烏場山 1580

全般 △266.6     房総丘陵1000
 内陸部に住んでいた女性が沿岸部の漁村へ嫁入りした時に通ったという山道です。花嫁街道と名付けられ、
今は若干ルートを改め烏場(からすば)山へのハイキングコースとして、地元の有志が自治体と共に整備に力を
入れています。新日本百名山(岩崎元郎氏)に選ばれています。
 県指定天然記念物。上三原の大樟。高さ30メートル。幹周り10.1メートル。樹齢750年。
 市指定天然記念物。熊野神社のオオナギ。高さ16メートル。幹周り2.88メートル。樹齢300年。
 JR内房線南三原駅からバス停上三原間のバス路線はスクール混乗バスになり、便の関係で利用の難しいも
のになりました。
 無名山塾の主宰者岩崎元郎氏が新たな観点で選定された新日本百名山の中で千葉県で唯一の山です。7832

@ 和田浦歩こう会御設置の案内看板

@花嫁街道
 和田浦駅→0.10←和一踏切→0.10←ハイクコース入口→0.10←分岐を左へ→0.05←
花嫁街道入口→0.40=0.35←経文石→0.10←じがい水→0.15←駒返し
→0.20←
五十蔵分岐→0.05←
烏場山
 はなの広場「花夢花夢」→0.10←ハイクコース入口
 内房線和田浦駅下車。駅は観光案内所、観光展示室、公衆トイレが併設され、外観は鯨の姿をモチーフとし
たというユニークな建物で、駅前広場もこざっぱりと整備されている。
 東へ進んで和一(わいちごう)踏切を渡る。左側に柴区集会所の建物がある。集会所の前を右へ曲がって、海
岸通り国道128号線に出ると、花の広場「花夢花夢」(かむかむ)公園、花などの直売場、駐車場、公衆トイレが
ある。
 集会所の前を直進する。道路は左へ曲がって行き、ハイクコース入口の分岐点には左に曲がるように標識が
ある。再び踏み切りがあり、線路を越える。分岐を左へ進むと、橋を渡る。双体の道祖神像があり、更に分岐を
左に曲がる。
 道路の左側には芳香のコンポストトイレがある。右側には花嫁街道の標識があり、登山道が分岐している。こ
こは、まだ直進する林道の一部で、幅もあって駐車できるが、踏切付近からこの付近までに「会」で御尽力さ
れた駐車場が複数ある。
 径は段々といい、刈り込みといい、手入れがよい。やや急な登りの径で展望台を経由する。マテバシイの間か
ら海が見られる。経文石は岩の上に大木が根を絡ませているもので、この岩に経文が刻まれていたというが、
風化が進んで何も見られない。じがい水(自害水・自我井水)は水場ではない。この付近からは下りも交える痩
せ尾根など、変化に富んだものになる。
 駒返しは分岐点で、左側の直進する径が五十蔵への径だ。そちらが本来の「花嫁街道」だ。右に分岐した更
に右側の一段高いところにベンチがあり、狭いが展望がある。この脇を通る。この先のかや場では南が大きく
切開かれ、多人数の時などの展望休憩にいい。この南端にトイレがあるが、急用でない限り使用しない方がい
い。
 左側に五十蔵・高鶴山への分岐を見送った10数メーター先の右側の藪の中に獣径かと思わせる踏み跡が
見える。ここからやや急なひと登りで、烏場山山頂に登りつく。ここには丁寧な標識とベンチなどがある。
 じがい水と駒返しの中間北寄りには四等三角点榎田△216.4がある。駒返しから下りながら、西側の尾根筋
に入ると背の低い草の中に標石がある。

@ 経文石は岩の上に大木が根を絡ませている

A抱湖園と「はなその広場」
 花嫁街道で烏場山へ行き、花園山コース(花婿コース)で「はなその広場」から抱湖園へ下るルートが紹介され
ていることがあります。
 和田浦駅→0.10←和一踏切→0.10←ハイクコース入口→0.10←バス停お花畑
→0.15=0.10←抱湖園展望台分岐→0.05←道路終点部→0.05←大塚山分岐→0.10←
はなその広場
 和田浦駅から東へ進んで和一踏切を渡る。左側の集会所の前を直進する。道は左へ曲がって行き、ハイクコ
ース入口の分岐点には左に曲がるように標識があるが、ここでは右に曲がる。国道128号線と並行した街の中
の道路で、右側に高層マンションの見える交差点で左へ曲がる。
 国道を進んだ場合、バス停お花畑のところでこの道に入る。バスは鴨川駅からも館山駅からも便数が少なく和
田浦駅からなら徒歩でいい。ここには公衆トイレがある。道路沿いに(町営)駐車場が広がり、売店・飲食店が並
ぶ。東寄りの海岸砂防林の中には浜千鳥の歌碑がある。
 駐車場西端の道路を北へ進むとこの地に花卉栽培を広めた間宮氏の記念公園があり、東屋もある。踏切を
渡り、道路が左へ曲がったところ、右側に抱湖園を示す標識がある。階段を登ると、溜池の堰に出る。
右側に東屋への分岐があるが、そのまま直進する。梅・桜・ソテツなどが、植えられている。特に旧正月前後に
は寒桜が咲く。これはとくに元朝桜(ガンチョウザクラ)という。
 尾根筋に達すると左側に分岐が有る。その径は小さな鞍部を越えた先のピークが展望台になっていてベンチ
と東屋がある。この径は直進して下り、登り口のとき分かれた道路の終点に出る。
 尾根筋からは右寄りに進む。左に別の道路の終点が取り付く。花嫁街道の時、踏切を渡った先の分岐を右に
取った場合の道路だ。
 下りになって谷筋で左へ曲がる。右側の直進は大塚山へ至る径だ。田畑の脇を廻り込んで抜ける径を下る。
小さな橋を渡ると、「はなその広場」に出る。広場の脇の道路を左へ進めば、公衆トイレの脇を抜け、三又を左
に曲がって、花嫁街道の入口の橋の双体の道祖神像の所へ至る。
 広場の脇の道路を右へ進むと河原を歩く径に変わる。短い距離だが右岸左岸右岸と遊歩道は飛び石などで
渡り返して、二俣に出る。左俣が落差15メートルの黒滝で、その右側に向西坊入定窟(こうさいぼうにゅうじょう
くつ)がある。木製の階段があって、「空中東屋」では谷の中での休憩ができる。更に階段を登ると、「分岐の広
場」に出る。
 左側は黒滝上流の川を渡って、花園林道に出る。
 右側は花園山コースになっている。

B花園山コース(花婿コース) 
 和田浦駅→0.10←和一踏切→0.10←ハイクコース入口→0.10←分岐を左へ→0.05←
花嫁街道入口→0.10←はなその広場→0.30=0.25←見晴台→0.40←烏場山
 和田浦駅から東へ進んで和一踏切を渡る。道は左へ曲がって行き、ハイクコース入口の分岐点には左に曲が
るように標識がある。再び踏み切りで線路を越える。分岐は左へ進むと橋を渡る。双体の道祖神像の分岐があ
る。
 分岐の左にはトイレと花嫁街道の入口がある。
 ここでは分岐を右へ進む。道路をしばらく進むと分岐に出る。
 道路分岐の右は「はなその広場」に進む道で、ここ「はなその広場」の脇に駐車もできる。公衆トイレもあり、右
側に抱湖園に至る橋。川を歩いて黒滝の前から階段を登り「分岐の広場」に出る。
 道路分岐を左へ進むと右下に「はなその広場」を見下ろして、緩く登って行く。右側に細い分岐があって、これ
へ下る。黒滝上流の川を橋で渡って「分岐の広場」に着く。右側には入定窟、黒滝へ至る分岐がある。
 「分岐の広場」の正面の緩い登りを進む。手洗石を見た後、径は急登になる。花園金毘羅山(○121)は刈り
込まれて明るい。展望はよくないが、開放感がある。次の見晴台は展望がいい。旧烏場展望台(●232)は左
側に踏み跡の薄い巻き道があり、右側の直登のほうが濃い。皆、「易きを選ばず」展望側を選んでいるのだろ
う。
 尾根径への径は東にそれて、右側に刈り込みの悪い道を分岐して左へ進む。急登少々で烏場山の頂上で、
ここには標識やベンチがある。

@ 花嫁街道入口

C花園林道
 和田浦駅→0.10←和一踏切→0.10←ハイクコース入口→0.10←分岐を左へ→0.05←
花嫁街道入口→0.10←はなその広場→0.30←木橋の分岐→0.25←竹の沢→0.25=0.20←
尾根筋合流→0.05←烏場山
 和田浦駅から花嫁街道の入口にある手前の分岐を右へ進んで「はなその広場」へ進む。広場西側の分岐を
左へ進み、右側に広場を見下ろして登って行く。右側に黒滝への細い分岐がある。そのまま林道を進む。は
なその広場に下りた場合は「分岐の広場」で左寄りに進んで花園林道に登りつくこと。
 途中、右側にやや離れて小さな堰堤と「ダム湖」への分岐の後、道路面は荒れてくる。この道路が左へカーブ
するところに古い標識があったが失われた。道路は分岐する。標識には黒滝の分岐から1.3キロ、烏場山1
キロと表示されていた。
 右分岐の先には傷んだ木の橋がある。傷んでいて危険。事実上渡れない。左岸へは慎重に深い河床へ降り
る。その左岸には道幅はあるが、全面的に草や小木が覆った細い踏み跡を辿る。アオキ・アジサイ・ヤブニッケ
イなどの葉が径を隠す。倒木も有り、棘の草イラクサもある。左下の沢筋とは高度をとり、決壊部ではその通
過に十分気を付ける。細い右俣の沢を越し、溝型のある、やはり右俣を渡る。二俣は左が本流なので、そのま
ま左岸で進む。
 二度目の二俣−竹の沢には、草に埋もれた古い標識があった。0.5キロと表示されていた。今は失われた。中
尾根を登る。枯葉や枯れ枝のため、道型が若干不明瞭だが、直登する径になる。傾斜が急になるほどに、踏み
跡が明瞭になってくる。
 ロープが手摺代わりに張られた急な直登の尾根になる2度目のロープの上端で径が右へ若干振られた後、直
ぐ左へ折り返す。小さなピークと鞍部を越すと藪を縫って尾根筋に出る。
 駒返し・カヤ場から登ってきた時、五十蔵・高鶴山への分岐を左に見た東10数メートル先の右側の藪の中に
獣径かと思わせた踏み跡だ。ここに標識はない。ここからやや急なひと登りで、烏場山山頂に着く。ここには標
識とベンチがある
 木橋が事実上通行不能であること、左岸に変わってからアオキ等の下生えが多いために通行はかなり厳しい
こと、小さな決壊で狭い急斜面箇所などがあり、不用意に通行しないこと。ここの所要時間はこの刈り払いがさ
れた時のものだ。また竹の沢にはほとんどササ・タケはない。
 木橋への分岐では左方向へも未舗装道路が続く。西へ約5分進んだ右下に高さ5メートルの小滝がある。そ
の先、崩落倒木地獄になって道路はない。 

@ 烏場山

D上三原、五十蔵から
 バス停上三原→0.15←五十蔵口登山口→0.25=0.20←駒返し→0.20←五十蔵分岐
→0.05←
烏場山
 南三原(みなみはら)駅下車。混乗バス、上三原(かみみはら)行き終点下車。上三原の十字路を西へ進む
と、廃校になった小学校がある。改修されて魅力的な建物になっている。東側から「自然の宿くすの木」、県指定
天然記念樹樟木の大木、山神宮、竹ノ中部落集会場が並んでいる。この大樟は御神木とされている。樹齢750
年と推定され、32メーター程の高さがある。
 この十字路を東へ進む。右側、南だけが広い十字路に出る。この十字路の北西角の岩肌が穿たれ、真言の
刻まれた種子塔、六地蔵像が奉られている。南側の広い道路は工事中で、ここに烏場山五十蔵口登山口を示
す標識がある。道路幅に充分ゆとりがあり、駐車は可能だ。尾根筋の左側にある水田の外れの奥に登り口が
ある。
 急登僅かで尾根筋に出ると、左折して緩やかな登り径になる。下りの時ここは、そのまま尾根筋の踏み跡が
先へ続いているので、右側木立越しに水田の景色を見たら、右下へ下る分岐点に気を付けたい。
 左寄りに尾根を進む。馬頭観音像三面が2体、同一面が1体、同文字塔一基と標識がある。桟敷(さじき)塚
=五十蔵鴻ノ巣山(○230)だ。これを下ると、南側にあった巻き径は下生えに隠されている。東側左に幅広
い径が合流する。逆方向の時、ここでは左方向の草で覆われた巻き道と中央の直登路、右側の幅広い枯れ
葉の径になるが、直登路を選ぶこと。さじき塚は頼朝が一時本陣をはった指図塚の転訛であろうと聞いた。東
側の幅広い径はほとんど幅広く緩やかに北西の尾根筋を下るが、道路直前で法面の上に出て下れない。東
電柱上三原70柱の裏から西寄りよりの湿地、更に西寄りの小尾根に取り付けば、ほとんどを尾根筋の径でさ
じき塚のピークを東に巻く。
 ここから僅かで駒返しに出る。
 左へ折れるとカヤ場を経て烏場山頂上へ至る。
 右へ直進で進んで和田浦へ行くのが、これまでの径と共に、「花嫁街道」だ。

E上神社、高鶴山から
 バス停上神社→0.15←バス停高鶴配水場→0.15←バス停畑青年館(県道右折)→0.05←
商店前左折→0.10←熊野神社鳥居前→0.10←峠状の烏場山登山口
→0.20=0.15←
尾根筋→0.05←
烏場山
 鴨川駅西口下車。曽呂(そろ)終点行きバス、バス停上(かみ)神社下車。鳥居の道路を南西へ進む。いくらも
進まないバス停苗目には民宿への分岐がある。しばらくは左側に水田の斜面を見おろし、右側に果樹園などの
畑を見上げる道路が続く。バス停高鶴(たかづる)配水場のある十字路を直進すると道路は下りになる。バス停
畑青年館で県道に出て右へ曲がると、右側に商店がある。その商店の前も分岐になっている。
 左側に分岐して更に下る道は、熊野神社の鳥居の前を経て烏場山へ行く。
 右側に緩く登る県道を進むと、右側に銀杏の大木のある東善寺の角に出る。右側に曲がると、高鶴山に至
る。この寺の僅か西側で左下へ下る道へ入る。集落の中を抜けて丁字路に出る。右へ曲がると、熊野神社の
赤い鳥居の前を通る。この神社の境内には鴨川市の天然記念物指定のナギの木がある。
 ここから更に西へ進む。
 左に背の低いソテツとカーブミラーの取り付いているところで、左に曲がる。道路が峠状に上り下りするところ
だが、峠とはいえ、その前後の傾斜が緩いので注意したい。東電柱畑267柱に気をつける。右側に藪、左側に
棚田の上部という境を進む。
 ソテツとカーブミラーの箇所の西側が道路の一番高いところで、その更に西側の藪の真中、左側に「花嫁街道
入口」の標識がある。幅広い径でこれに入る。すぐまた左側に分岐すると前方に棚田が広がっている。右に折
れて、右側に藪、左側に棚田の上部という境を進む。
 右側の林の中に山道が開いていて、これに入る。左へ径が曲がってから、急な登りになる。僅かな登りで、烏
場山の頂上の西側に取り付く。
 ここから左東へ折れ、右側の藪の中に獣道かと思わせる踏み跡を見送る。ここからやや急なひと登りで、烏場
山山頂に登り着く。

◎ 新築なった道の駅和田浦

F布野浅間山 四等三角点竹中 △236.7 仁我山
 バス停鳥居畑→0.20=0.15←最後の民家→0.05←沢渡り箇所
 沢渡り箇所→0.10←布野浅間山
 沢渡り箇所→0.10←四等三角点竹中
 布野浅間山→0.10←四等三角点竹中
 南三原駅下車。上三原行き乗車。バス停鳥井畑下車。道路西側には駐車可能な路肩の広いところがある。こ
こから畜舎の脇を通り道路を東へ下る。小向ダム上流の橋を渡って、登りついた道路は右南へ折れる。左の山
側へ分岐する急なコンクリート舗装道を進む。左へカーブし、最後の民家に近づく。その家の一番手前にある車
庫の脇から道路を離れ、山の中に入る。山裾を縫う径は南北に分岐しているが、右南側へ進む。山崎を回り
こみ、北東に向きに変わる。
 尾根筋に入り込む径の分岐が左側にあるが、これには入らない。この尾根筋から西寄りの斜面を縫う径は獣
径程度に薄らぎ、緩い斜面の疎らな木々の中を登って三角点竹中へ至る。迷いやすい径だ。
 左側にソテツを見、右側に深い切れ込みの谷を見る。北側に向き直った径は幅広い沢の右岸に出る。湿地か
「水田」の水下側の堰を左岸側へ渡る。
 左岸のまま上流へ進む踏み跡があるが、これへは進まない。これは湿地の上流で右岸の山肌に細い踏み跡
があり、かなりの急登をして尾根筋へ登り、更に獣径か踏み跡か右側へ曖昧な径で木々の枝をかわして三角点
竹中に至る。アルバイトばかりの径だ。
 左岸側で三歩下った左側にあるジグザグして山肌を登る径へ進む。尾根筋に達すると、北へ進むように向き
が変わる。
 尾根筋のまま進む左分岐がある。これに入ると三角点竹中も布野(ぬのの)浅間山もわけなく頂上に出られ
る。尾根筋の径は緩い峠に出る。浅間入口とかすれた文字のプラスチック板がある。三角点竹中と布野浅間山
を結ぶ尾根の鞍部だ。左西へ進んで尾根筋が幅を持ち始めたところに仁我山236.7と書かれたプラスチック
板がある。林の小枝をかわして、高いところを目指すとスギ、ヒノキの林の手前、ドクダミの広場に出る。白い木
杭は草より頭を出しているが、三等三角点竹中の標石はその脇に隠れている。
 先ほどの鞍部を右東へ進む。踏み跡は水平にピークの北側を巻いている。右側の尾根の盛り上がりを見
て、その尾根筋に踏みかえる。明瞭な踏み跡こそないが歩きやすい。すぐに石祠の左側に出る。祠の後ろ北側
の斜面が緩く木々も薄い。これを下ると先ほど、左へ巻いていた径に合流する。
 尾根筋のまま進む左分岐を見送って、右分岐は東へ向き変わる。左側が山の斜面になり、急な表参道の切
開きがある。遠慮がちに取り付けられたマーキングに注意したい。幅のある切開きだが、かなりの急登だ。浅
間山の頂上、祠の正面に出る。
 表参道の急登も見送って更に進むと、径は右東へカーブして大木の目立つ尾根筋になる。左後ろからの尾根
筋の合流があり、これに入る。緩い登りの尾根径は更に左側が高くなる。この径の一番高いところで、左側へ緩
い傾斜の斜面、枝をかわして径のないところをわずか登ると石祠の右側に出る。
 「左側への緩い傾斜の斜面」を見送ると、左側が一段だけ高く、その左後ろからの踏み跡の合流がある。ここ
でその左後ろの径へ登ると、そこは径の分岐点になっている。南へ踏み跡を辿ると右西への細い分岐を見た
後、緩い斜面の枝をくぐり、石祠の後ろ側に出る。
 この浅間山と三角点竹中を併せて柄井後(からいご−かれーご)山ともいうそうだ。又、この近く、烏場山花嫁
街道の△216.4(四等三角点榎田)を仁我山と示しているものを他所で見た。

A バス停お花畑附近の花畑 花卉栽培の間宮氏の記念碑とその前の東屋が左端に、

G烏場山・布野浅間山 聖橋から
 バス停南房総里見(旧名称北三原小前)聖橋→0.10←三又(東電柱道久保29柱)→0.05←
林道Uターン部→0.10←西に分岐あり→0.05←南に分岐有り→0.20←東に分岐あり
→0.15=0.10←東尾根に分岐あり→0.15←三又分岐
 三又分岐→0.20←じがい水→0.15←駒返し→0.20←五十蔵分岐→0.05←烏場山
 三又分岐→0.05←榎田分岐→0.10←布野浅間山
 南三原駅下車。バス停南房総里見から東側の聖橋を渡り、福祉センターの正門で右へ曲がってすぐ左に曲が
る。道路の突き当りには小さな龕の中に六地蔵像があるが下三体は下部が埋っている。この丁字路は右へ曲
がる。アスファルト舗装道がコンクリート道路に変わり、東電柱道久保29柱の先で三又になり、右へ進む。ここ
から未舗装道になる。右側に田畑を見ながら左側の山裾を進む。左側にも畑地が拡がり、道は左へUターンす
るが、ここから右側の山道に入る。右下は畑になり、左の崖には牛頭観世音石塔が多数並ぶのを見て左右とも
木々の生い茂る斜路になる。
 右下に見え隠れした川面が見えなくなると、左側に尾根筋が近づく。左後ろに尾根に登る踏み跡がある。左側
にはスダジイの根が崖を抉り、岩が径に転がっていて腰掛にいいくらいだ。尾根を僅かに右へ外した径の尾根
筋は伐採されて西側が展望される。尾根筋が痩せ尾根になると西側左下に下る径が分岐している。再び尾根
の右側を進む緩い登り径は右側からの谷の抉り込みを見て急傾斜と右南へ向きを直す。二等三角点峰小川
△203.2からの小尾根の先に右側の土手の上に南側への分岐がある。これはとうしろ台城址に通じるが難
路だ。再び左側に向き直ると、左側に大きな尾根を置いた緩やかな登り径がしばらく続く。痩せ尾根に変わって
再び左側に尾根を置いた径を進む。径は水平だが尾根筋の鞍部に出る。右東側には下りの分岐がある。正
面は尾根筋だ。いずれ片付けられるであろうが、左寄りには丸太が多数積み上げられている。この丸太の山の
裏にこれまでと同様の幅広い径が連続している。
 今度は右東に尾根を置く径になる。途中でその尾根が瓢箪のようにくびれているのが林の幹越しに見える。
この尾根が下ってくると、その尾根への奇麗な踏み跡が右後ろにある。これは道久保へ下る径だ。

A 抱湖園の南の元朝桜 左端に人が

 その後小さな尾根を左側に置いたほとんど尾根筋の径になるが、右側に低い盛り土程度の尾根を避け左
に振れる。右側に草の被った狭い径が見える。三原村有林の標識と崩れた石垣、石祠のある塚だ。径は
その北側を巻いて尾根径で進む。左側に二回薄い分岐があるが右側の方を選んで尾根筋を外さないように、
幅のある径を選ぶ。立ち木に白い標識の取り付けられた三又分岐に出る。左右の径ともに幅がある。標識は北
側から見るように取り付けられ、L型の印で東側が駒返しと書かれている。烏場山を目指す場合はここで右東
へ折れ、布野浅間山のときは左直進側へ進む。
 東側へ向かった尾根径は緩い下りから、わりとまとまった登りになる。左に尾根筋を置いた登りは岩の目立つ
尾根筋を左側へ踏みかえる。尾根筋には房総では珍しく岩が見える。この付近だけやや径が狭い。尾根筋へ登
り着くと今度は尾根筋の右側の径に変わる。但し右寄りの尾根筋の方に奇麗な踏み跡が続いているので、そち
らへ誘われかねない。そのときは小ピークで右へ折れれば再び尾根筋で右側の巻き径と合流する。尾根筋の径
に「ぼっこし」という標識を見たのち、やや急な下りを進む。
 路面に草も落ち葉もない奇麗な径に合流する。これが烏場山花嫁街道で、南へ僅か30秒の距離には「じがい
水」の標識(駒返し0.8、経文石0.6)とベンチが並んでいる。和田浦歩こう会のご尽力だ。北へ進めば駒返し
を経て烏場山へ至る。
 三又分岐から左直進側へ進む左に小さな分岐があるが右側の広い径を進む。二又に出ると右側が榎田だと
標識がある。ここでは左側へ進む。低い尾根筋を越えると、左後ろに水平な径が合流している。ここは逆方向の
時、左右の踏み跡どちらとも判断のつきにくいところで、標識コースサインなどない。右水平に対して左僅かに登
りの違いぐらいで、左を選ぶ。
 「仁我山背ざかい」という標識を見るが、どちら側が仁我山なのか判断がつかない。幅広い尾根の水平の径に
なると右が直進の緩い登り、左カーブが緩い下りという分岐に出る。この二つの径に挟まれたピークが布野浅
間山だ。右側の登りを進んだときは左側の山の盛り上がりを睨みながら進み、径が水平に変わったとき右後ろ
へ小枝をかわして僅か登れば浅間山の石祠の裏に出る。左側へ緩く下ったとき、すぐ右側に表参道がある。
灯籠も鳥居もないので、山の斜面に刈り払いとコースサインに注意する。やや急な斜面を登ると浅間山の石祠
の前に登り着く。

H正木氏の里と道久保
 小川の山里には勝浦正木氏の旧跡がある。これを抜けて道久保の集落から尾根筋に至る道です。
 バス停南房総里見→0.10←十字路→0.10←丁字路→0.25←右カーブ(東分岐)→0.10←
道久保入口ヘアピンカーブ→0.20=0.15←尾根筋の分岐点(四等三角点道久保 △211.6)
 バス停南房総里見から聖橋を渡り、その三原川の左岸を南東へ進む。川からそれて更に東へ進むと小さな
十字路になる。狭い直進の道に入ると正木氏ゆかりの妙達寺の門前に出る。大きな寺院で左側に墓地がある。
進むと右側に小道が分岐している。これを進むと墓地の脇を進む。その墓地が途絶えた所、右側に狭い道路が
分岐している。左側の先に配水施設の見える手前だ。坂道を登ると赤く着色された明神鳥居があるこの一の鳥
居右側には別道が分岐している。進むと大きめの石祠、疱瘡神が祀られている。尾根も道もまだ南へ続いてい
る。一の鳥居の先は尾根筋の平地になっていて左右に別道が分岐している。先ほどの鳥居と同じほどの大き
さ、形式の二の鳥居があって、立派な石段が登っている。境内右側には、この山中には立派過ぎると思わせる
ほど大きな天御中主(あめのみなかぬし)神社の社殿がある。妙見様とされる神社で西向きだ。
 妙達寺の参道と妙見様への道路の入口が並ぶ道を北へ進めば、先ほどの十字路を左折した道に合流する。
東へ曲がった道路は丁字路で左へ折れる。ここで東へ直進して民家の脇を抜けた先には赤い両部鳥居の日枝
神社がある。

A 抱湖園の様子

 道路には右東側から山が迫ってくる。岩の横長龕が有って、薄茶色の陶器製の六地蔵が祀られている。その
脇は石切り跡の垂壁があり、何かの拝所だったのかもしれないが今は枯れ草の窪地だ。階段の先に集会所が
あって、その玄関近くには三山供養塔石像石塔などが多数並んでいる。
 暗渠で川を渡ってから人家はなくなる。右にカーブする所、左手の谷は遺棄水田のようで、右脇に草に隠れた
踏み跡と小川が有り、左側は湿地だ。ここを詰めると尾根筋の東分岐に10分ほどで達するが、草と竹と湿地で
径はおぼつかないので入らないこと。右下に分岐する道路は道久保の堰に至る道路だ。右に一軒家の道を分
岐させてのち道路には左後ろにヘアピン状の分岐がある。
 直進すると左に分岐する径が有るが、草に隠れて尾根筋に至る径は見えない。右は林道が開削中で完成す
れば烏場山北西の五十蔵榎田に通じるものだ。左後ろのヘアピンへ進む。
 急傾斜をかわすヘアピンカーブを繰り返して山上の集落に達し、道路は西へ向く。右側の山の斜面はソテツ畑
だ。道路が左へ折れる所、東電柱道久保92柱。右側にソテツ畑、左側に菜畑、水仙畑の間の畔を山へ向か
う。山裾には、滲み水を溜める井戸が掘られている。右へ急な山道をジグザグして登ると直ぐに緩やかな径が
取り付く十字路に出る。そのまま緩やかな上り径を進む。左側の山が低くなった所で、その左側の尾根筋を戻る
方向へ進むと4等三角点道久保(△211.6)に出る。右側が低い尾根になる。その疎らな木々の中には室部で
折れた石祠が有る。安政六年(1857年)のものだ。ここで尾根筋の幅広い径と合流する。
 そのまま北へ進めば村有林標識の石祠を経て烏場山・布野浅間山に至る。左側へ尾根筋の僅か西側を下る
径を進めば、聖橋のある県道に至る。

I二等三角点 小川 △203.2
 県道から聖橋を渡って尾根筋で烏場山・布野浅間山を目指す径は、ほとんど尾根筋を通っているのに、△
203.2ピーク付近ではその南側をきれいに巻いて、急登をさけています。実際には楽な別道でその三角点に
達します。
 I−1 西分岐から (聖橋から烏場山・布野浅間山への径)
 バス停南房総里見→0.10←三又(東電柱道久保29柱)→0.05←林道Uターン部→0.10←
西に分岐→0.05←狭い分岐→0.10←二等三角点小川
 西分岐までは烏場山・布野浅間山への径の項、参照。北向きの緩い下りの分岐を進んで緩い尾根筋を乗り
越す。さらに北東へ進んで小さなジグザグで珍しい急斜面を一つ登ると径が狭い角度で分岐している。左の水
平な径と右の緩やかな上りの径だ。
 右へ進むと直ぐ尾根筋を上下する径に丁字路で合流する。左下への径はこの付近から下部は曖昧な踏み跡
に変わっているので、下りの時は行き過ぎないように注意したい。右上への傾斜のある径は直ぐに緩やかにな
り、左に尾根筋を分ける。水平になった径の最上部と思わせる場所に三本の杭が若干離れて埋められている。
その付近で左手の斜面、下生えの無い緩いところをキックステップで登る。僅かで頂上の肩に達する。大木が疎
らに聳え、生の低い草の東の奥に三角点の標石がある。獣径以上踏み跡未満という程度の径が多数有るの
で、それらには踏み込まないようにしたい。

A 抱湖園上部の展望台 ザックが放置されていた。

 I−2 バス停山下及びバス停別所から
 バス停山下・別所→0.05←林道小向支線分岐→0.15=0.10←丁字路分岐→0.05←狭い分岐
→0.10←二等三角点小川
 バス停山下下車。東へ道路を下り最初の分岐を右へ進んで小向(こむかい)橋を渡る。バス停別所下車。南へ
道路を下り小さな橋を渡って左へ折り返し小向橋を渡る。どちらからも同じくらいの距離だ。林道小向支線の標
識の取り付けられた分岐では、その裏側にあたる右側の狭い坂道を上る。道は三分岐になる。東電柱北三原
220柱の所だ。真中の道を選んで進むと農家の作業庭に土門で入る位置になる。農作業機械の出し入れの為
に庭の奥の崖を繰り抜いて近道を作ったが、その土が徐々に流され、太い木の根が門の軒を思わせるようにな
ったものだということだ。これを左に山道を登る。谷の左斜面のやや急な径が小さくカーブすると右側に別径が
取り付いている。ここでその右手の径へ折れる。ほとんど水平な径を南西から南東へ進むと、左後から別径が
緩く下ってくる。折り返すようにその径に入って進み、右へ折れて登れば僅かで三角点の付近に達する。

 I−3 正勝神社と●238ピーク
 バス停山下・別所→0.05←林道小向支線分岐→0.05←正勝神社
 正勝神社→0.30=0.20←尾根筋踏替え堰ィ0.20←・→0.20=0.15←
尾根筋合流→0.20=0.15←●238ピーク
 正勝神社→0.25←滝群
 バス停山下、バス停別所下車。小向橋を渡り、林道小向支線の標識の取り付けられた分岐では、左側水平
な道路を北東へ進む。黒い脇柱の赤い両部鳥居が遠くからでも見える。その脇には正勝(まさかつ)神社の由
緒を刻んだ大きな石碑があり、石段の上に社殿が建っている。
 社殿の後ろに尾根への急な登路と小向川への下り径がある。急登はジグザグを繰り返して高度を上げる。
右側の水平な分岐は遺棄農地へのものだと無視して、尾根筋を辿る。正面の尾根を右へ巻く踏み跡が奇麗
だ。これが左カーブして左側の尾根が低くなると狭い尾根径の右下が切れ落ちている。左側には遺棄農地らし
き平地が径と同じ高さにある。左右に小幅な遺棄農地の延びる先、丁字路で山肌に突き当たる。これは右へ
折れる。その後左の尾根筋が低くなり、右側に小幅の平地を見送ったのち、これまで右巻きが多かった径が、
尾根筋の左を巻くように踏み替える。
 奄アの尾根筋の左右踏み替え箇所から一歩進んだところ、右側の尾根筋へ登る。右下尾根筋の右側を巻く
踏み跡もあり、マテバシイの大きな株もある。尾根筋を辿る。東へ右巻き径になってすぐ、左側に緩い斜面が
あり、炭焼き窯の石が丸く並んでいる。緩い傾斜を登ると左側に一段高い平地に出る。下生えの少ない緩い
傾斜の平地で右端の肩にはマテバシイの株が大きい。左側のやや高い方向へ下生えの枝の中、踏み跡を
辿る。薄い踏み跡だ。平らな頂に出る。広い平地で更に北側にも広く、何処も頂とは言いがたい。北側へ更
に進むと殆ど同じ高さで太い木が並ぶ幅広い尾根筋になる。これが若干傾斜を強めると右寄りに巻き径の
踏み跡がある。この箇所、幅広い尾根筋の左寄りの箇所で左下からの径が合流している。正面の尾根筋を
右に巻いて進む。
 この尾根筋の左右踏替え箇所から右に尾根を置く径になり、左へカーブカーブしていく。右側の尾根が高
くなる。直進する水平な径が下りかけるところ、右丁字路分岐がある。直進は下りの傾斜が強くなる。右へ折
れ、浅い溝径の倒木を若干かわして登っていく。直ぐに左分岐があるが直進する。径が左へ曲がっていくと傾
斜は緩むが、倒木倒竹が少々重なる。右へ進んで尾根筋に上りつく。左右とも尾根筋の浅い峠状の箇所だ。
低い尾根筋を乗り越えて左折、尾根筋の右巻き径を進む。

B 「空中東屋」では谷の中での休憩ができる。右側が経路、左側は廃道。

 (合流後)巻き径を進んで浅い鞍部で左側の低い尾根筋が合流する。炭焼き窯の跡がある。緩い傾斜で幅
広い尾根筋が北へ続く。その小ピークから左へ尾根筋がカーブ。浅い鞍部があった後、径は小さく上下する
荒れた感じになる。狭い尾根筋が登りばかりになると、小岩が混じるようになる。左へ巻いて出た頂部は東
西に長い●238のピークだ。ここの北東側に尾根筋が繋がるはずだが、ここの案内子には無理だ。
 山中は倒竹・倒木地獄の脇径が多数ある。イノシシほかの「野生の王国」でもある。
 道路が正勝神社の鳥居の前に出る手前の丁字路、東電柱北三原352柱で右折。民家の脇、小向西光坊の
お堂の前を抜ける。左手の斜路の上に正勝神社の社殿を見上げる。未舗装道路を直進する。右岸の道路に
は若干の土砂崩れや倒木がある。通行に問題はない。砂防ダムがあるたび、河床と路面との高低差が縮ま
る。最後の堰堤の先で右岸の道路は河床に降りる。川幅の半分を塞ぐ岩がある箇所では左岸に土石と倒木
に埋もれた涸れ滝がある。流木が川幅全体を埋める箇所の先、左岸に高い小滝がある。本流との取り付き
の河床は土砂崩れと倒木が邪魔をしているが、水の下へ無理なく行かれる。高さは約10メートル。左岸の
僅か上流の岩壁には横穴がある。奥行き約10メートルで人の身の丈ほどの高さと幅がある。左岸からの崩
落と倒竹・倒木が川幅を狭めている。倒木をかわすと川幅一杯の淵がある。右岸側のやや遠方には細い滝
が見られる。高さ約15メートル。上段約5メートル。
 左岸の崩落と倒竹の中に高巻き径が隠れている。これを登った径は右へカーブして直ぐ徒渉し、右岸の径
に戻る。本流自身が小さな瀬を繰り返すが、数段の小さな段差を集めた小滝がある。しかしこの附近から右
岸の径は山側からの崩落倒木に埋もれることが多くなり、沢筋も左岸の小径も通行が困難になる。

Jとうしろ台城址  ○60
 小川の台地は黒岩、権現山、大塚山、月山などの別名があるそうです。砲台が築かれたこともあるそうです。
大永年間(1521年〜1528年)に築城されたという城跡です。
 マメガキ バス停北三原、熊野神社境内。高さ18メートル、幹周り2メートル、樹齢約600年。豆柿、樹齢500年
と彫られた真新しい石碑が根元にあります。
 バス停南房総里見→0.10←黒岩→0.10←城跡の最高部→0.10←119ピーク→0.20←
二等三角点小川、南の分岐点
 バス停南房総里見から聖橋を渡り、突き当たりの丁字路に地蔵像の納められた龕を見て右へ曲がるのは前
項と同じだ。左側に墓所と防火水槽のある丁字路で右東へ下る。民家の脇に大石があり、納札の穴が穿たれて
いる。この黒岩の脇から岩をきれいに削った幅広いが、やや急な道を登る。僅かなアルバイトで尾根筋に達す
ると、南東側の斜面が荒地ないし畑地で、その先の海まで展望される。刈り払いの廃材を掻き分けて北側の尾
根筋を目指す。笹竹が生い茂っているのでゴーグル、手袋の用意をしたい。尾根筋には複数の踏み跡が北へ
続いている。東側は茂み越しにソテツ畑がある。
 最奥に達すると尾根筋の西側が伐採された跡が見える。足元には水の溜まっている井戸?池?がある。山慣
れない人はこの付近で引き返すこと。
 痩せ尾根の左西側は伐採後の植林地で、西側にこの幅広い谷を眺めながら急傾斜の尾根筋を登る。再び林
の中に入ってピークに達すると最近伐採された平地に出るが、踏み跡はかなり薄くなる。右側に寄って、まれに
現れるピンクのマーキングを確かめながら尾根筋の刈り込みのない踏み跡を辿る。小ピークと小鞍部を繰り返
すが、尾根筋を外した獣径に誘われないように尾根筋を忠実に辿る。左右の斜面が狭くなり、前方のピークが
低くなると、最後の肩ピークに達し、緩やかな尾根筋で幅広い径に合流する。
 右へ登れば東分岐、尾根分岐(道久保)を経て、烏場山布野浅間山へ至る。左へ下れば西分岐を経て聖橋、
県道に至る。バス停南房総里見だ。

C 竹の沢上部の標識 もうこの標識は有りません。

K三等三角点 上ノ山 △111.4
 和田浦駅のすぐ西側の山にもハイキングコースがあります。駅からの反時計回りで、紹介します。
 和田浦駅→0.15=0.10←三等三角点上ノ山分岐→0.10←三又→0.10←
踏切(バス停和田浦駅入口)→0.05←和田浦駅
 和田浦駅前の道路を左折、南へ進んですぐ左側に仁我浦集会所があり、ここで右折し、槙の木の脇から道路
を進む。やや右にそれる十字路路の先、避難場所の看板が目立つ熊野神社の入口にはここから始まるハイキ
ングコースの看板がある。それには「上ノ台、大風木台、大塚山」が入山方向をしめしている。参道を進み、鳥居
の脇から左へ分岐する細いコンクリート道を進む。左下に民家の屋根を見たあと、折り返して山道になる。数回
折り返して右側に尾根を置く緩い登りで南北方向の尾根筋に着く。
 熊野神社の入口で見たと同じ形式の看板があって右北側が「仁我堰、大風木台」左南側は「大久保山」と示さ
れている。右側の一段高いところは草地で中央に三等三角点上ノ山の標石がある。
 南へ進むと細い注連縄が張り渡され、右手に石組みにのった石祠がある。(金毘羅様)径は石段で少し下る。
稲荷社の跡らしい狐の像が二体遺棄された箇所を抜ける。緩い下りがやや急になり、左に曲がって草の多いと
ころを抜けると、三又に出る。
 同じ形式の看板があって、西側は右側に尾根を置いたゆるい登り径で「横手山、小浦台」、今来た径は「上ノ
山、大風木台、仁我堰」と案内され、南側は「和田小」と書かれている。又、16の数字の丸い標識もある。南側
へ下ってすぐに左へ折れる。左に尾根を置いた緩い下りがジグザグをするところには17番の丸標識があり、も
う民家の庭先の前だ。
 小学校のグランドと幼稚園に挟まれた道路に変わって左折する。病院と小学校の間の道路を北へ進んで右折
すれば、駅前の道路で、右側には踏切が見え、国道のバス停和田浦駅入口だ。左側は仁我浦集会所の前を経
て和田浦駅だ。
 和田浦駅から駅前の道路を左へ進んで仁我浦集会所の前を通過すると、踏切の手前に、病院への案内看板
が目立つ。ここで右折すると小学校の正門に出る。左折してグラドに沿って進む。右折して幼稚園との間の道路
を進んで民家の敷地左端の細い道路を登る。

◎ 和田支所前の鯨 外国種の骨格標本

L白渚浅間山 〇130 三等三角点 上台 △125.0
 安房拓心高校で、コースの整備を手がけている「拓心コース」です。
 和田浦駅→0.05←南第一踏切→0.10←小浦踏切分岐→0.05←渚橋(日の出橋)→0.20←
サーフ橋

 L−1渚橋側から
 渚橋(日の出橋)→0.10←分岐→0.35=0.30←三等三角点上台→0.10←白渚浅間山
 和田浦駅前の道路を左折、南へ進んで南第一踏切から国道128号線を西へ進む。小浦踏切への分岐の先
で右側の三叉路へ進むと渚橋を渡って右折する。ほぼ並行している国道なら日の出橋だ。
 右折した県道296号線でガードを潜ると両岸に小道を配した小川が左側に流れている。左岸はコンクリート舗
装されて「萬物堂」に通じている。右岸の角には以前は小さな標識、今はコースの案内看板が取り付けられてい
る。この右岸の道を進む。道はすぐに左岸に変わり、川とは離れる。一段下りながら小橋を渡って丁字路に出
る。左は熊野神社に通じる道で右折する。直進のコンクリート舗装道の途中、左側の分岐に標識があって左折
する。畑の脇を抜けて山道に変わる。山道に入ってすぐ分岐があり標識があり、これにしたがって左上へ進む。
尾根径の左側に海の展望がある。右側の藪側にはロープが張られている。足元がせまい。小笹の径から標識
にしたがい左へ曲がる。径の最高部付近には手水石と祠がある。不動山だ。ここから緩く下って鞍部に出る。左
側の足元には岩を掘った小さな水溜りがある。左南側には岩で囲まれた溝径が下っている。正面の尾根筋はソ
テツ畑に通じ、標識は右側の緩い下りを案内している。左側に尾根を置いて左へカーブするほとんど水平な径
がまだ続いているところで、又標識によって左へ折れる。登って左側の尾根を越し、今度は右へ曲がって少し登
る。ここの付近まで右左と入れ替わるが、こまめに標識が取り付けられているので、心配はない。
 径の最高部より僅か西側へ進んだところの草の平地の中央に三等三角点上台(じょうだい)の標石がある。こ
の草地の右寄りから右側の濃い踏み跡の別径に出る。ここには標識がないので、逆コースのとき、右側に入る
箇所を見落としやすい。林が途切れて草地が垣間見えたところで、踏み固めを一段登ればいい。
 再び下りたった鞍部では左側に急な下りの踏み跡が続いている。下山口と標識もある。正面の尾根筋には細
い踏み跡が続いている。県道の角にあった看板ではこの尾根筋を案内しているが、ここの標識は尾根筋の右側
の水平路を案内している。右側は沢の源頭部にもなる沼地で、その左岸側をほとんど水平に進む。左側に丸太
の段径が有ってロープが垂らされている。かなりの急斜面だ。右山の崖を「へつって」更に急登して尾根筋に登り
着く。もう一度右側へ段径を登ってやっと緩い傾斜の径になる。林越しに意外と大きな社殿を見ると、本殿の右
後ろから境内に入る。
 三角点よりやや高い130メートルと推測される白渚(しらすか)浅間山には、太い木に囲まれた広い前庭と大
きな拝殿があり、中には「富士浅間宮」の神額が見える。南側には幅広い参道が斜路で下っている。
 三角点のわずか西側にある下山口を下ると約15分で、サーフ橋付近に下る。小原踏切から直進する径で野
菜畑、花卉畑、蘇鉄畑の中を縫って井戸と竹薮の後ここに至る。

D 五十蔵の十字路にある種子石塔

 L−2 サーフ橋側から
 サーフ橋→0.20=0.15←白渚浅間山
 国道128号線は三原川を旭橋で渡るが、その東側、高い橋柱を見せる特徴的な形は斜長橋とよばれる形式
の自転車専用橋でサーフ橋という。ここの北西側には浅間神社の石柱と句碑がある。元禄十六年11月(1703
年)この地を襲った地震の被害について記されている。碑は明治時代の紀年が読める。住宅地の道路を進
む。東電柱白渚28柱の角を左折、右側の蔵の裏、白渚29柱の角で右折する。狭いコンクリート舗装道を進
む。左側は畑の斜面になる。向拝を持った建物は浅間神社の里宮でここまでが舗装道だ。この付近からしばら
くは海側の眺めがいい。
 緩い傾斜の山道を進むと丸太半切りのベンチの並ぶ展望台に出る。径は幅広い参道になる。赤い両部鳥
居からは左右の樹木が高いので参道に草は少ない。右側に石囲いの祠がある。右側に手水石の建て屋が
見えると広い前庭の先の大きな拝殿を見る。その屋根越しに本殿が見える。
 本殿の右後ろの位置に標識があって、上台方面の径が案内されている。

M西大塚山 △167.2
 和田浦駅→0.10←和一踏切→0.10←別荘地入口→0.10←分岐直進→0.10←切り通し
→0.05←西大塚山
 和田浦駅から北へ進み、和一踏切を見送って線路に沿って進む。宿台(しゅくだい)踏切で左折する。周囲の
展望がいい道路で、これを北西へ進む。
 舗装道路の終点で右側に折れて急坂の舗装道路を進み、別荘地を抜ける。尾根筋に出て左折し、北西へ進
む。舗装道路は右折するが、未舗装道路が正面の山の左側を直進している。これを進むと右側にSカーブの径
が分岐している。この径は尾根筋の東側を進む径になる。右側山裾に井戸の水溜まり、左側に旧街道の合流
がある。
 舗装道路の終点で右側に折れる急坂の舗装道路を見送って、未舗装道路を数歩だけ直進する。右下へ分岐
して沢を渡り、更に右へ分岐する。幅広い急坂の旧街道が枯れ葉に埋もれて溝径を造っている。これを登ると
山の斜面を縫う径に合流する。山裾には井戸がある。
 山の西側を巻く径は分岐を右へ進んでSカーブする。右側に弱い踏み跡が分岐した直後、左下から別の未舗
装道が合流する。左右に高い切り通しを北へ抜けると左側には径が続いているが、そちらには進まない。
 この切り通しの北側で東側の急斜面を目指す。獣道程度の踏み跡を少し上ると尾根筋になり、頂上西側の一
角に出る。藪を避けて進むと三角点に出る。
 花嫁街道の道祖神の分岐、僅か南に鉄板の橋があり、そこからも53号鉄塔を経てこの径に出られるが、途
中足掛かりのない急坂があって変な難路だ。
 東方の△175.2と区別して「西」の文字を入れた。   

D 桟敷(さじき)塚=五十蔵鴻ノ巣山だ。指図塚とも

N天道山 ●148
 頂上には天道神社があり、その裏側には送電鉄塔があります。
 N−1 真門踏切から
 江見駅→0.15←バス停野田→0.10←真門踏切手前
 江見駅→0.15←バス停野田→0.10←バス停東真門→0.15←真門踏切先真門踏切付近
→0.10=0.05←石灯籠下の分岐→0.05←天道山
 江見駅から駅前の道路を南へ進む。神明社の脇参道の石鳥居で右折する。神明社、小学校前を通ると宇遠
野踏切だ。この踏切は渡らず南へ折れる。左側に観音寺の墓石の見える丁字路を右折する。
 江見駅から駅前の道路を南へ進む。右側に神明社の脇参道の石鳥居を見送ると、丁字路に出て右折する。
表参道の石鳥居を右側に見た後、道路は右へカーブする。右手に観音寺の墓石の見える丁字路を左折する。
 洲貝川(すがいがわ)橋を渡ると国道と合流する。
 バス停野田があって、その西側の道路を北へ進んで踏切を渡る。左へ折れてそのまま西へ進む。右側に赤
い屋根瓦の家がある。もう少し先左側には真門踏切がある。
 バス停野田で国道に出たまま国道を西へ進むと、右側に花の駅という花の直売場があり、その奥にトイレも
ある。バス停東真門で右へ曲がる。細い道路で突き当りを右へ左へと曲がって真門踏切に出る。これを渡ると
左側に赤い屋根瓦の家がある。
 その家の脇の道路で山へ向かう。この未舗装道路が尽きると水流の左岸の坂径になる。その水流とも離れ
ると尾根筋を乗り越す切通し部に出る。ここは左へ折れて登っていく。すぐまた切通し部がある。左側に水平な
径もあるが、右側の尾根筋に石灯籠の一部が見え、ジグザグ径を上る。明治14年・1881年の石灯籠は片方
が壊れている。わずか登って社殿の前に出る。
 天道神社の社殿の左側へ進むと送電鉄塔の下に出られる。又、社殿の右側には東側から緩く登ってくる径が
取り付いている。

 N−2 東側の尾根筋から
 江見駅→0.15←バス停野田→0.20=0.15←天道山
 バス停野田からその西側の道を北へ進んで、踏切を渡る。左へ折れて、右へ曲がる径のある東電柱真門22
柱で山側へ進む。民家の入口、東電柱真門110柱で左へ曲がり、その民家の塀の脇を進む。墓地で右へ曲が
り、ビニルハウスの脇、タンクの右側から山径へ入る。
 幅広い未舗装道が東へ向かっているが、すぐに西へ向き直り、笹竹で囲まれた径を登る。草地を抜けると尾
根筋の一本径になる。緩い登りで、右側に60号鉄塔への案内標識がある。正面の山にテレビアンテナを見ると
三叉路で、59号、60号と書かれた案内標識がある。
 左への緩い登り径を進むと天道神社の脇に出る。社殿の左側へ進むと送電鉄塔の下に出られる。

 N−3 天道山から江見大塚山へ(北側)
 天道山→0.05←分岐点→0.05←巡視路の丁字路→0.05←江見大塚山
 天道神社の社殿の右側東へ進むと送電鉄塔の下の分岐に出られる。59号、60号と書かれた案内標識のあ
見られる。緩い水平な尾根径にかわると、左側から別の径が合流する。巡視路の標識もある。石灯篭の分岐か
らの巻き径だ。痩せ尾根を経てから左側の山の高い水平路を進む。右側に薄い踏み跡が分岐しているのを見
た後、再び巡視路の標識の立つ丁字路に出る。左後ろ側の登りの径を進んで、一番高いところから右側の藪の
中へ進むと「上野村」の石祠の前に出る。

I−3 正勝神社の下の川の上流 一の滝(ここだけの名付け)

 N−4 天道山から江見大塚山へ(南側)
 石灯籠下の分岐→0.10←分岐点→0.05←巡視路の丁字路→0.05←江見大塚山
 真門踏切から天道山を目指す。石灯籠の下の分岐には「左側に水平路があ」り、これへ進む。水平な径は右
側にハランの原への径があるが、左側へ進む。右側の尾根筋の出っ張りを回り込む。倒木、竹、蔓があって歩
きにくいが、足元は幅広い。谷を回りこむとやや登り気味の径になって、右側から別の径が合流する。天道山の
東側から来た径だ。その後、再び巡視路の標識の立つ丁字路に出る。左後ろ側の登りの径を進んで、一番高い
ところから右側の藪の中へ進むと「上野村」の石祠の前に出る。

O江見大塚山 △175.3
 天道山を経る道とは別の道があります。
 O−1 抱湖園から
 和田浦駅→0.20←ハイクコース入口→0.10←バス停お花畑→0.15=0.10←
抱湖園展望台分岐→0.05←道路終点部→0.05←大塚山分岐→0.25←峠→0.05←江見大塚山
 和田浦駅下車。東へ進んで踏み切りを渡る。左側の自治会館の前を直進する。道は左へ曲がって行き、ハイ
クコース入口の分岐点には左に曲がるように標識があるが、ここでは右へ曲がる。国道128号線と並行した街
の中の道路で、右側に高層マンションの見える交差点で左へ曲がる。国道を進んだ場合、バス停お花畑のある
ところで、この道に入る。ここには公衆トイレがある。道路沿いに町営駐車場が広がり、売店・飲食店が並ぶ。
 踏切を渡り、道路が左へ曲がるところ、右側に標識がある。階段を登ると、溜池の堰に出る。抱湖園だ。
 尾根筋に達すると左側に分岐が有る。この径は小さな鞍部を越えた先のピークが展望台になっていて
ベンチと東屋がある。尾根筋からは右寄りに進む。左に道路の終点が取り付く。花嫁街道の時、踏切を渡った
後の分岐を右に取った時の道だ。下りになって谷筋で黒滝コースは左へ曲がるが、右側の直進が緩く登って大
塚山へ至る径だ。これへ入る。
 右へカーブして行くところに鉄塔巡視路の案内標識があり、左へ分岐して尾根を乗り越すと57番鉄塔の脇を
抜ける。尾根筋をからむ径は右へ折り返して、尾根を廻り込む。また鉄塔巡視路の案内標識のある丁字路に突
き当たる。左へ、59番の方向へ進む。右へ廻りながら登ると、緩い上り径になる。
 緩い下りに変わる「峠」のところで、左側の林の藪の中へ進む。かろうじて踏み跡が有る程度だが、藪が薄い
のでかわしながら一番高い方、右寄りへと進む。暗い林の中、石垣を組んだ上に、石祠がある。
 この祠は「上野村」で慶応四年(明治元年1868年)に有志60人ほどが建てたものだ。天下泰平、村内安全と
書かれている。江見村誌に拠れば浅間祠で「かみの村」は鴨川市曽呂上のことだ。この祠の左後ろの対角線の
方向へ緩く下る。広い斜面が狭くなると踏み跡はやや濃くなる。左へ曲がって行くと、その踏み跡の脇に三等三
角点(△175.3)大塚山がある。
 緩い下りに変わる「峠」をそのまま下ると、丁字路に出る。標識が右側、59番鉄塔への案内をしている。左へ
折れると奇麗な水平路が続いているが、すぐ左側の山へ上る緩い踏み跡へ進む。あまり踏まれていない径なの
で、小枝が邪魔をする。しかし、三角点の位置より若干北へ進みすぎる径なので、左側の山が低くなったら程よく
踏み跡を離れて、左側の高いところを目指して進む。藪の中の一番高いところに三角点がある。
 59番鉄塔への標識のある丁字路を左北へ、未舗装道のまま進むと「ナリタ自然牧場」ゲートのある新しい未
舗装道路の終点に出る。ただし取り付きは狭い急な山道だ。
 烏場山花嫁街道を挟んで西側の△167.2ピークの名前も大塚山とされている。

I−3 正勝神社の下の川の上流 三の滝(ここだけの名付け)

 O−2 江見駅から
 江見駅→0.15←踏切・日枝神社→0.05←丁字路→0.15←江見内遠野分岐→0.20←
峠のゲート→0.10←巡視路の丁字路→0.05←江見大塚山
 江見駅から道路を南へ進む。神明社の脇参道の石鳥居で右折する。神明社、小学校前を通ると、宇遠野踏
切だ。
 踏切を渡ると正面に日枝神社がある。右側に子安地蔵尊とソテツで囲まれた石段の長興院の参道があった
のち、拡幅された県道になり、各所に旧道名残の三日月湖状態の路肩があるので、特定しなくとも各所に駐車
可能なスペースがある。右側に大きく切られた山のセメントの崖があり、横長の穴が開いている。中には三界
萬霊、弥勒菩薩、馬頭観音が並んでいる。
 左側に店舗の看板の方が目立つ分岐がある。東電柱真門124柱のところが江見内遠野分岐で、県道から左
折、西側に入る。左側には江見北区公会堂があり、右側には中谷(なかやつ)橋がある。これを渡った北詰めを
左折する。川の右岸の道路を進む。すぐに分岐があるが、左側の川沿いに進む。道路はそのままで、川は支流
に変わり、左岸の道になる。最近の開削による道路で、右側の山肌が新しい。道路の傾斜が強くなると、Sカー
ブして更に急な斜面を登る。新しくきられた峠に出る。「ナリタ自然牧場」ゲートのある新しい未舗装道路の終点
だ。
 ゲートの左側に段径があリ、これに入る。右側が大塚山の盛り上がりで、ほとんど水平な未舗装道路を進む。
鉄塔巡視路の標識の立つ丁字路に出る。
 右後ろへ折り返す方向に緩い登りの踏み跡がある。丁字路に近いほうは溝径が倒木で進めない。北側のあま
り踏まれていない径を進む。小枝が邪魔をする。しかし、三角点の位置より若干北へ進みすぎる径なので、左側
の山が低くなったら、程よく踏み跡を離れて、左側の高いところを目指して進む。藪の中の一番高いところに三
角点がある。
 三角点からは南へ下り、マテバシイの枯れ枝を踏んで緩い尾根を登ると「上野村」の石祠へ行く。
 鉄塔巡視路の立つ丁字路からは、右前方向に径を進むと、抱湖園へ向かう。「上野村」の石祠もこちらの方が
近い。

L 白渚浅間神社 拝殿 後ろに本殿の屋根が見える。

P秋葉山 ●224
 頂上には新しい御影の石祠があります。
 P−1 江見内遠野から 
 江見駅→0.15←踏切・日枝神社→0.05←丁字路→0.15←江見内遠野分岐→0.25←
南の分岐点→0.10←十字路→0.10←秋葉山
 江見駅から道路を南へ進む。神明社の脇参道の石鳥居で右折する。神明社、小学校前を通ると、宇遠野踏
切で、この踏切を渡る。その後、県道は拡幅された道路になり、各所に旧道名残の三日月湖状態の路肩がある
ので、特定しなくとも各所に駐車可能なスペースがある。
 左側に店の看板の方が目立つ分岐がある。東電柱真門124柱のところが江見内遠野への分岐で、県道から
左折、西側に入る。中谷橋を渡った北詰めを左折する。川の右岸の道路を進むとすぐに分岐があり、川を離れ
て右折する。防火水槽の二又を左へ進むと右カーブに差し掛かる。左側の未舗装道に入る。農機具倉庫と農家
の庭先の間の道で、右側にビニルハウスと畑の裏側で右側分岐があるが、左寄り直進の狭い坂道へ進む。
 倒木や倒竹が多くて歩きにくい。左側、沢筋へ下る分岐があったのち、小さな広場がある。右に山側へ登る分
岐があるが、草や枝が多い。左へカーブした後、谷筋の径になるが、すぐに右へ曲がって左側が山の径にな
る。右前に藪に埋もれた別径の合流があって左側に曲がると峠に出る。南側の分岐点だ。
 峠の西側には幅のある未舗装道が下っている。南側の斜面には薄い踏み跡がついている。右北側の尾根
の脇にも薄い踏み跡があり、これを登る。
 やがて右側の尾根筋に登りついて、尾根筋の径になる。右側には土手の切れ間に別径の分岐がある。尾根
筋を左へ外れる所には、右側に尾根筋通しの踏み跡が登っているが、左の薄い踏み跡の方を選ぶ。
 径は峠に出る直前、右側から下ってくる踏み跡がある。西側左手にも尾根筋の手前に狭い踏み跡があって、
十字路になっている。この西側の踏み跡に入る。杉の枯れ葉と青木が勝る狭い径なので注意したい。わりと大
きな石灯籠の脇を通る。二基とも同じく背ほどの高さで折れている。二基の間が表参道であるはずだが、そこは
藪のため通りにくくなっている。
 マテバシイの繁る幅広い尾根筋を通ると再びマテバシイの大木がたつ尾根のの肩に出る。急坂を登ると石祠
のある頂上に出る。古い基礎石の上に新しい御影の石祠が置かれ、その脇に昭和59年・1984年3月、東組
と彫られた石柱が並んでる。
 頂上の北側にも踏み跡があるが、倒木などが多くて通りにくいので、これには立ち入らないで、復路へは十字
路まで往復のほうがいい。
 頂上から東側の十字路へ戻る時、マテバシイの「大木の肩」で右寄りに進むと南側の尾根に入ってしまうの
で、ここでは左北東方向へ草に覆われた狭い踏み跡から幅広い尾根に出る。

 P−2 奥谷から
 江見駅→0.15←踏切・日枝神社→0.05←丁字路→0.15←江見内遠野分岐→0.10←
奥谷分岐→0.20←十字路→0.10←秋葉山
 江見駅から道路を南へ進む。神明社の脇参道の石鳥居で右折する。神明社、小学校前を通ると、宇遠野踏
切だ。この踏切を渡る。その後、県道は拡幅された道路になる。
 左側に店の看板の方が目立つ分岐がある。東電柱真門124柱のところが江見内遠野への分岐で、その後、
県道は狭くなる。左側に水田の広がる分岐がある。独立した鉄柱の街灯がある。下四桁が0020だ。その奥谷
(おくやつ)への分岐を左折する。
 山居(さんきょ)橋で洲貝川を渡ると道路は一直線の坂道になる。この傾斜が緩くなると左手になまこ壁の蔵と
農家の母屋が見える。右側ソテツの株の脇から未舗装道に入る。三体の石仏が並ぶが、風化が著しい。左端
は子安地蔵尊だ。道路はさきほどの農家の裏手の尾根筋を進む。道路は一旦鞍部を通る。尾根筋の南北に
は、それぞれ細い踏み跡がある。電線がこの道路に並行している。
 この未舗装道がマテバシイの枯葉で覆われた広場で終わる。右側の一段高いところにはパイプで組んだ櫓が
あり、アンテナがある。先ほどの電線はこのアンテナからの線だ。ここよりわずか手前、広場の下で左側に分岐
する細い径に入る。径の頂部では左側の樹木が切れ、海が眺望できる。左の尾根筋から薄い踏み跡が合流し
てたところから右へ下る。わりと広い径に出る。左右に径が延びて、向かいの尾根にも踏み跡のある十字路だ。
 向かいの尾根についている西側の踏み跡に入ると、破損した石灯籠の脇を通り、マテバシイの太い木を見て
頂上へ至る。

O この祠の左後ろの対角線の方向へ緩く下る。

 P−3 畑から
 江見駅→0.15←踏切・日枝神社→0.05←丁字路→0.15←江見内遠野分岐→0.10←
奥谷分岐→0.10←市井原集会場→0.10←東電柱畑822柱
 バス停上神社→0.15←バス停高鶴配水場→0.15←バス停畑青年館(東分岐)→0.05←
東電柱畑822柱
 東電柱畑822柱→0.25←十字路→0.10←秋葉山
 江見駅から駅前の道路を南へ進む。神明社の脇参道の石鳥居で右折する。神明社、小学校前を通ると、宇
遠野踏切だ。この踏切を渡る。その後、県道は拡幅された道路になる。
 左側に店の看板の方が目立つ分岐がある。東電柱真門124柱のところが江見内遠野への分岐で、その後、
県道は狭くなる。左手に水田の広がる分岐が奥谷への分岐だ。市井原集会所を経て、星野橋の後、道路は拡
幅されている。左側の山の斜面がコンクリートで固められている。道路の北側には旧道の名残の空き地もある。
南側の山の斜面が途切れている。東電柱畑822柱の反対側、狭い沢に沿って未舗装道路がある。
 鴨川駅西口下車。曽呂終点行きバス乗車、バス停上神社下車。鳥居の道路を南西に進む。高鶴(たかづる)
配水場が左側にある十字路(バス停高鶴配水場)を直進すると、道路は下りになる。県道に出て(バス停畑青
年館)左へ曲がる。右側の山の斜面には階段が見えるが、その先で山の斜面が途切れている。東電柱畑822
柱の反対側、狭い沢に沿って未舗装道路がある。

O 中谷橋を渡る。

 未舗装道路は無名の橋で左岸の径にかわる。二又に出て、左へ進む。沢沿いの狭い径になる。谷の二俣で
は左へ進むとすぐに尾根筋の鞍部に出る。反対側と尾根筋の左右にも径がある。右へ進むと右側の尾根筋が
低くなり、痩せ尾根の径になる。右後ろには別の径の合流がある。
 右下へ下る径と左側の水平路の分岐に出る。正面尾根筋にも踏み跡がある。しかし、尾根筋の径は藪が濃く
てとても進めない。左側の水平路を進む。ほとんど水平の径で、緩い下りと登りのあと峠に出る。これをわずか
下ったところ、左右に踏み跡がある十字路に出る。
 左東側の径は奥谷への下り径だ。右側の尾根に沿った径に入ると、破損した石灯籠の脇を通り、マテバ
シイの太い木を見て頂上へ至る。    房総丘陵 1000