は左にそれるが、そのまま尾根筋の東肩に登り着く。逆コース
で来たときはこの東肩の踏み跡は見つけにくいので、そのつもりで探したい。西側には潅木の平地が広がって
いる。平地の地面を見ると浅い溝径がカーブしている。これは無視する。平らな山頂には山桜の木が多い。左
肩寄りの緩い斜面を登る。右側の方は薄い笹薮のピークだ。緩く下った浅い鞍部には炭焼きの穴だろうか竪穴
がある。左東へ細い尾根が分岐した位置にも縦穴がある。西側は桧の林で、このなだらかなピークの最頂部附
近は広葉樹のほうが多いのに一本桧がある。西側は笹の丸いピークだ。―この附近がこの最高部なのだがあ
まり特徴的ではない。この山の名前を知らない。北山裾の圓正寺の山号亀鶴山を仮の山名にしよう。平らな山
頂は亀の甲の平を山頂に似せて、丁度いいだろう。浅い鞍部を経た南側の小さなピーク(南端のピーク)南側か
らやや急な尾根筋で下る。右西から踏み跡を合流させると小鞍部に出る。この小鞍部からは西側の水平な巻き
径の踏み跡が濃いので、そちら側から南へ進む。尾根筋だと又急な下りを強いられる。西巻径が尾根筋になる
と*大きな鞍部に出る。 一段落飛んで*大きな鞍部へ。
 この附近の逆コース ―西側の巻き径は紛れなく北へ進む。浅い鞍部に出ると、東側正面の尾根筋に踏み替
える。この尾根筋は北へ進んで〔亀鶴山〕南端のピークに達する。浅い鞍部を左へ巻くと、右側の尾根筋が高くな
るほどに水平巻き径の踏み跡は濃くなりかなり西へそれる。幅広い※西尾根の鞍部に出る。ここからは北側遠
方に東京湾観音が望まれる。ここでは方向に気をつけて西尾根へ進まないこと、又この※西尾根を踏み越えた
右側は岩壁で、やはり進めない。ここで東へ尾根筋を登る。階段並の急坂で、南北尾根にわけなく合流する。北
左へ僅か登って〔亀鶴山〕南端のピークに繋がる。
 大きな鞍部*に出ると、今来た尾根も南の尾根も東側は垂壁になっている。鞍部からは西寄りの斜面へ進む
が、ここでは急斜面に径らしきものが見えなくなる。幸いにも最近柿色のロープが垂らされた。結び目もある。滑
り落ちかねないほどの土の急斜面をこれに頼る。急斜面を直登する。狭いピークの北寄りの肩に登りつく。南西
へ進んだピークの肩から急斜面を下ると東西に向いた痩せ尾根の鞍部に出る。西側が天羽城跡の主郭のピー
クだ。南斜面は上下とも垂壁で下部には大きな横穴が認められる。この痩せ尾根を西へ進む。右下には倒木群
の根の裏が見える。狭い踏み跡を辿って主郭に登りつく。狭いながらも平地があり、展望もいい。 

C−1 圓正寺の石の門柱の脇に小川があり、これに下りる。数歩遡ると左側に
小道が分岐している。2014年2月の大雪の跡。

 C−3 花輪堰北側左股奥から
 バス停更和→0.15←丁字路→0.10←金網ゲート→0.25←西尾根→0.20←主郭
 バス停更和下車。南の市道に出る。ここで右折。東電柱天神山252柱。西へ進んだ小学校の南側正門の東
寄りにある未舗装道路を左折、更に南へ進む。道路の東西とも農地だったものは、東側だけが金網の山に変わ
る。扉の位置には細い踏み跡が見える。分岐の右側は花輪堰右岸の道で、ここでは左側へ進む。西側には熊
野神社社殿、神座の壁が見える。再び扉があり、未舗装道が南へ上がっている。この谷津田の突き当たり左寄
りに扉があり、これを開閉して通過する。水田の奥から繋がる古い耕地と思わせる平地を右に見下ろしながら山
裾の径を進む。源流と思わせる小溝を右岸から左岸へ渡り、山の正面から右へ曲がる。倒木や小笹に覆われ
た溝径を進むと、岩に切られたSカーブの溝径★から折り返して左山の斜路で尾根筋に登りつく。〔亀鶴山〕※西
尾根の僅か西側の浅い鞍部だ。東へ小ピークを上下して幅広い※西尾根の鞍部に出る。南東方向に下り加
減の巻き径を進むと大きな鞍部*に出る。主郭はこの南西側だ。
 源頭部の斜面の踏み跡が薄いこと、倒木があっても通れるがわずらわしいこと、笹で踏み跡が隠されている箇
所もあること等、お薦めできない径だ。

 C−4 花輪堰から (1) 花輪堰の左岸奥
 バス停更和→0.15←丁字路→0.15←尾根先→0.35=0.30←西尾根→0.20←主郭
 バス停更和下車。南の市道に面した小学校の南側正門の向かいにある舗装道路をさらに南へ進む。熊野神
社、花輪堰左岸の道路から上流で右岸の未舗装道へ移る。堰の上流部の道と右岸の道の角には山裾のまま進
む径が分岐していて、これに入る。直ぐ左側に山道◎が分岐している。これに入ると直ぐに山崎先端部があり、
この尾根筋に入る。進み過ぎると小谷の山径になり、左側の尾根筋へ折り返す。
 狭い尾根筋には細い切り開きがあって、登ると石切り場に出る。右側には平地と垂壁があり、その左側の斜
面を登る。垂壁の直上だ。尾根筋を乗り越えて左側の斜面を登ると又水平地と垂壁の石切り場に出る。ここで
は壁にローマ字と40の文字が彫られている。貯水場だったのかもしれない。左側の斜面に踏み跡を求める。高
度を上げ前方に本尾根筋が見えると、右巻き径から痩せた尾根筋でこの本尾根に合流する。その後、急登で右
に巻いた箇所では右下から奇麗な小尾根が合流する。下りの時、誘われやすいので注意が必要だ。◆コースの
右側にある小平地は櫓か見張り台だ。逆コースの時、この小尾根に踏み跡は無いが幅広いいい径を感じさせる
ので注意したい。
 尾根筋は小ピークと痩せ尾根を繰り返す。東西型のピークの東端を乗り越えると三方分山型のピークに出る。
右側の急下りの先に水平な尾根筋の見える方を下る。出た鞍部の左には枯れ葉の積もった径が下っている。岩
のSカーブの径★の合流点だ。右後ろには南斜面の西向き巻き径がある。逆コースの時、尾根筋の方を選ぶこ
と。
 鞍部から右寄りに尾根筋を進むと小尾根を乗り越えて〔亀鶴山〕※西側の尾根に出る。北側遠方に東京湾観
音が遠望される。〔亀鶴山〕の場合は東側へ階段のような急斜面を登って高度を上げる。また、南東方向に巻き
径があって、これを進む。南に向き直り、東側に並行する尾根筋と合流する小鞍部になる。西巻き径のまま小鞍
部と小ピークを繰り返す尾根筋を避ける。大きな鞍部*に出る。急斜面の登りと痩せ尾根を繰り返して天羽城跡
主郭に達する。

D 熊野神社、花輪堰を経て左手の山径に入る。右手にはビニルハウスがある。
写真では左右が逆です。

 C−5 花輪堰から (2) 花輪堰の右岸奥
 バス停更和下車。南の市道に面した小学校の南側正門の向かいにある舗装道路をさらに南へ進む。熊野神
社、花輪堰左岸の道路から上流で右岸の未舗装道へ移る。堰の上流部の道と右岸の道の角には山裾のまま進
む径が分岐していて、これに入る。直ぐ左側に山道◎が分岐している。ここは右直進を進む。直ぐ左小谷◇が有
り、その右寄りに細い斜路があり、小尾根の径になる。
 笹が勝る径は山裾をほとんど水平に進む。笹が径を覆っているので、谷を回り込むところ喬木のため笹の薄
いところ以外は進められない。笹が薄くなった谷筋で右へカーブ、尾根筋に変わって折り返し、浅い溝径になる。
この溝径を登って尾根筋に達する。この尾根筋への変化箇所を別項で溝径分岐▲とする。
 笹の濃い径が続くので薦められない。

 C−6 花輪堰から (3) 花輪堰の右岸奥
 バス停更和下車。南の市道に面した小学校の南側正門の向かいにある舗装道路をさらに南へ進む。熊野神
社、花輪堰左岸の道路から上流で右岸の未舗装道へ移る。堰の上流部の道と右岸の道の角には山裾のまま進
む径が分岐していて、これに入る。直ぐ左側に山道◎が分岐している。ここは右直進を進む。直ぐ左小谷◇が有
るが、これを見送り直進すると左山肌に急登の階段状の踏み跡がある。やや下りの径は笹が濃い。水路を跨ぐ
箇所では左の谷の壁の下に穴が開いていて水が流れているものを見る。人工の水路だ。右側の湿地には下り
ない。笹の径は登りに転じ、左カーブし始めた尾根先には踏み跡■が登っている。右直進を見送ってこの尾根筋
を登る。やや急な尾根径で小ピーク肩ピークを越えると左下に溝径の合流がある。溝径分岐▲だ。

 C−7 花輪堰から (4) 花輪堰の右岸奥
 バス停更和下車。南の市道に面した小学校の南側正門の向かいにある舗装道路をさらに南へ進む。熊野神
社、花輪堰左岸の道路から上流で右岸の未舗装道へ移る。堰の上流部の道と右岸の道の角には山裾のまま進
む径が分岐していて、これに入る。直ぐ左側に山道◎が分岐している。ここは右直進を進む。直ぐ左小谷◇が有
るが、これを見送り直進すると、左山肌に急登の階段状の踏み跡がある。やや下りの径は笹が濃い。水路を跨
ぐ箇所では左の谷の壁の下に穴が開いていて水が流れているものを見る。人工の水路だ。右側の湿地には下
りない。笹の径は登りに転じ、左カーブし始めた尾根先の踏み跡■が登っているのを見送って、右直進へ進む。
右下へ下る分岐▼は見送って更に直進左カーブ、Vターンする。緩い登りのまま、尾根筋の径になると左下に溝
径の合流がある。溝径分岐▲だ。
 右へ下る踏み跡には入らない、谷の右岸で進めなくなる径だ。左直進で登ると、平らな岩が尾根筋にある。タ
ワの位置では左に誘われやすいが、右よりの急登加減で進む。中木4、5本が小さな並木をなしている箇所の脇
から一息急登すると小平地◆に登り着く。この小平地は櫓か見張り台だろうか。その奥に曖昧な踏み跡があり、
右へ進むと左下への分岐のある小鞍部・岩のSカーブの径★の合流点を経て、〔亀鶴山〕※西側の尾根に出る。
更に進んで大きな鞍部*を経て天羽城跡主郭に達する。
 花輪堰の右岸奥の径としてはこの径が一番いい。

C 六所神社 天神山コミュニティーセンター(近いですが、天羽城跡とは関係ありません)

 C−8 花輪堰から (5) 花輪堰の右岸奥
 途中の案内が出来ないほど踏み跡が曖昧で、特徴がないので読み物としてさえも中途半端なものになった。進
まないこと。
 左の谷の壁の下に穴が開いていて水が流れているものを見たのち、右側の湿地には下りないで、笹の径を登
り、左カーブし始めた尾根先の踏み跡■が登っているのを見送って、右直進へ進む。右下へ下る分岐▼を下
る。直ぐに湿地に下りる。その湿地と山裾の間に径があるのだが笹・竹が通行を阻むので、水気の少ない箇所
を選んで進む。左側に再び山裾の径が中腹の径になる。笹が多い。この径がまた湿地へ下る。左寄りには別谷
の入口がある。これを横断した尾根先に登り口がある。小尾根先を登り、これが傾斜を増したところ、右側の幅
広い傾斜の緩い斜面を横断する。又尾根筋を登る。以下尾根筋登り、斜面の横断などするが、いずれも踏み跡
が薄く、地形に案内になる特徴がない。
 東向きの中腹の踏み跡は右下方に谷を、左上に崖を見上げる。その左上の崖の低くなったところに横縞が見
える。数段きりの石段の風化跡だ。進むと10メール角ほどの壇地がある。山の中腹に造られた拝所か曲輪か、
手掛りはない。中腹の踏み跡を東へ進むと、左下への分岐のある小鞍部・岩のSカーブの径★の合流点に至
る。東へ進んで〔亀鶴山〕※西側の尾根に出、更に進んで大きな鞍部*を経て天羽城跡主郭に達する。
 *大きな鞍部  ※西尾根  ◆小平地  ★Sカーブの合流点  ▲溝径分岐   ◎西側の山道
 ◇左小谷  ■尾根先の踏み跡  ▼右下への分岐

D西側から
 D−1 花輪堰から第三郭を経て 西側から(1)
 バス停更和→0.15←十字路→0.15←山径入口→0.35=0.30←分岐のピーク→0.20←主郭
 バス停更和下車。南の市道に面した小学校の南側正門の向かいにある舗装道路をさらに南へ進む。熊野神
社、花輪堰を経て、左東側の農地が山林に変わったところ、右側にはビニルハウスがある。左側の山径に入る。
 浅い溝径で登りが続く。痩せ尾根を版で小ピークを繰り返す。東へ下る尾根筋のある分岐に出るが藪の多い
尾根筋を直進する。痩せ尾根には低い石垣が見える。
 右側に藪の濃い溝径、左側に奇麗な径の分岐に出る。左側は下生えが少ないが、右側のピークを巻ききった
ところで太い倒木の為に通行できない。右側のピーク寄りに斜面を登る。右側の藪の多い径はじきに藪が薄れ
ピークのやや北寄りを乗り越える。二つの径はこのピークの東側で並行し、巻き尻で右後ろ南からの踏み跡と合
流する。
 この南からの踏み跡は南側の谷に延びている尾根筋からの径だ。
 石垣の痩せ尾根から小岩の径、石積みの痩せ尾根を通る。コンクリート杭の小ピークの先浅い溝径になる盛
り上がりが第三郭だ。直ぐ東は土橋でその東詰めは南寄りと北寄りに分岐する。左右(LR)の径に挟まれた盛
り上がりが第二郭だ。東側で南北の尾根径に合流する。
 (R)右側の径は刈り込まれた。南北尾根との合流点で北へ進む。左側第二郭の壁に穴が穿たれ、馬頭大日
両尊駒形石塔が納められている。ここから僅か下ると左手に径△が分岐しているが通行止めの処理がされてい
る。第二郭の土橋の北側からの径だ。
 (L)左側の径は太い倒木が塞いでいる。うまくかわせば南北尾根との合流点△に達するが通行止めにされて
いる。
 分岐点△を北側へ進むと石積みがあり、その上の狭い斜路を進む。径が広くなり始めると主郭の北西側の「堀
切り」とされる切り通しに出る。ここでは右後ろにスイッチバックする。もう一度左折して南側から一段上の主郭の
西端に登る。
 分岐点△の両尊の右側には北東尾根筋の始まりがあって通行止めにされている。その先は東側にトラロープ
が南北に張り渡されている。尾根筋を南北に進めるように若干刈り込まれたようだ。東端は絶壁の上だが足元
からはそれがわかりにくい。注意が必要だ。主郭の南東端に登り着く。
 主郭は緩い傾斜の平地で低木が生えていたが奇麗に刈り込まれた。北東端にはかつて拝所があったのか地
面には石の囲いのような痕が見える。北側には天羽城山の標識がある。北方には大きめの、東方には低い小
さめのピークがあって、その他に展望が広がる。その2方向は切れ落ちた急斜面で、南も西もやはり急斜面だ。
石祠があると聞いていたが、見つけられなかった。北西隅が僅かに高い。 ○123
 西側の「堀切り」とされる切り通しから主郭北側の岩壁の下を狭いけものみち程度の踏み跡を辿る。倒木の根
の裏を登ると主郭東側の急坂下の鞍部に合流する。その北側が大きな鞍部*を隔てた〔亀鶴山〕だ。

D−3 天羽城登山口 これを開閉して進んでください。

 D−2 西側から(2)
 バス停神田橋→0.10←一川橋の西詰め三又→0.10←相川11柱分岐→0.05←相川の小橋
→0.10←
三つ目の丁字路→0.10←尾根先端→0.10←分岐のピーク→0.20←主郭
 バス停神田橋下車。南の市道を東へ進む。一川橋の西詰めの三又を南へ進む。高速道路の函渠を潜った先、
二本目の道路を左折する。相川を渡る橋は道路幅より若干狭い。先に右折、次に左折して更に南東へ進む。三
つ目の丁字路の北側、水田の中にガードレールが見える。梅林の北側の藪の尾根先に入ると左右に折り返すト
ラバースする獣径ほどの踏み跡がある。大島桜の株で東へ進み浅い谷の東側で尾根先の「島」に出る。下生え
は薄くなる。境木の並木が右へ下る箇所であくまでも左手の尾根筋を辿る。分岐のピークに出る。左後ろには花
輪堰からの径(ビニルハウスの東)が合流している。右東へ進んで第三郭、第二郭を経て主郭へ進む。

 D−3 西側から(2) 天羽城跡登山口
 登山道脇に井戸があります。地元の有志の御尽力で整備された一番いい径です。
 バス停神田橋→0.10←一川橋の西詰め三又→0.10←相川11柱分岐→0.05←相川の小橋
→0.10←三つ目の丁字路→0.05←水田の三又→0.05←天羽城登山口標識→0.10←
西丁字路(東分岐)→0.20←主郭
 
バス停神田橋下車。南の市道を東へ進む。一川橋の西詰めの三又を南へ進む。高速道路の函渠を潜った
先、二本目の道路を左折する。相川を渡る橋は道路幅より若干狭い。先に右折、次に左折して更に南東へ進む。
左に三つ目の丁字路を見送ると水田の三又、右南へ進んで水田の谷、左岸から右岸へ変わる。突き当たりの
フェンス扉に天羽城跡を案内する標識がある。
 扉を開閉して谷の左岸を進む。土手を左折、右岸の山裾を進む。林の中を進むと堰堤と思われる地形を南へ
進み、尾根先に取り付く。尾根筋の左右を巻き変えながら高度を上げる。左下の谷から別径がありそうに見える
が、尾根筋を辿る。1.5メートルほどの四角い穴がある。井戸だ。浅い鞍部を経て一登りすると塚状のピークに
突き当たる丁字路に出る。今までの径を谷田堰とする標識がある。
 右南へ進むと僅かで東へ下る尾根筋との分岐点・下堰分岐がある。下らない事。
 左北側は尾根筋の上下を繰り返して第二郭の東側南の分岐、北の分岐を経て主郭へ至る。

D−3 天羽城跡登山口から登り南北尾根との合流点。左へ進む。右端に標識がある。

E南側から
 バス停神田橋→0.10←一川橋の西詰め三又→0.10←相川11柱分岐→0.05←相川の小橋
→0.10←
三つ目の丁字路→0.05←水田の三又→0.05←天羽城登山口標識→0.05←
道路終点(谷田堰)→0.10←石田村入口岩喰み株の分岐→0.10=0.05←低い尾根径→0.10←
尾根筋の分岐※→0.10←堰方面からの合流二本→0.10←東分岐(西丁字路)→0.20←主郭
 低い尾根径→0.20←「南峠」→0.05←御嶽山と鹿原を結ぶ分岐のピーク
 低い尾根径→0.10←御嶽山と鹿原を結ぶ分岐のピーク
 バス停神田橋下車。南の市道を東へ進む。一川橋の西詰めの三又を南へ進む。高速道路の函渠を潜った先、
二本目の道路を左折する。相川を渡る橋は道路幅より若干狭い。先に右折、次に左折して更に南東へ進む。左
に丁字路を二回見送って、水田の谷の道路を進む。
 道路終点からフェンス扉を開閉して谷田堰の左岸を進む。溜め池が川のカーブに変わった位置で細い河流を
右岸へ渡る。右下に河岸の湿地を見下ろしながら右へカーブ。谷の地形を左岸方向へ横切ると、左右に大きな
岩が多数見えてくる。岩の上に根を張った株の正面を左寄りに径を辿る。「石田村」という。奇岩と言うほどでもな
く、径を狭めるほどでもない。「低い尾根径」に達する。
 「低い尾根径」を直進すると一部石の積まれた低い土手左右には平地が広がる。左手は平らな凹地で広大ヌ
タ場になっている。降水量の多いときは水没するようで、下草が汚れている。これは直径が南北300メートル、
東西400メートルになる円形凹地の中央東寄りだ。基盤地滑りによるものだそうだ。杉林の緩い斜面に変わり、
東寄りの山裾に溝径が現れる。倒木と下生えのため通行は出来ない、僅かに径を外して踏み跡を求めると凹地
南端、東寄りの峠に至る。別項ではこれを〔南峠〕とした。
 「低い尾根径」を左折すると溝径、尾根径になる。この尾根径が先ほどの凹地の土手になっている。殆んど水
平な径の右手が盛り上がり、尾根径が右側に※分岐している。これを進むと狭い尾根筋に登り着く。東西共に深
い斜面だ。南へ進むと10分ほどで御嶽山と鹿原を結ぶ尾根筋、分岐のピークに達する。ここは展望がいい。東
の尾根筋は鹿原に続くが、左右絶壁の痩せ尾根とゴジラの背で、通行は危険だ。西へ進むと前述の〔南峠〕だ。
 尾根径が右側に※分岐している箇所を左側へ小枝をかわすと、若干下りの細い径が現れる。風化した岩の水
平路になり、右へ尾根先を曲がった先は幅広い水平路になる。左後ろ下、右後ろ上からの狭い合流がある。丸
い岩が隠れた尾根筋になって、左右に分岐がある。苔の緑が目立つ岩の分岐では、左西側へ誘われやすい径
型だが、右東寄りへ進む。小さくコブを巻いて痩せ尾根通過を繰り返す。
 痩せ尾根北端で正面の岩壁を右へ巻くと、右下に上堰からの小尾根の直登路が合流する。不入斗堰という標
識が有る。その直ぐ北側では「退避場南」からの登路が合流する。登った尾根筋の直ぐ北側は●102の低いピ
ークで、東側を巻く。(ピークへは往復でルートに戻ること)その後も小さくピークを巻く尾根には東へ下る分岐と
その直後西丁字路がある。笹の被る狭い尾根を進む。
 正面左は岩壁の下の径第二郭の南辺、第三郭を経て花輪へ至る径だ。やや下生えが多い。右側はこのピー
クの東を巻く径だ。中央のピーク直登は僅かでコンクリート杭の転がる頂上に至る。ここが第二郭で北東角が「虎口」とされる小さな切り通しだ。右側の巻き径が西側からの径と合流する。(岩壁の下の左の径は西側でこの径
と合流し、狭い痩せ尾根を経て、第三郭方面に繋がる)
 北側へ進んで主郭に至る。
 谷田堰の上部、地形図では右岸側に黒破線が引かれている。ここでもかつてその径を紹介していたが、削除
した。片手切り(山梨、勝沼)以上の危険径だ。下りの時、左岸へ渡る分岐点、右岸のまま進む径が北へ続いて
いるので注意。左岸へ進むこと。

D 主郭東側の急坂下の鞍部。その南側は岩壁だ。

F東側から(1)
 バス停天神山入口→0.20←十字路→0.20←カーブ地点→0.05←上堰(左岸側)→0.05←
尾根筋東側の合流点(南寄り)→0.10←東分岐(西丁字路)→0.20←主郭
 バス停天神山入口下車。国道のバス停直ぐ西側で南西斜めに取り付く道路へ進む。丁字路(東電柱長崎
110柱)を西へ進み、川田橋を渡ると桜の植樹に囲まれた六所神社の杜が見える。社殿の南東側の御神木が
大きい。スダジイ、幹周り4.3メートル、樹高19メートル。ほか20メートルほどの喬木が参道を覆っている。西
側の大きな平屋は天神山コミュニティーセンターで南側に消防団の倉庫を隔ててアスファルト舗装の前庭が広
い。ここから南へ向いた道路は十字路に出る。
 南側の道路は若干東に寄っている狭いもので、丁字路の感じもする。製材所の北側には諏訪神社がある。白
いガードレールの橋を渡った谷右岸の道路はコンクリート舗装、砂利道、アスファルト舗装、再び砂利道と変わ
るが、その終点まで轍が薄く残る通行しやすい奇麗な道路だ。
 東側の小尾根の迫る幅広い切り通しがある。一個目では岩壁に龕の穿たれているのが見えるが、中は空だ。
二個目の切り通しは岩を登る岩段が見られ、立方体に切られた横穴がある。その後、道路は東側からの小尾根
のため右カーブ、左曲がりする。この附近から西側の谷が狭くなる。
 道路は谷左岸にかわって、西側の山裾を進む。奇麗に刈り込まれた道路、退避場の南側には栗の木の切り
株がある。西側の斜面に樹木が少なく一段上の水平な台地も見える。その後、西側からの枝沢はパイプの土橋
で通過する。そのわずか先で水音がうるさい。道路が尽きた堰の放水箇所だ。
 ここから西側の山は岩肌で取り付けない。南へ廻り込んで狭い踏み跡を繋げて尾根筋へ無理登りする。緩や
かな幅のある小尾根に変わり、途中、二回のタワを経て西へ進む。南北尾根筋の東巻き径部分に出る。不入斗
堰の標識がある。左南へ巻けば岩壁を北側に置いた痩せ尾根に出る。尾根筋と西側巻き径の奇麗な水平な径
が繋がる。右北へ巻いて「退避場南」からの径を合流させ、●102ピーク南の尾根筋、下堰跡からの東分岐・天
羽城登山口からの西丁字路、第二郭を経て主郭へ至る。

G東側から(2)(通行不能)
 バス停天神山入口→0.20←十字路→0.20←カーブ地点→0.05←退避場南→0.05←
尾根筋東側の合流点(北寄り)→0.10←東分岐(西丁字路)→0.20←主郭
 道路が谷の左岸にかわって、西側の山裾を進む。奇麗に刈り込まれた道路の斜面の西側には退避場が造ら
れている。その南側の路肩には栗の木の切り株がある。西側の尾根先の斜面に足元を選んで高度を上げるの
だが、実際は通行不能の危険な登りになった。一段上の水平な台地へ上がる。まだ下には道路が見える。尾根
筋を辿って僅かで南北尾根筋の東巻き部分に出る。
 右寄り直進すれば尾根筋にかわって北へ向く。●102ピーク南側の尾根筋で、東分岐・西丁字路、第二郭を
経て主郭へ至る。左に進めば左下東に下りの小尾根(上堰からの径)を眺める。
 退避場が出来るまでは緩やかな斜面の下生えをかわして楽に進めた。

I 鉄板の敷かれた橋らしくない橋で枝沢を渡る。右手には幅広い水田の谷が見える。

H下堰跡から(通行不能)
 バス停天神山入口→0.20←十字路→0.20←カーブ地点(下堰跡)×→0.15←
尾根筋(東分岐・西丁字路)→0.20←主郭
 谷左岸を南下する道路の二個目の切り通しには岩を登る岩段が見られ、立方体に掘られた横穴がある。そ
の後、道路は東側からの小尾根のため右カーブ、左曲がりする。ここの附近から西側の谷が狭くなる。その西
側の浅い谷の向こう側には尾根筋が間近に見られる。ここから道路を離れ、竹薮の塊の南端を目指して平地
を進むと竹の薄いところから水流に出る。
 埋田川を渡った先はぬかるんだ湿地で、足をとられて進めない。これは道路を外れた位置から川筋も含めて
左岸の山裾までが、不入斗(いりやまず)下堰の跡地なのだ。この附近、水色のコースサインがあった。(湿地)
を渡る工夫か、水流の中を進まないと、径は繋がらない)
 尾根先に取り付いて右下に右俣枝沢の水流が見下ろせるようになると径は傾斜を得る。中央の尾根に桜の株
が目立つ左右の分岐では左へ登る。岩の痩せ尾根に登りついてからは尾根筋の径になる。左巻きの径から尾
根筋に登りつく。倒木が多くなった。
 右北側へ一歩進むと塚ほどの盛り上がりを左へ巻き、「天羽城登山口」からの径との西丁字路がある。笹の覆
う尾根径を進んで第二郭を経て主郭へ至る。
 下堰が渡れないので、事実上使えない径だ。

I鉄板橋から分岐して(通行不能)
バス停天神山入口→0.20←十字路→0.35←左岸の枝沢→0.45=0.40←主郭
バス停天神山入口下車。六所神社、天神山コミュニティーセンターから十字路に出る。南側の道路を進む。製の
先、鉄板の敷かれた橋らしくない橋で枝沢を渡る。右側には幅広い水田の谷が見える。ここで道路を離。右側の
山裾に径がある。山際には細い水路も見える。これが径なのだが、もう手入れされていないのでえが多い。左側
本流との河岸側は杉林、遺棄水田が入れ替わる。杉林なら下生えは少ないが倒木が多。遺棄水田なら笹竹が
繰り返し覆って、通行は困難だ。それでもかなり進んだ先に平らな岩場があって一息箇所がある。その先も笹竹
を漕いで枝沢を渡る。ここから尾根先に踏み跡が繋がる。尾根筋は最初こそ緩やかだが、急な登りにかわる。
下りのとき左右に下りの尾根があり、右を下る尾根にな肩のピークではとりたてて目印がない。その後、狭い急
登を繰り返す。ピークにコンクリート杭のある箇所のは壁で進めない。右へ谷の上部を細いトラバース踏み跡を
辿って北向きの尾根筋に廻り込む。北側にはい鞍部を挟んで圓正寺の北側にある山容が大きい。南側へ急登
してピークを右へ廻って鞍部を上下する。急な登りをすると主郭の円い平地の北東角の一角に出る。
この径は狭い急な径を繰り返すことなど、お薦めできない。       房総丘陵 1000