水室山 1320

全般                房総丘陵1000
 県道182号線上畑湊線には、交通の便が事実上ありません。上総湊(かずさみなと)駅からタクシーかマイカー
の利用になります。または、若干の舗装道路歩きが、アプローチに加わります。

 JR内房線上総湊駅下車。戸面原(とづらはら)ダム行きバス乗車。便数は少いが、利用は可能だ。バス停六野
(むつの)下車、県道182号線を南へ進むと、名水滝の不動尊への最初の分岐に出る。又は、バス停田原(た
ばら)入口下車。南へ進むと県道182号線に合流し、名水滝の不動尊への最初の分岐に出る。以下、この県道
を、南へ進む。

@銘水 滝の不動尊 水汲み場

@銘水 滝の不動尊
 バス停六野→0.15←直売場の分岐点→0.15←滝の不動尊
 バス停田原入口→0.10←直売場の分岐点→0.15←滝の不動尊
 国道465号線から県道に入ってまもなく、「滝の不動尊」の看板が見える。右手に曲がるところには農産物の
直売場が開店している。県道の総丘(そうきゅう)ゴルフ場の入口に近いところにも看板がある。これら二つの道
路が合流する所からは道路が狭くなるので、マイカーの時はもちろん、徒歩の時マイカーとのすれ違いの時、十
分注意しよう。
 水汲み場が見えても出来るだけ奥に車を進める。駐車場は決して広くはないが、うまく回転できるように工夫さ
れている。不動堂のある山の石段より手前の山の裾から清冽な水がどんどん湧き出ている。樋が引かれて池の
上の桟橋に人が並んで、大小のボトル、タンクに水を入れている。水質検査の分析表も張り出されている。周囲
には諸仏の堂が並んでいる。一番出入口に近いところにはトイレも設置されている。
 石段の上には不動堂がある。かなり古いものだ。

A水室山 △215.4 (みむろやま)
 頂上には、やや大きめの石祠が一柱建ち、小さな石祠が転がっています。いずれとも分かりませんが、浅間祠
と八大竜王祠です。遠方から山頂のアンテナが見られます。
 A−1 ゴルフ場への道から
 バス停六野→0.15←(バス停田原入口→0.10←)直売場の分岐点→0.05←
滝の不動尊への南側の分岐点≒ゴルフ場分岐→0.10←溝径分岐→0.15←山中の民家
→0.15=0.10←水室山
 滝の不動尊への分岐の僅か南側で県道は左にカーブするが、総丘ゴルフ場への道路が直進している。上り坂
の道路が左右にカーブする東電柱田原155柱の僅か先、左側の崖に山道が口を開けている。Zカーブをして高
度を上げる径は左右の壁が高い。これが明るくなると6番ティーグランドの僅か下で左へ曲がる。尾根筋を左に
外した径には黄色と黒のロープが張り渡されている。尾根筋を歩くようになり、小さく鞍部を越えると、左側に山
中の一軒家が見える。地上デジタル放送のアンテナ設置のため、藪の中の急坂は大きく切り開かれた坂径にな
っている。傾斜が緩むと幅広く伐採されて裸地ばかりの山頂に出る。アンテナ塔と施設の建物が目立つ。大き目
の石祠は太い木の切り株の脇で雑草に囲われている。八大龍王を祀ったものだと聞いた。小さな手水石もあり、
明治33年・1900年と刻まれている。小さな手水石もあり、明治33年・1900年と刻まれている。三角点も施設
の脇にある。
 建物の左後ろに当たる方向の東側のマテバシイの株の大きい尾根筋が東側の下山道だ。

 A−2 岩本橋の西詰めから(1)
 バス停六野→0.15←(バス停田原入口→0.10←)直売場の分岐点→0.05←
滝の不動尊への南側の分岐点≒ゴルフ場分岐→0.10←岩本橋西詰め壁龕の分岐
→0.10=0.05←畑の左折箇所直進→0.10←山中の民家→0.15=0.10←水室山
 岩本橋の西詰めの北西側、山の斜面がセメントで固められている角、山の斜面に穴が穿たれて地蔵像と青面
金剛像とが並んでいる。ここから西側、細いコンクリート舗装の道路に入る。坂道は右に二本、左に田畑の中へ
分岐する未舗装道路がある。これらを見送ると急傾斜になる。左側に民家があり、尾根筋に出る。左側の急登
の切り開きは地上デジタル放送のアンテナ設置のため樹木が伐採されたものだ。これを登ると水室山山頂に至
る。

A 山の斜面がセメントで固められている角、山の斜面に穴が穿たれて
地蔵像と青面金剛像とが並んでいる。その後小像はなくなった。

 A−3 岩本橋の西詰めから(2)
 バス停六野→0.15←(バス停田原入口→0.10←)直売場の分岐点→0.05←
滝の不動尊への南側の分岐点≒ゴルフ場分岐→0.10←岩本橋西詰め壁龕の分岐
→0.10=0.05←畑の左折箇所→0.25=0.20←水室山
 岩本橋の西詰めの北西側、山の斜面に地蔵像と青面金剛像とが並んでいる。西側、細いコンクリート舗装の
道路に入る。
 坂道は右に二本、民家・倉庫へ行く道が分かれる。その先、左側、田畑の中へ分岐する未舗装道路へ入る。
(東電柱上後328柱)カーブして林の中に入るとすぐ分岐があるが左直進で進む。林が途切れると右側が広が
るが、その一歩手前で左側へ向かう細い山道を求める。最後の電柱より手前だ。Sカーブした径は小枝に塞が
れる径になるが、細い踏み跡が続いている。二回、二又の分岐があるが、どちらも左側へ分岐を選ぶ。
 二度目の分岐のすぐ先で、藪径からマテバシイの急な尾根筋になる。枯葉に注意して急な尾根を忠実に登る。
この急坂が緩やかになると、右側に尾根が緩やかに取り付く。左側直進の踏み跡は下りになるので、ここでその
尾根、右後ろへ折れるように曲がる。僅かな登りで手前のピークに達するが、もうひと登りで、地上デジタル放送
施設の建物の裏手に出る。北へ建物を巻くと三角点があり、切り開かれた裸地の中、太い木の切り株の脇、草
に隠れるようにやや大きめの石祠がある。

 A−4 中ノ谷橋から
 岩本橋西詰め壁龕の分岐→0.10←中ノ谷橋南詰め→0.05←作業小屋→0.30=0.20←尾根先
→0.10←水室山
 県道を更に南へ進み、岩本橋を渡る。橋の下流には手洗いの水を思わせるチョロチョロ水が滴り落ちている。
その受け口が丸い穴になっている。滝ではなく天然記念物だろう。
 中ノ谷(なかのやつ)橋南詰めで西へ進む。最初の三叉は左へ進む。道路脇の奇岩がガマを思わせる形をし
ている。左側に狭い径が数本分岐している。左側に作業小屋がある。脇を抜けてその裏へ廻る。竹薮の外れか
ら尾根筋を目指す。明瞭な踏み跡は無い。尾根筋に達すると踏み跡が濃くなる。
 作業小屋の前を進むと竹薮の先に左分岐がある。これに入り、畑の左端を進んで奥の山裾に見える露岩の壁
を目指す。その脇から曖昧な踏み跡を辿って、尾根筋を目指す。
 尾根筋は急登の狭い径になる。この径では珍しい倒木の先で水平に右へ巻く径になる。ゆっくり高度を上げ
る。左側の尾根筋へ登る。幅を持った水平な尾根が西へ向いている。小さく登ると拝所を思わせる岩壁前の平
地に出る。祠も石仏もないが、あってもよさそうだ。そこからは更に幅広い尾根筋になる。右北側から曖昧な踏み
跡を合流させて小ピーク小鞍部を経て頂上のアンテナ施設の脇に出る。

A 三角点とやや大きめの石の祠のある頂上。  この景色は過去のものになりました。

 A−5 熊野神社附近から
 岩本橋西詰め壁龕の分岐→0.10←清吾橋北詰め→0.40=0.30←尾根先→0.10←水室山
 次の中ノ谷橋を渡ると、清吾桜の札が道路わきの桜に取り付けられている。右側の山は木々に隠れた崖にな
っている。小さな十字路を右西側に折れる。清吾橋のわずか北側だ。地理院の地図ではトンネルになっている
箇所は岩肌のきれいな崖の切り通しで、左側には岩壁が穿たれ三体の地蔵像が並ぶ。道路右側崖の一番手前
にはこの尾根先から尾根筋に向かう山道があって、白いパイプのガードがある。急な斜路で、これを手摺にせね
ば上れないほどだ。
 道路を進むと右側の新しい石柱に熊野神社とある。参道の奥に質素な社殿があり、その左側には月山三山碑
のほか大日如来坐像が並ぶ。
 白いパイプの斜路は階段を手摺に頼って登るほどの急傾斜だ。直ぐに水平な径になる。山の林に入るところ、
二又があるが左へ溝径を選ぶ。倒木があって通行には工夫がいるが、全体としては緩い傾斜のいい径で、直ぐ
に尾根筋の径になる。
 若干草木の被りがあるが、尾根筋には確実な径が繋がっている。テレビアンテナのメンテナンス用かもしれな
い。尾根筋上の塚のような小ピークを巻いたところ、左下に下ると峠状の地形になる。尾根筋の左を巻く水平の
奇麗な径が有るが、右側には尾根筋が突き上がり、獣道程度の踏み跡を見せている。その尾根筋に入る。小枝
をかわす急登には細い踏み跡が続く。獣道程度の踏み跡を辿って急斜面を進むと、右上の尾根筋に出る。幅の
ある気持ちのいい水平な尾根筋が西に繋がっている。坂を登ると更に幅広い尾根筋になり、右側合流を経て山
頂に至る。

 A−6 御嶽山へ(北側から)
 志駒の御嶽山へは吊り尾根で繋がっています。御嶽山からのルートは別項で案内しますが、水室山からの逆
コースの一部をここで紹介します。
 水室山→0.20←馬蹄形尾根の岩塊→0.30←Vターン→0.20←御嶽山
 水室山山頂から南へ緩く下る幅広い尾根は浅い鞍部から狭い尾根筋に変わって右へ曲がって、東西尾根の
山頂になる。
 南側には下生えの少ない急斜面がある。木の根も岩の頭もなく、土の斜面にキックステップもきかない。この急
斜面を下るのはやや危険だ。この斜面の下方では西側に並行して浅い溝径がある。
 又、東西尾根の山頂を西端まで進むと、その下方にゴルフ場のグリーンがある。この端部で南へ段状の斜面
を下る。竪堀状になった幅広い溝径が山へ突き当った部分だ。下るにつれて浅い溝径は傾斜を緩める。
 溝径は緩く下っているが、右西側へ一段高い位置の小幅の尾根に上がり、南へ進む。これが馬蹄形尾根の頂
部で小幅の溝径を横断した先には3メートルほどの岩塊がある。右側が馬蹄形の谷で杉の林の中に先ほど横断
した径が曖昧に見える。右側に杉林、左側に自然林の生え分かれを緩く下る。馬蹄形の東股だ。
 この尾根の南端、水平な平地になった箇所で平地の左肩に岩の筋径へ下る。その後は迷いの少ない巻き径な
いし尾根径で御嶽山へ進む。以下別項で順(逆)コースを案内します。

A 大木の切り株が残る裸地には草が覆う。ほとんどがぶった切られてしまいました。
  この左後ろにはアンテナ施設の建物があります。

B大塚山(関) △199.2
 大塚山ですが、同名の山が多いので(関)の字を加えます。
 B−1 姥石から(地蔵堂コース)
 バス停姥石→0.15←入山口→0.20=0.15←尾根筋(御大日の台)→0.10←
薬師堂径分岐(崩落北尾根筋)→0.05←犬岩分岐→0.10←幅広尾根筋→0.10=0.05←
大塚山
 JR内房線上総湊駅下車。戸面原ダム行きバス乗車、姥石(うばいし)下車。新道が南側に出来ている。商店
の西側の道路で左折する。大田和橋手前下流側には「姥石」がある。橋を渡ると道路は更に左折して斜面を上
るが、正面の細い急な坂径を上れば畦道に出て、そのまま道路に出る。道路は右折して、山神社(さんじんじゃ)
と大田和集会場の脇を抜ける。次の二又を左に進むと、カーブして水田を抜ける。左側の谷を挟んで登り口が
見えている。道路を進むと、崖に階段があり、地蔵堂がある。ここは左にカーブする。地蔵堂への斜路があり、
これを見送ると右側に幅の広い登山道がある。
 登山道入口の左側には岩の階段がある。登ると不動明王像と湯殿山権現の石碑が並ぶ拝所がある。僅か
離れて石祠もある。これらは地元では「てんのう様」と呼ばれている。そのまま尾根筋を進んでもいいが、獣道
程度になるのだ。階段の下の登山道を進んだほうがいい。二つの横穴は中で繋がる回廊のようだがライトの
用意の無い場合入らない。Sカーブを一回した尾根径が水平になると笹が勝る。痩せ尾根から尾根筋を右に
巻きながら、緩く下り右へ曲がって行く。この附近に御大日の台と呼ばれるところがあるらしいが不明だ。左側
の山に小さな祠がある。右巻きの径が三つ目の谷曲がりを下のち小尾根に登り着く。左折してこの尾根を上
る。尾根筋は左右に巻き、痩せ尾圓を進む径を繰り返す。大きな崩落があって尾根筋の左下の径が倒木の
下になっている。薬師堂からの径が合流している箇所だ。倒木の根の上を進む。尾根筋に出ると境界標が見
出標と共にある。番号が消えたのか書かれていないのかはわからない。正面のピークの右斜面が岩肌に見え
るところでも左に巻く。ここには何のコースサインもないが右巻きは更に右カーブして尾根筋を下り、犬石方面
へ繋がるものだ。本尾根筋を進んで巻き尻の狭い尾根で、犬岩方面からの奇麗な合流径がある。黒プラスチ
ックの杭以外何の人工物が無い。
 低い盛り上がりの幅広い尾根筋を緩く左へ曲がる。急斜面に面するとか黄色のロープが張られている。これ
に従い薄い踏み跡の斜面を直登する。三角点標と山名の標識がある。別の2方向に、小尾根筋があるが、こ
れらには進まないこと。山頂の標高は200メートルにも満たないが、周囲の樹木の中にモミツガ類の針葉樹が
みられる。
 姥石(ばあいし とも) 砂岩八角形をした大石。高さ1.2メートル、周囲は8.5メートル、外径2.4メートル。
中央に穴があいている。深さ0.4メートル、直径0.7メートル。用途など不明。県道に看板がある。 

 B−2 楠鐘橋から(犬岩コース入口)
 バス停楠鐘橋→0.15←道路終点
 
バス停楠鐘橋(くすがねはし)下車。橋は更に南側にあるが、新道に旧道が合流する関ポンプ場の角から東
へ折れる。取り付き点の旧道の更に右側の道路へ進む。この道は左へカーブしていく。左側に登りの石段二本
と鳥居、右側に下りの石段がある。左上には普門寺と八幡宮がある。直進して丁字路を右折してもいい。また
は右側の石段を下る。未舗装道路を右へ進むと「防火水利」の標識がある。木造家屋の手前、左下への狭い
径を下る。擁壁の下の径だ。岩を刻んだ階段に変わって左岸に着く。貝がら坂切り通しだ。右側上流には「犬
岩」がある。ワイングラスのように中間部の細くなった独立した岩塔だ。水流の浅いところを選んで右岸へ渡
る。犬岩に着く手前で狭い堀割状の階段があって、これを登る。草の斜路に変わって水田の脇に出る。道路
の終点で民家の門前だ。(狗石)

B−1 この時は草ぼうぼうの姥石、その後とても奇麗になりました。大きな看板も
あります。

 B−3 神徳入口から(犬岩コース入口)
 バス停神徳入口→0.20←道路終点
 
バス停神徳入口は水準点のすぐ南側で、ブロック塀を覗くと、畑になっている民地の中に点標がある。バス停
から南へ進んで犬岩の看板のある十字路を左へ入る。左側は水田で右側は山の崖だ。右手の山の中には根
上がりしたケヤキの大木が見られる。この道路が民家の脇で突き当たった附近看板と金網がある。右側に「防
火水利」の標識もある。更に未舗装道が下っている。この道は狭くなって右下の岩の川原に下りる。馬堀坂切り
通しだ。足元は岩を刻んだ階段のところも有るが滑りやすい斜路で川原の右岸に着く。右下流側には「犬岩」が
奇怪な姿を見せている。川原を下流へ進むが、慎重に浅いところを選んで右岸へ渡る。犬岩の陰、右岸の崖に
涸れた小滝が見える。左岸に斜路の見える反対側右岸側に狭い堀割状の階段がある。これを登ると、道の終
点で民家の門前に出る。

 B−4 地蔵堂下の分岐から(犬岩コース)
 バス停姥石→0.15←地蔵堂下分岐→0.10←道路終点→0.30←尾根筋(犬岩)分岐→0.10←
幅広尾根筋→0.10=0.05←大塚山
 バス停姥石から進んで地蔵堂の石段の手前に出る直前、右側に舗装道路が分岐して下っている。切通しを抜
けると水田が広がっている。左へ曲がって道路を進む。この道路の終点で右手の水田側は下りの草の道にな
る。左側は民家の門だ。正面はコンクリートの斜路だ。
 コンクリート舗装の斜路へ直進する。右側には墓地があり、左側の山裾にはコンクリート製の水槽がある。ここ
に右側へ登る山道があり、すぐに尾根筋に出る。右へ数歩進むと川と犬岩を足元に眺める崖の肩に出る。この
尾根筋では左へ折れて進む。右下の谷は犬岩の陰にある涸れた小滝のものだ。緩い尾根筋は船の舳先のよう
に岩の切り立った下に出る。右へ巻く。枝をかわして左側に山の崖をおいて進めばすぐに尾根筋の鞍部に達す
る。
 ここは上部からの溝径が左右に分岐する箇所だ。下りの時、左を選んで右側の山に沿って進めばいい。右へ
進むと岩の溝径に変わって、登り口にあった民家の敷地内玄関先に出ることになってしまう。
 岩段を登ると左側の岩壁への分岐がある。岩壁の横穴には祠と青錆びた鈴がある。岩段の尾根を外して右
側へ水平に廻り込むと先程からの谷の源頭部やや下で一本右側の尾根筋に出て左折する。この尾根には下り
方向の薄い下生えの中にも踏み跡があるので、逆コースのときは右へ曲がる浅い溝の踏み跡に従う。この尾根
を進むと刈り込みのいい尾根筋になり境界見出標の目立つ尾根になる。左側の展望がいい。鹿野山の山並み
が複数回眺められる。
 正面の草の薄い急登の尾根は分岐なのだが、これを登ると左へ巻いて地蔵堂・薬師堂からの尾根筋径に合
流し、鋭角右折する。あえて急登を登ることはない。右側に水平路が分岐している。緩い上りの径で、本尾根が
痩せ尾根になったところに合流する。これまでの方向へ進む。
 低い盛り上がりの幅広い尾根筋を緩く左へ曲がる。ロープの張られた急斜面を直登すれば大塚山だ。

B−1 左手に岩の階段がある 登ると不動明王像と湯殿山権現の石碑がある。

 B−5 薬師堂から(薬師堂コース)
 薬師堂はかつて岩壁に掘り込まれた壇のある半洞窟に堂を造って石仏を奉っていました。今は一歩前に出さ
れた位置にお堂が新築され、堂の後ろではかつての仏壇が見られます。石造薬師如来立像は両手で胸の前に
薬壺を抱いています。
 バス停環駅→0.30←東大和田分岐→0.30←高溝・宇藤原分岐→0.10←薬師堂前
→0.35=0.30←本尾根筋→0.05←犬石分岐→0.10←幅広尾根筋→0.10=0.05←大塚山

 バス停環駅より国道465号線を粟倉方面、東へ進む。東大和田で右へ分岐する。東電柱236柱の立つ分岐
では右直進へ。曙橋、左手に石段がある箇所が薬師堂でこの先で道は左にカーブする。薬師堂の前、石段の反
対側に西側へ斜路がある。僅か離れた二箇所の左右どちらも直ぐ合流し、分岐する。左は溝径、右はその上の
斜面の径、じきに合流する。
 急坂になった径は岩を刻んだ段径で続く。尾根筋を左へ巻く箇所からも又登りの径が続く。小ピークを左に巻
いた先から水平痩せ尾根と小ピークの登りを繰り返す。痩せ尾根は人工的な感じがする。径のタワミを経たのち
尾根筋を左へ巻き、小ピークからの小尾根先を乗り越える。緩く上った鞍部では崩落の斜面を見る。地蔵堂方
面からの本尾根との合流点だ。左側の奇麗な巻き径が倒木の下に隠れている。倒木の根上を進む。尾根筋の
左巻き径と巻き尻鞍部を繰り返し、犬石方面の径との合流ののち、低い盛り上がりの幅広い尾根筋を緩く左へ
曲がる。ロープの張られた急斜面を直登すれば大塚山だ。

 B−6 石山から
 バス停石山の北側の道路は産廃業者の道路で、この道路を進むことになるので、進めない。かつては南側か
らも登山道があったようだ。
 多方向からの登路(地蔵堂コース、犬岩コース、薬師堂コース)も山頂西側、低い盛り上がりの幅広い尾根筋
で一本に絞られる。一方山頂には南東方向と北方向に明瞭な踏み跡がある。南東の径は土取り場の南側の境
界尾根で消える。北側の径も僅か進んで下生えの小枝に進路を阻まれる。どちらも進んではいけない。
 表の道路をやや南へ進むと滝見橋があり、橋の上から上流側右岸の垂壁に奇麗な滝が見られる。道路を南
へ進むと川面に下りられる径がある。湊川の左岸から進み、正面に喜与志の滝が見られる。当然ながら増水時
は湊川に降りないことだ。

 B−7 山倉山 ○70
 地蔵堂の南側に小さな山があります。
 バス停姥石→0.15←地蔵堂下分岐→0.05←山倉山
 バス停姥石から進んで地蔵堂の石段の手前に出る直前、右側に舗装道路が分岐して下っている。切通しに入
ると西側の急斜面に岩段がある。幅はやや狭い。急登はジグザグに折れたあと左右に分岐がある。いずれも高
い方を選ぶ。僅かに切り開かれた平地が頂上だ。東側の民家の裏山で電気牧柵がある。

B−1 登ると不動明王像と湯殿山権現の石碑がある。

C関尻浅間山 浅間神社  ○140
 バス停姥石→0.05←赤い鳥居→0.15=0.10←浅間神社
 バス停姥石から北側へ戻ると、道路、西左側の一段高ところに田畑があり、斜路と参道が取り付いている。コ
ンクリート製の階段の上には赤い鳥居がある。その鳥居の脇には水準点もある。緩い斜路は木段の階段になっ
て急になる。水平な広場に出ると左方向にやはり赤い鳥居と石の祠があり、昭和31年・1956年再建と彫られ
ている。その右側に広い踏み跡が緩い傾斜で南へ延びている。狭い道になって傾斜が付き、階段になると赤い
鳥居と石祠がある。この付近からは北側の展望がいい。
 ここには地蔵峰につながる田取林道への尾根径がある。

D関尻浅間山から峯上城跡へ
 バス停姥石→0.05←赤い鳥居→0.15=0.10←浅間神社→0.15←分岐点(西巻分岐)
→0.40=0.35←七堀切→0.10←峯上城跡
 やや細い丸太で出来た鳥居の附近から南へ下生えを分けて急な傾斜の先を見ると痩せ尾根に踏み跡が続い
ている。小さく上下を繰り返す尾根筋は疎らな笹に覆われているが、西側の展望がいい。急な岩段を下った痩せ
尾根からはこれまでの尾根径の西側が白い岩の垂壁の上だったのが眺められる。尾根筋とコブを小さく巻く径
に倒木が若干増えて西側に巻いたところに西側の尾根への分岐がある。色違いのコースサインが複数ある。
 西側の径は狭いが確実な踏み跡が続く。岩の段から始まって、ややまとまった登りで高度を上げる。登りつい
たピークは右に巻き、その後も緩い登りが続く。緩く下り始まると右後ろ左後ろからの合流などがある。小さな盛
り上がりに対し左右に薄い巻き径があるが、正面の直登を選ぶ。その径もやや左にそれると、東寄り1番目の堀
切の入口に出る。
 堀切の南入口の前を右寄りに狭い径を進むと連続して堀切の入口を見る。左寄りにやや低い位置にある歩き
やすい径は進まない。東寄り6番目の堀切で北へ抜けると左側に根曲がりの木がある。小さく下ると正面に狭い
堀切形の径と左側に下生えの平地との分岐に出る。6番目の堀切の前の径を更に西へ進む。大きく右に曲が
る。平地に出るが右側に幅広い堀切があって、この堀切を抜ける。急斜面を下って狭い堀切状の右と左側に下
生えの平地の分岐に出る。
 低木や下生え類の多い平地の左端、山の崖の斜面に進めそうな箇所があり、コースサインもあってこれを進
む。根小屋かと思わせる、わりと奇麗な平地に出る。更に西側が高く緩い斜面を結んで右寄りに進むと石祠の並
んだ斜面、石碑の建つ山道に出る。左へ登ると環神社=峯上城跡主郭、右へ進むと農地と、今も御子孫が住ま
われる二郭、三郭に至る。
 低木や下生え類の多い平地左へコースサインに従って竹が通行を妨げる茂みを縫うと二郭の農地の端に出
る。左手に轍を追って環神社=峯上城跡、右へ進むと農地の脇をぬけ、今も御子孫が住まわれる屋宅の庭先
に至る。

B−2 「犬岩」がある。ワイングラスのように中間部の細くなった独立した岩塔だ。
     狗石とも

E峯上城跡 ○130 七堀切
 バス停上後→0.20←環神社=峯上城跡→0.10←七堀切
 上総湊駅下車。戸面原ダム行きバス乗車、上後(うえご)下車。南へ曲がって駐在所の前の道を進む。峰上
(みねがみ)地区公民館のところで右折する。小さな川を渡ったところにある公園には道路側に面して教育委員
会設置の峯上城跡の説明看板がある。右へ曲がって林の中の道に入ると民家がある。民家への道との十字路
で左へ曲がる。道路は尾根筋の右側を緩く登って行く。
 鞍部のところには六地蔵が安置されている。尾根右側の道のまま尾根筋の道になる。二軒目の家がこの城の
子孫の家で、道路は尽きる。直進の山道を登る。水田を縫って山道になり痩せ尾根の先、石段を登る。石碑が
あり、更に一段上には環(たまき)神社の祠がある。石碑には武甕槌命の文字が読める。峯上城跡の主郭だ。
 下の石碑の前を通り主郭の下を進む。斜面には小石祠が二基並ぶ。東側の崖の肩に太目の木が立ち、ここ
から一段下の平地・根小屋か郭への斜路を求める。この平地の南端は切り立った崖で、西端は下生えの先やや
離れて、ホダ木の並ぶ栽培地が見える。その西寄りに斜面を求めて下生えをかわし一段下に下る。
 小木や竹の茂る平地の右端を進むと堀切の三又分岐に出る。左側は狭い急なもので、ここで言う堀切ではな
い。右側に堀切の口が開いている。これが西から数えて2番目の堀切で、更に右側の一段高いところに西側1番
目の堀切の入口が見える。西側2番目の堀切北側の入口には根曲がりの木が右側にある外、崩落の岩も枯れ
木なども無く奇麗なものだ。南側入口に巻き径が複数あって七つの堀切の南入口を結んでいる。西側へは高い
位置の巻き径を進むとかなり右へ曲がり込んで広場に出る。更に右へ曲がり込んだ位置に幅広い堀切がある。
三角形の大きな石が一個中央にある他、特徴的なものはない。北側へ進むと先ほどの第二番目の堀切の入口
よりやや高位置に出る。
 東側へ高い位置の巻き径は狭いものだが、この径で7番目の堀切入口まで東へ進む。入口の南斜面は岩の
露出した斜面なので一段下の巻き径を進むとこれらの入口を見ないで東へ進んでしまう。東寄り六つの堀切は
短い間隔で並行し、西端のものだけが「ハ」の字の様に開いている。七堀切「ナナホッキリ」の東端は尾根筋に明
瞭な踏み跡が、関尻浅間山と△140.1ピークを結ぶ尾根筋に続く。

F常城城跡 ○65
 バス停環駅→0.10←常城城跡
 バス停環駅は関尻交差点でバス停関尻とは場所が違う。国道北側、農協の脇からコンクリート舗装の道路を
北へ進む。斜路が平らになると右手は果樹園、水田になり左側に一軒民家がある。この水田の北側にこんもり
とした丘を見せるのが常城(とこしろ)城跡で南側の山裾水田との境を東へ進むと溝径になって登る。山頂の位
置はひと廻り掘り下げられて石祠が祀られている。背後にスダジイの木が一本だけ大きい。周囲は全て桧の植
林だ。

B 関の大塚山の三角点標石 秋の枯れ草の中、全体枯れ色だが、、、、。

G興源寺 環の大楠
 鹿野山や高宕山の案内の中で「バス停環駅=関尻交差点→0.30←東大和田分岐」としている国道465号
線沿いに近く巨木−興源寺の大楠がある。
 高さ23メートル。幹周り13.2メートル。樹齢600年。
 バス停環駅=関尻交差点→0.10←東郷橋東詰め→0.05←興源寺→0.05←国道復帰
→0.15←東大和田分岐
 バス停環駅=関尻交差点→0.10←東郷橋東詰め→0.05←興源寺北東側国道分岐点→0.15←
東大和田分岐
 バス停環駅は関尻交差点でバス停関尻とは場所が違う。国道465号線の方へ二又を進む。道路は狭いので
行き交う車輌には十分注意したい。酒匠の館ソムリエハウスが観光バスで客を運んでいるので、休日はこれが、
平日はダンプカーが通る。酒匠の館では各種の日本酒が土産として売られている。きれいなトイレもある。その
東側が東郷橋で、これも狭い。その東詰めで右折して国道を離れる。左側には広場があり、岩の山肌が穿たれ
た地蔵堂がある。いくつかの石仏が並び、岩の壁には人の入れるほどの大きさの穴が開いている。これが現役
の「ヤグラ」で今日も供養が営まれている。
 道路は左へカーブして左手に寺の墓地入口、表参道の斜路に取り付く。ここにクスノキの大木がある。高さ1
4.5メートルあり、根回りは13メートルもあるという。中ほどが穴になっていて主幹は枯れたのだそうだが、大き
な副幹ともいうべき幹が二本立っている。石段を登ると真言宗豊山派松嶺山吉祥院興源寺の境内だ。弘法大
師像のほか多数の石塔が並んでいる。種子による阿弥陀三尊像板碑は室町時代のものだと説明板がある。
 興源寺北東側国道分岐点の北側に入り、二つ目の石段を登ると石祠がある。右折して緩やかな尾根径を進
むと又石祠が建つ。山倉神社だ。この石祠の裏の藪の中に狭い踏み跡が尾根に続いている。興源寺北東側国
道分岐点より国道を西へ、二本目の道路を北へ入る。ゴルフ場の整備事務所の入口の看板がある。赤い鳥居
の八坂神社がある。境内にはクスの木が大きい。注連縄が張られている。
 東大和田城山砦跡はこの興源寺、八坂神社から山倉神社の尾根筋一帯だ。遺構は容易には見られない。
 東郷橋から湊川沿いの道路を北へ進むと直ぐ道滝橋がある。橋からも周囲からも見えにくいが、堂滝とか道
滝とか呼ばれる恩田川の滝がある。
 国道は狭い。拡幅工事が進行中である。係争中の産業廃棄物処分場建設予定地もこの近くだ。

H不入斗常代城跡
 バス停天神山入口→0.20←十字路→0.05←不入斗橋→0.10←丁字路→0.05←二又
→0.15←城跡→0.15←草の尾根
 バス停天神山入口下車。国道のバス停直ぐ西側、南西斜めに取り付く道路へ進む。丁字路(東電柱長崎110
柱)を西へ折れ、川田橋を渡り六所神社と天神山コミュニティーセンターの脇を抜けて南側の十字路まで行く。東
電柱天神山368柱。左折して久縄・鹿原への分岐、不入斗(いりやまず)橋を経て、最初の丁字路を右折する。
天神山188柱。左に住宅、右に水田の道路、丁字路の右分岐には太めのケヤキが立っている。ここは直進す
る。住宅地の幅広い谷の中の道路がカーブする。その二又では右直進の未舗装道路へ入る。谷筋が狭まって
径が藪に入りかけたところ、右側の斜面から小尾根の山崎が迫り、踏み跡がある。幅は獣径程だが、踏み固め
がかたい。登るに連れて曖昧になるが、直ぐに平地に出る。左側から正面にかけ、緩い斜面が盛り上がってい
る。下生えは少なく、小枝の被りも無いが、踏み跡も無い。幅広い尾根筋の南寄りが右側の肩で、踏み跡が現
れ、趣旨のわからぬ浅い穴が複数ある。左右に尾根を切る浅い溝があって、頂部に達する。反対側の斜面には
笹が見えている。
 左へ曲がって狭い尾根筋、笹薮に隠れかけた径を辿る。幅の広い下生えの無い尾根筋からSカーブして左に
曲がり、踏み跡の明瞭な古道に変わる。北東へ進んで直ぐに、草の荒れ地に出る。砂取り場の南端の尾根筋の
一角だ。右側、南東遠方にその反対側端部が見える。
 太めのケヤキの立つ丁字路で右南へ折れる。水田の脇の山裾の径を進む。水田が無くなり、山の斜面を巻く
径は左へ曲がる。南東に進む。笹薮、低木の枝に隠れた通行困難な径になる。沢沿いの棚田と思われる地形
はヌタ場になっている。小さな二俣の中間の尾根先に踏み跡があり、これを上るのだが、登り口には目印が無
い。
 不入斗橋から東へ直進。次の丁字路も直進すると右手は荒れ地の草の台地になる。未舗装道路が南東に延
びている。左右は松の苗木が僅かにあるほかは、草だけの荒れ地だ。木々を伐採すればこうして砂漠になるの
だと思わせる。右遠方には斜面の荒れた尾根筋が見える。地図の記入とは異なるが未舗装道がZカーブし、二
又は左を選び、木々の見える低い尾根筋の左端を目指す。ここには南への古道がある。古い轍が細い倒木の
下にある。ゴルフ場から水室山方面に繋がる山並の尾根径だ。左からの小尾根筋の山崎を回り込む箇所。右
下に分岐して小尾根を下る。沢筋に降りるとヌタ場と化した沢筋の棚田は小枝が被り、笹が勝って進行は困難
だ。危険は無い。
 「低い尾根筋」の右寄りには城跡からの径への入口が有る。入口にこれといった特徴は無く、草茂る尾根は判
断困難で、入りにくい。
 城館跡調査報告書にある曲輪、土塁などは単なるハイキングの通過ではわからない。

◎ 関尻の集落には大わらじを履く巨人が住んでいることを知らしめる大わらじ。
三つのうち一つ。

I春日山貝塚
 埋蔵文化財分布図によれば貝塚だということです。不入斗常代城跡のアプローチ部分を参照。不入斗橋から
東へ進んだ南側に砂取り場跡の台地の箇所があります。この東西道路の最頂部に北側への切り開きがありま
すが、藪が濃く、進入不能です。一つ西側の未舗装道を進みます。これは民家の庭先に通じる道路で、その裏
庭で低い崖の下に出ます。幸い崖には足掛かりがあり、容易に一段上の尾根筋に達っせられます。尾根筋を北
へ進んだ鞍部が東西径の峠です。北へ尾根筋を進んで直ぐのところが最高部で、幹分かれしたスダジイの太い
木と、小さな石祠があります。貝塚を示すものはありません。

J岩本峠、四等三角点岩本 △140.1
 バス停六野→0.15←(バス停田原入口→0.10←)直売場の分岐点→0.05←
滝の不動尊への南側の分岐点≒ゴルフ場分岐→0.10←岩本橋西詰め壁龕の分岐→0.10←
清吾橋北詰め(南詰め共)→0.05←道路分岐(上後184柱)→0.10=0.15←岩本峠
 岩本峠→0.10←四等三角点岩本
 岩本峠→0.30←分岐点(西巻分岐)→0.15←関尻浅間山
 水室山を目指して道路を南へ進む。岩本橋の南、清吾橋の北詰めを左折する。無名橋の先、岩壁下の商屋
の前を右折。清吾橋の南詰めから左折して来た道路が牛魂碑前の丁字路で合流する。堆肥用ハウスの東端、
畑との間から二本の松を目指す。東電柱上後184柱。本当は3本で1本は枯れている。畑地の肩の小路はコン
クリート舗装の小道になり、墓地の前に出る。左端山裾の道ではなく、墓地裏側の溝径へ入る。
 最初は笹が被る径だが、岩を削った路面は緩い傾斜で高度を上げる。左へ急カーブする箇所には安政六年
(1859年)の墓石が建つ。斜路には岩段の箇所が複数ある。正面の苔生した岩段と右折する溝径との分岐に
出る。正面の段を上がって直ぐ右折すると岩本峠に出る。右折する溝径は尾根筋南側の合流点に至る。
 岩本峠は昔からの重要な道だったようで、左右の高い掘り切り状態だ。北側の岩壁は浅く穿たれ、二体の地蔵
立像磨崖仏が並ぶ。丸彫りの地蔵像、大師像ほか風化した石仏が納められている。壁面には「開眼供養尊 真
福寺第五拾六世阿闍梨」と彫られ小畑村の信者名が像の陰に刻まれている。
 岩本峠の南側には尾根筋へ登る斜路がある。直ぐ尾根筋に達し、そこには2基の石祠が祀られている。稲荷
社のようで金属性の板鳥居も散らかっている。右後ろに岩本側からの斜路が合流し、左後ろには小畑方面から
の径が合流する。岩を回り込んだ巻き尻の先から西側に展望がある。山頂やや右寄りに三角点がある。050
 733
 小枝をかわして西側を望むと、水室山が特徴的なアンテナを見せている。

C 平らな広場に出ると左方向に赤い鳥居と石の祠があり、
  昭和31年再建と彫られている。

 岩本峠から北側へ岩壁を登ると風化した石仏がある。更に急な尾根筋を登る。鋲のある黄色いコンクリート杭
のピークに出る。ピークには左折する西方向の下りも奇麗な踏み跡なので注意する。小さくピーク、鞍部を上下し
て尾根筋を進む。ピークを左へ巻いた径が峯上城跡方面への分岐で、関尻浅間山方面へは斜面の狭い踏み跡
を辿って巻き尻を北へ向かう。
 岩本峠東側への径は緩く下っている。谷の左岸に出ると右手に尾根筋からの斜路が合流する。小畑方面へは
左岸の奇麗な径型が続くが、多数の倒木やこれらに伴う小枝が径を塞いでいるので、通行は困難だ。

K岩本峠 楠鐘橋から
 楠鐘橋側からは崩落が多くて、通りにくい。岩本峠に近い位置には奇麗な径がついています。
 バス停楠鐘橋→0.05←水田脇分岐(東電柱関198柱)→0.40=0.30←岩段カーブ
→0.20=0.15←岩本峠
 バス停楠鐘橋下車。道路の西側に小畑の看板が立ち舗装道路が南へ向いている。岩壁に穿たれた素掘りトン
ネルを抜けると直ぐ右折する。右側は一部オーバーハングを伴う岩壁で、左側は河床が遠く低い。道路の川側
は架設物で道路幅を拡げている。直ぐ東側には楠鐘橋がもう高度差を持って全容を見せている。激しい河川浸
食の地形を見せられる。右側に小さな石塔、記念標がある。道路開通を記念したもので、側面には大正6年・
1917年の文字が見える。右分岐の道路はファームへ行くものだ。
 ようやく河岸の道路周辺が開けてくる。右側にはポンプ場があり、左右に農地が拡がる。右側一段高い水田へ
の斜路を登る。東電柱198柱。その奥から山裾の薄い笹薮に入る。小幅な水田跡と畦道があって、これを進
む。山裾の径は古い水路脇の細い径になって崖の河床の一段上を進む。この細径が尽きたところ、低い段差で
露岩を見せる河床を渡る。遺棄水田の畦道を進んで左岸側の山裾に至る。上流西側へ向けて奇麗な径がある
のは左股。これを見送って更に水流を渡り、右股の左岸へ進む。遺棄水田のような低い段丘の上、更に一段登
る。山裾を目指して下生えを漕ぐ。
 岩壁に大きな横穴が穿たれ首の欠けた地蔵像が奉られている。天保年間(1830年〜1844年)のものだ。こ
の附近下生えが多い。炭焼きの窯の石組もある。右側の山からの崩落と、これに伴う倒木が度々ある。山手
側、倒木の根の附近を上下して進む。
 左下に見える沢に流れ込む細い左股の滑滝が白い水面を見せている。わりと幅広い左股を見下ろす所、径は
右へカーブして岩段を登る。斜路ばかりの径では珍しい。
 細い右股を二本渡った後、二又に出る。左を登れば峠から南へ延びた尾根筋で合流する。右側、深い堀切の
廊下を登る。右北側の岩壁に甘い足掛かりの段々がある。一段上に登れば右側に巻いて北側の尾根筋に繋が
る。廊下の右側の岩壁が浅く穿たれ、地蔵像複数が奉られている。その脇左側にも一段登れる甘い段々があ
り、マーキングも見える。ここが岩本峠で西北側には下りの径が、南側には尾根筋への径が繋がっている。

C 赤い鳥居と石の祠 北側の展望がいい。
地蔵峰につながる田取林道への尾根径がある。

L岩本峠から地蔵峰・関豊愛宕山へ
 岩本峠→0.10←四等三角点岩本→0.50=0.45←(炭焼き窯跡)竹薮分岐→0.25=0.20←
西尾根分岐点※→0.10←東尾根への曲がり→0.25=0.30←南尾根への下り→0.20←
杭のピーク→0.10=0.15←岩根の鞍部→0.20←田取林道合流点→0.20←地蔵峰→0.10←
豊岡愛宕山=市民の森パノラマ広場→0.10←富津市民の森展望広場→0.20←バス停戸面原ダム
 岩本峠南側の尾根筋を進む斜路は直ぐ尾根筋に達する。石祠が祀られている。右後ろに岩本側からの斜路
が、左後ろからは小畑方面からの径が合流する。岩を回り込んだ巻き尻の先から西側に展望がある。山頂やや
右西寄りに三角点がある。050 733
 小枝をかわして西側を望むと、水室山が特徴的なアンテナを見せている。尾根筋のままやや左寄りに尾根筋
を辿る。狭い急な下り尾根になった後、谷の源頭部を右へ水平に廻り込んで西側の尾根筋に踏み替える。これ
は南への尾根筋が急すぎて、一旦南東側の尾根筋へ振ってから戻るものだ。その後は小ピークと小鞍部を繰り
返す。西側は急な斜面で木々を透かして岩本の平地や水室山が望まれる。東側は源頭の割と平らな谷が見ら
れる。二度目の小鞍部には炭焼き窯の跡がある。周囲は木々が高く薄暗い。三度目の小鞍部には笹の中西側
へ下る薄い踏み跡がある。似た感じの場所だ。
 幅広い尾根筋は下生えの多い急斜面になり、倒木も混じるようなる。その後幅広い緩やかな尾根筋になる。狭
い尾根筋になり左へ小ピークを巻くと右後ろからの合流がある。西へ延びる尾根の箇所だ。その後小さなコブを
左右に巻き、急な登りをする。更に西へややフレながら急斜面を登って東へ回り込む。東西尾根の西端のピー
クは真北の斜面が急なのでやや西に回りこむものだ。東へ向いた尾根筋はその後コンクリートの境界杭とその
見出標の尾根筋になる。右手南側はヒノキの植林だ。緩い登りを繰り返す。この東西尾根の中央のピークを下っ
た先、狭い尾根を下る。その中間にロープが垂らされ、岩の脇の急な下りをする。巻き尻の鞍部でシダを見たあ
との小ピークではまだ東側の下りの尾根径の方がいい径のように思われるが、境界杭とコースサインに従って
右側の急な尾根筋を下る。
 暫くは緩い上下のピーク、鞍部の径だが、荒れた急斜面になる。岩や根は少なく土はキックステップを受け付
けない。途中からロープが垂らされている。ピークに達しない手前の小木の幹でロープはおしまいだ。登りついた
ピークは又西側の右方が緩やかな尾根筋の下りだと思わせる箇所で、左へ登ると右手南に緩やかな尾根があ
る。
 浅い鞍部を経て登ったピークは●214のピークの西端で、尾根筋を辿るとその東端へ行きかねない。ここでは
すぐに右へ下る樹木の中の急斜面の踏み跡を求める。中間のタワまでかなり急な斜面だ。
 狭い鞍部では小岩に木の根が負ぶさっている。その脇を抜けて尾根筋を辿る。痩せ尾根から幅広い尾根筋に
なる。丸いピークの西端を抜ける径を南へ進む。幅広い径の右寄りに浅い溝径があるが、これは無視する。尾
根筋は未舗装道路の上を進んで右へ下る。林道田取り線は北へターンすれば志駒自由市場。南へ進めば地蔵
峰、関豊愛宕山、富津市民の森、バス停戸面原ダムへ至る。
 ※西尾根分岐点とした位置には奇麗な踏み跡が西へ繋がっている。麓の農地から県道に降りられそうだが、
倒竹に阻まれて進めない。
 西尾根分岐から進んで痩せ尾になると北側の眺めがいい。水室山と東京湾観音が望められる。ほとんど水平
な痩せ尾根、南側巻き径が繋がる。南西に延びる尾根へ下りかける位置では北へ向かって源頭部を横断して西
側に延びる(双子山)の尾根筋に踏み変わる。東側のピークには浅い小さな切り通しがある。西側のピークから
溝径で北西から北へと下る。左へ折れて僅かで倒竹の散在す平地に出る。笹薮と倒竹に囲まれ下山路が繋が
らない。倒竹等で荒れた畑地のようだ。
 西尾根分岐点※→0.05←南西尾根分岐→0.10←倒竹の平地

E 右端 石碑。環(たまき)神社の祠。峯上城跡の主郭。

M林道田取線から岩本峠へ
 バス停戸面原ダム→0.20←富津市民の森展望広場→0.10←豊岡愛宕山=市民の森パノラマ広場
→0.10←地蔵峰→0.20←林道尾根分岐
 もみじの里公衆トイレ→0.10←志駒自由市場=下郷公会堂→0.05←三又→0.15←
舗装・未舗装分かれ→0.15←林道尾根分岐
 林道尾根分岐→0.20←岩根の鞍部→0.15=0.10←杭のピーク→0.20←西尾根への曲がり
→0.30=0.25←北へ下るピーク→0.10←西尾根分岐点→0.20=0.25←
(炭焼き窯跡)竹薮分岐→0.45=0.50←四等三角点岩本→0.10←岩本峠
 富津市民の森から関豊愛宕山、地蔵峰までは別項参照。地蔵峰の西側は未舗装道路が北へ向かっている。
林道田取線の西側だ。緩い下りの未舗装道路の右側の尾根筋の端部には狭い踏み跡が見える。地蔵峰への
北側入口だ。再び右側の尾根が高くなる。左へカーブした道が尾根先で右へ大きく曲がる。道路の鞍部では周
囲の木々の背が低いために意外と展望がある。緩い登りの径が水平になり、下り始める箇所が、岩本峠への尾
根筋への分岐点だ。右手側が谷だったのだが道路が緩く下り始めるに従い、低い土手から尾根に変わる箇所
にコースサインがある。
 下郷橋もみじの里公衆トイレを経てかつて志駒不動の霊水があった志駒自由市場から東側の道へ廻る。下郷
公会堂の前から戸越橋を渡って南へ折り返す。奥井沢の右岸の道路を南へ進む。左側に林道田取線の始まる
丁字路がある。岩本178柱。舗装道路の左側にはまだ民家が並ぶ。カーブを繰り返す斜路になると民家は減
る。最後の民家を右手に遠望する道路にはバリケードがあり、道路幅は十分広いが未舗装になる。左手東側は
山肌の地層を見せる高い岩壁だ。左東側が谷になる二度目には白いガードレールがある。すぐに山になり、ま
た徐々に低くなり、右側の尾根が徐々に盛り上がるように入れ替わる。道路の緩い登りが水平に変わる僅か手
前、左東側の山は尾根から土手に変わる。コースサインがあって、この土手へ「一歩」の登りで踏み替える。ここ
から北へ向き変わる。
 土手は直ぐ尾根筋らしくなる。左下の道路面とは高度差を持つ位置で、左下からの狭い急な径が合流してい
る。尾根径は右東へカーブする。尾根筋の左側には浅い溝径が下生えや枯れ枝に埋もれて続いている。正面の
ピークを右に置いて左へ巻く。巻き尻は幅広い下生えの少ない緩い下り尾根だ。やや左寄りから下りの径が狭く
なり小さな鞍部を繰り返す。最低鞍部と思わせる位置では尾根筋の小岩の上に樹木が生え、その根が岩を掴ん
でいる。
 正面に急登の斜面が迫る。踏み跡は曖昧だが下生えは少ない。直登する。●214の東西尾根の西端に登り
つく。右側が奇麗だが左寄り倒木の跡をかわして緩く下る。小ピークでは境界杭と見出し標が目立つ。
 西側の尾根筋を僅か下った位置から北側への急な斜面の先に尾根筋を確かめて下る。荒れた急斜面で中間
にロープが垂らされている。その後は緩い登りと低いピークを踏んで浅い鞍部を通る。左手西側が植林の谷で右
側は自然林の谷の尾根筋が続く。

G 興源寺の境内 石塔が並んでいる 種子による阿弥陀三尊像板碑

 谷の右側遠方に東側からの尾根筋が見える急坂を登ると東西尾根で、西へ折れるように方向を変える。一旦
北側へ急な下りをしたのち、珍しくシダを見る。尾根の上下が続き、正面に岩の角を見せる壁に突き当たる。そ
の右脇にロープが垂らされている。登りきった僅か西側のピークがこの東西尾根の中央のピークだ。その後は
緩い下りの多い径で、途中にあった小ピークで見た境界杭を最後に尾根の左右は自然林になる。
 その直後、右下の尾根に下る箇所では急すぎるのでやや西へ尾根を下って折り返すように薄い踏み跡がつい
ている。もう一度北向きの急下りののちは左右に小さくコブを巻く水平な尾根径になる。しかし左西へ尾根筋が
延びているのを巻き径のように左側に水平な径が分岐している箇所、右側の巻き径を選ぶ。水平な痩せ尾根径
を北へ進む。緩い下りののち荒れた急傾斜を下る。これが平らな幅広I尾根筋ののち、浅い鞍部では西側が急
斜面、東側が平らな斜面の谷の地形になる。北側の左寄りは岩の目立つ尾根筋でこれを進む。小ピークを下る
と東側が平らな斜面の谷の同じような地形に出る。炭焼きの穴がある。同じように小ピーク二つを越えると三度
目の鞍部に出る。
 その後は小ピークと小鞍部を繰り返す。西側には岩本の水田と遠方に水室山のアンテナを遠望する。尾根筋
が急斜面に正対して踏み跡は右へ回りこむ。三角点のあるピークの南斜面の尾根筋が急すぎるのを南東方向
の尾根筋に踏み替えて登るものだ。
 三角点の標石は踏み跡からはやや西にずれている。僅かだが足を運んで確認しておきたい。尾根筋の径に右
への分岐、左への分岐が接近して現れる。岩本峠の直前だ。石祠の前を通る尾根筋を選んですぐに峠の岩の
切り通しに出る。北側の岩には壁龕が穿たれ石仏が奉られている。岩本峠だ。
 東へ岩の壁の廊下を下れば右後ろからの径を合流させて右岸の山裾を下って小畑・楠鐘橋方面へ。西へ下れ
ば左後ろからの径を合流させて曲がりを繰り返して清吾橋方面へ。北側、岩の壁を無理やり登ると奇麗な径が
隠れている。関尻浅間山、峯上城跡方面へ至る。

G 環の大楠

N堰の道から三角点岩本へ
 バス停六野→0.15←(バス停田原入口→0.10←)直売場の分岐点→0.05←
滝の不動尊への南側の分岐点≒ゴルフ場分岐→0.10←岩本橋西詰め壁龕の分岐→0.10←
清吾橋北詰め→0.05←竣工記念碑→0.05←堰の斜路→0.20=0.15←(炭焼き窯跡)竹薮分岐
→0.45=0.50←四等三角点岩本
 清吾橋から更に県道を南へ進むと東側に黒御影石の竣工記念碑がある。東へ舗装道路が分岐している。未
舗装になり、東側の山裾に突き当たる。右折して南へ進むと左手に斜路がある。登ると堰の左岸に出る。
 堰の左岸側の道をそのまま進むと古いビニルパイプが遺棄されている。杉の林の段を上がってパイプに沿っ
て右南へ進む。左側に尾根先の山裾を見ると右端に岩の斜面が見える。その右側の谷筋を僅か登り、左へ折
り返してこの尾根に登りつく。
 尾根筋は緩い傾斜で下生えを避けて僅か高度を上げると斜面を水平に細い踏み跡が横切っている。獣径
だ。この水平路の上部には若干岩が見え隠れする。この水平路を右南へ進むと樹木の少ない緩斜面に出る。
斜面の上部は細い竹が密生しているが、その中に南へ向いて緩く登る踏み跡がある。尾根筋に上りつくと小さな
鞍部に出る。北側の小さな盛り上がりには岩が目立つ。先ほど見た岩の延長の上部だ。これを西寄りに巻いて
乗り越すと炭焼き釜跡の鞍部に出る。
 斜面を水平に細い踏み跡が横切っているのを見て、岩の見え隠れする尾根筋を避け、北寄りに廻り込みなが
ら上部を目指すと焼き釜跡の鞍部に出る。どちらの鞍部も景色が似ている。下りに利用する時は竹薮の分岐の
位置がわかりやすい。     房総丘陵 1000