今後河川争奪が起こるであろう箇所 房総丘陵 1000 関東山歩き案内index 未完
@河川争奪とは
水は雨となって地上に降りてきます。地上の水は僅かでも低いところを目指して流れます。地面の水平なところ
では僅かな高低差を見つけて低い方へ。斜面ではその傾斜の方向へ。水だけを流していくのではありません。水
の流れるところにあるものをすべて道連れにして流れていきます。かくして斜面では流れの方向へ土砂を始め、
色々なものを流していきます。流れの方向は川になります。岩石土砂を流した川はその底を深め、谷が深く形成
されます。河川の浸食の始まりです。最上流では山の尾根筋や山頂に食い込むように源頭部の侵食の開始部が
見られます。二つ以上の川の源頭部ないし上流部が接近するとその流域の境は尾根筋になり、これに主流や支
流の侵食の始まり部分が更に侵食を進め尾根筋を切り込むことになります。二つ以上の川の浸食の激しい方が
大きく食い込むことになります。侵食の揺るやかな方へ食い込んでゆきます。こうして緩やかな方の源頭部は、急
傾斜の源頭部へ流れを替えてしまうことになります。これが河川の流域の変更で、上流部だけでなく下流部でも
起こります。大工事をして人工的に造ったところもあります。利根川の下流、江戸川の分流点は、江戸時代に関
宿(野田)付近で流れを変えたものです。実際の水流はかなり無理があります。関宿から銚子(河口)までの距離
と同じ関宿から東京湾葛西浦安までの距離を見れば傾斜の違いが分かります。江戸川部分に今は水門があって
流量を調節しています。
A河川争奪の箇所の他所の例 1
神奈川県丹沢、宮ヶ瀬湖宮ヶ瀬虹の大橋付近。北側は津久井町鳥屋。御屋敷宮之前の文字の読める付近、
串川が流れています。この地図ではあまりよく分かりませんが、幅の広い大きな谷を形成しています。道場の文
字の読める僅か南県道の丁字路があります。その南がうぁ現在園地になっています。大昔、宮ヶ瀬川の上流から
荒井、御屋敷、道場付近から宮之前へ流れていた元の河川が、この付近で下流の方向を変え、宮ヶ瀬ダムの方
向へ流れているというものです。しかし、いまはダム湖の為に、大昔の流路などしかめようもありません。ここが河
川争奪の箇所だという話を聞いて納得するよりありません。
B河川争奪の箇所の他所の例 2
千葉県千葉市東部、土気付近。この付近は東側の太平洋へ向かう川の上流が複数、河川争奪をして分水嶺を
西に移動させているというものです。残念ですが千葉市側は都市化が進んで、現在の高度の変化が地図上では
よく分かりません。
今後河川争奪が現在から遠い将来にわたって発生するであろう箇所について
1 鹿野山の南斜面
鹿野山の南斜面、湊川の上流、高宕川は飛清川から田倉沢は国道465号線より北へそれ、林道鹿野山線を
管渠で潜り北東へ延び、鹿野山の九十九谷展望公園の南方で源流部になります。この湊川の北側を流れる小
糸川は鹿野山の北側から東側を流れ西粟倉・東粟倉から鹿野沢に変わって鹿野山の南の斜面に東側から西へ
接近します。鹿野沢林道があってかなり奥まで車が入れられます。
高宕山、石射太郎(山)を通った山道は関東ふれあいの道九十九谷をたどるみちです。植畑上郷−石射太郎山−マザー牧場−神野寺−白鳥神社(九十九谷展望園地)というコースをたどります。
二つの川野分水嶺は石射太郎(山)−V芹−平田トンネル上部−W苗割−四五標−尾根分岐−●160−
ほ3標−九十九谷展望公園と繋がっています。(各地の地名表示は「房総丘陵」内のガイド文中の表示による)
この内、四五標−尾根分岐−●160−ほ3標間の尾根筋が、浸食のため遠い将来河川争奪が起こるものと
予想されます。
西側田倉沢の源頭部の様子
林道鹿野山の下に管渠があって北側に田倉沢の上流の河岸に降りられる階段があります。下りると左岸側の
歩道に降りられます。すぐに歩道はなくなり、岩盤の奇麗な河床、切りたった崖に囲われたU字谷どころか凹字
のように角まで切りつけられた沢筋になります。左右から数本の枝沢が合流しますがそのどれも同じような凹字
の河床をしています。この沢筋がやや広がると左右の河岸は幅を持ったV型になり、水流の幅より河床の幅が
広くなると左岸側は小幅な農地跡になります。今は小幅な地面に細い歩道があります。右岸側は低い藪山で
す。かつて丸太橋が掛けられ右岸側の山中へ行かれました。今はその僅か下流側で岩盤の河床を渡って右岸
側に取り付いて山に登りそのまま北へ尾根筋を辿って鹿野山山長の東端の九十九谷展望公園へ行かれます。
小橋跡渡渉、三又、ホ3、四本杉、桜並木3507、九十九谷展望公園という尾根筋です。
小橋跡徒渉点を過ぎると立て続きに右側の尾根筋からの小路が合流します。禁猟看板の丁字路からの合流、
四五票標からの合流があり、杉並木の土手に出ます。この杉並木の土手に出るとその北側東側には広い水田
跡の草原が展望します。杉並木の西端はこの「田倉のかくし田んぼ」からの余剰水を流す水路がありますが、
水門になる狭い水路は荒れて、水流による浸食が起こっています。この水が今まで左側に見てきた水流の上流
です。広い水田跡は北側に広く奥深く、東側に狭く短く、拡がっています。右手の掌を親指を少し離して眺めた形
です。手首が杉並木の土手です。乾いた水田の跡地だったら何処でも歩けます、しかし水平だった地面は新しい
水流の為浅いながらもV字の浸食が始まっています。親指と人差し指の根元に当たる斜面の角を目指します。
角から一段山裾を登るとほとんど水平に東へ進みます。親指の腹の部分です。小幅な水田跡の平地の北側の
山裾を東へ進むと、小さな谷が左側にあります。人工林の枯れ枝を踏んでその谷口を横断して又山裾を進もう
とすると、左手北側の山の斜面に切り開きがあり、かなり急な山道があります。附近に三四の標識もあります。
これを登ると●160のピークに南側から達します。この山道を見送って更に進むと水田跡の平地はその東端
に達します。北東方向に緩い傾斜の小幅な谷筋があって、これに入ります。かつては気持ちのいい緩い傾斜の
奇麗な谷筋でルンルンと歩けたのですが、いまは侵食が始まってその泥濘から浸食のV字の浸食谷に残された
狭い平地をロープで辿ったり、荒れた沢径になりました。左に枝沢を見送って小さく右カーブしたあと、荒れた沢
は浅い鍋底を思わせる奇麗な谷筋になります。かAつては全線このような谷筋に低い段径の段木が埋められて
たのです。この浅い鍋底のような谷に変わってすぐ、沢筋は竹薮で右手の斜面に踏み跡があり、これを登ると
尾根筋に出ます。これが「尾根分岐」とした位置です。左側へ尾根筋を辿ると竹薮の源頭部を抜けてロープの
急斜面を登るのも含めて尾根筋の径は●160のピークに東側から達します。今も藪のピークですが、北へ進む
ように小径が切り開かれ急な下りも通過して、「ホ3」の位置で小橋跡徒渉と九十九谷展望公園の尾根筋に合
流します。この「ホ3」の僅か東側では、尾根筋の南側は田倉沢北谷の源頭部に繋がる斜面と鹿野沢北側支流
の造る浸食の垂直崖の上を通ります。垂直崖の高さは30メートルくらいはあるでしょうか、下部の下生えが見ら
れます。
東側鹿野沢の源頭部の様子
国道465号線は植畑附近では大きく蛇行します。東粟倉では東から南へ進み、ゴルフ場の入口に通じる丁字
路の先西へ進んで平田トンネルを潜り鹿野山林道と交差、鹿野山の南山麓を西へ進みます。このゴルフ場への
丁字路に入って国道と別れるとすぐにゴルフ場への丁字路が又ありますが、右側が鹿野沢林道です。鹿野沢の
左岸側に林道が続きます。一部林道に山の崖が迫る箇所もありますが、幅広く農地が展開しています。左右の山が迫りかけた頃、林道の終点になります。ここまでほとんど水平、林道の終点では小さな鹿野沢を小橋で渡り、
西から東へ流れる沢の右岸を進みます。水流は谷の左岸の山裾を流れています。径の南側は荒れた平地の先
に山が見えます。この平地は水田だったのかもしれません。水平です。小木や草が覆っています。小川を二回渡
ります。三回目の手前では平地の中に鹿野沢の左岸のまま進む踏み跡がありました。これは右北西に寄って進
む本流で、西に向きをかえ、支流を複数分岐させて●160ピークの北側や「ホ3」附近の斜面に達します。
この二又で左寄りに進むと三回目の小川を渡るとロープの垂らされた尾根先の急斜面に取り付きます。ここまで
ほとんど水平です。この小尾根の南側は鹿野沢の左股の支流の源頭部で、小さな水流しかありません。小尾根
を登ると、「尾根分岐」に達します。石射太郎から四五標−尾根分岐−●160を経て九十九谷展望公園に続く
尾根です。右へ一歩進むと田倉沢の源流の沢筋に降りる斜面があり、そのまま尾根筋を進むと●160ピークへ
連なります。左へ尾根筋を進むと南へ尾根筋を僅か下ったあと、小ピークと小鞍部で小さいけれど激しい上下の
径になります。このとき東側の斜面は高い垂壁になって、その何処かでは新しい崩落を見ることになります。垂
壁の高低差は50〜60メートルはあるでしょう。西側hア普通の斜面です。南西側に尾根筋がカーブして尾根筋
の左右とも斜面に変わり、東の斜面の先にゴルフ場のグリーンを遠望するようになると四五表の丁字路です。
尾根筋東側、続く南側は斜面になります。
標高と距離
田倉沢の源頭部、「田倉のかくし田んぼ」の標高は約110メートルです。ほとんど水平に水田の跡地が展開し
ています。「尾根分岐」としたその源頭部が高宕山石射太郎から鹿野山九十九谷展望公園を結ぶ尾根筋に取り
付いた附近は約120メートル。一方鹿野沢の林道終点部の平地の標高は約60メートルです。ほとんど水平な
径を西へ進んで約70メートルくらいのところが尾根筋のすぐ東側の崖下の標高だと思っていいでしょう。
鹿野沢の南股の西斜面は地形図では標高線が読めますが、実際は垂直な崖です。河床ないし河岸の標高は
70メートルくらいに上がっているでしょう。この崖下と「かくし田んぼ」の平地までの高低差は約40メートル程で
しょう。一方距離は約100メートルくらいで、その高低差の激しい箇所の尾根筋のほとんど「かくし田んぼ」側の
斜面です。
いつ河川争奪が起こるのでしょうか
東側のからの斜面(垂直の崖面)の浸食が進み、これが水田跡地の平地の山裾に達するまでにどのくらいの時
間必要なのでしょうか。浸食は日々進行してはいますが、それは通常の微々たるもの。梅雨明け前の温帯性低
気圧から秋の台風風シーズン等に大量の雨が降ります。これによって土砂崩れが年に一回くらいの割で発生し
ます。その規模は崖の上の面積で尾根沿いの距離が数メートル、尾根に食い込むのは0.5メートルくらい。こ
れが何か別のきっかけを元にあちらこちらで起こります。直線距離にして200回分、これが幅をもってあちこちで
起こるには幅にして200回分、都合2〜4万年くらいに経過すると「かくし田んぼ」の一角に東側からの浸食の崖
が小さく接近するのではないでしょうか。
土砂が堆積しこれが岩を形成している上層部の土砂の下層には岩盤があるでしょうが、この岩盤の高さは「杉
並木の土手の南側、小川の河床で見ることが出来ます。この深さまで浸食すると、田倉沢源頭部は争奪される
ことになります。 房総丘陵 1000
2 千倉館山・大形トンネル北の尾根
南房総市千倉の 未完