全般 房総丘陵1000
久留里(くるり)城は戦国時代からの城で、江戸時代一旦廃城になりましたが、すぐに再建されました。久留里
記という書物では、築城の時に雨が多かったことから、雨城(うじょう)の別名がついたということです。明治時代
に取り壊されましたが、昭和54年・1979年君津市により、資料館とともに再建され、本丸の天守閣からは素晴
らしい展望が得られます。周囲は公園として整備が進んでいます。
正源寺の銀杏。イチョウの大木は高さ13.5メートル。幹廻り5.08メートル。樹齢600年。観音堂の裏手に有
ります。幹は空洞になって、樹木医の処置が見えます。仮想の幹廻りとこれから樹高を想定すると、現在の倍以
上のものにもなります。
(久留里城は第@項から第F項までです。第I項は川谷砦跡です。ほかに第J項に横尾番所跡 怒田城跡 第
K項の一部に岩室堂 岩室城跡があります)
@ 高沢家の井戸には水を汲みに来るお客が絶えない。斜向いには専用駐車場もある。 |
@久留里城 ○145
久留里駅→0.10←高沢家井戸≒真勝寺参道分岐→0.10←久留里神社→0.05←
久留里城側駐車場→0.10←久留里城址資料館→0.05←天守閣(展望台)
JR内房線木更津駅乗り換え、久留里線久留里駅下車。駅前広場の左手北側には瓦葺平屋の公衆トイレがあ
る。外観も内装もレトロだが、必要な設備は最新のモダンなものだ。駅前を東へ進み、表通りの国道410号線を
右折する。道路を跨ぐ城の模型が頭上にある。高速バスの停留場もその先にある。東京駅八重洲口と鴨川駅、
千葉駅と鴨川駅ないし亀田病院を結ぶ路線だ。但し、一つ先の停留所、久留里城三の丸跡のほうが城へは近
い。
湧水が豊富なところで、道路に沿って二ヶ所(実際は各所に多数ある)、自噴の井戸が有り、これを汲む客で、
とくに高沢家の井戸は込み合っている。その駐車場が北東側にある。道路は狭いので通行には気をつけたい。
左側に真勝寺の案内標識があった先から、道路の左右に人家がなくなる。右側にだけ歩道がある下りの道路に
なる。
左側に久留里城入口の看板が有る。ここで左に入るとすぐ左側に、又左折するように標識がある。久留里公民
館の向いの角だ。曲がると左手に二ノ丸への径が分岐し、城山隧道の入口になる。
左側にある久留里城入口の看板を見送って更に国道を南へ進むと、右手に井戸があり、更に歩道からは三段
の滝が眺められる。久留里神社の参道が右手にある。真新しい石段を進むと亀の池がある。その上には赤い神
門が有り、中には二体の随身像が置かれているが、いずれも左手の一部が欠けている。手水場の後ろには、自
噴の井戸があり、水質分析表が張り出されている。柄杓も用意され、簡単に飲用できる。この神社は立派な本
殿で、右側には末社をまとめた社殿もある。裏側には青面(しょうめん)金剛像が八体並んでいる。同じ庚申(こう
しん)様なのに、少しずつ造りが違う。表の道路、国道を東に渡った僅か北側に狭い径があってこれを東に進む
と小さな十字路に出る。久留里公民館の所だ。久留里城を案内する標識が有り、城山隧道の入口に出る。
隧道を抜けると、道路は二又になる。一般車は直進して広い無料駐車場に駐車すること。右手にある上りの道
路は一般車通行止め、関係者だけの車道だ。しかし、「事情のある方は、、」と書き添えられて、この急坂道を車
で登っていいとしている。あたたかい配慮だ。又、この坂道の登り始めには何本もの杖が筒に入れられている。
「資料館の前にはからの筒があり、ここに返せばいい」という。右手に階段があり、城山探鳥路とされている径が
山の上へ向かっている。資料館の建物を右側に見た左側には、古びた和風の小屋がある。公衆トイレだ。中味
は近代的のものだ。その裏手は鶴の曲輪だ。右手の資料館の入口近くには先ほどの杖返しの筒がある。資料
館は月曜などが休館だとういう君津市立博物館で入館は無料だ。上総掘りという江戸時代から明治時代に活躍
した深井戸掘りの資料もある。僅か一人か二人の手掘りで深い井戸を掘る技術だ。ここのほかには木更津の上
総博物館にも同様の展示がある。
長屋塀の裏手に通行止めとされた広い未舗装の下り径がある。未整備の旧登城道だ。尾根径を進むと左手に
天神曲輪があり、ここには大きめのトイレがある。更に進むと小さな池が二つ並んでいる。男井戸女井戸(おいど
めいど)といい、滲水を溜めたものだ。右手に三角の平地がある。波多野曲輪で、西側の展望がいい。長屋塀を
挟んで天守閣が聳え立っている。
天守閣は近年に再建されたもので、全周囲が見渡せる展望台になっている。天守閣の北側は古い天守の基礎
の跡を土塁にして残している。又、一段高いところには丹生廟遺迹の石碑がある。南側には再建記念碑があり、
怒田(ぬだ)方面、内山堰への径が繋がっている。
広い無料駐車場の北側半分は森林体験交流センターの駐車場で、北側の県道とこの駐車場の真中に車止め
があり、交流センター、資料館の開館日開館時間に合わせて開閉される。夕方の閉鎖は4時半なので、そういっ
た看板が所々にある。南側半分の城跡側は開放状態なので若干の時間延長でも利用できる。
真勝寺は古くからの寺で、樹齢200年といわれるカエデがある。
@ 久留里神社の赤い鳥居 |
A二ノ丸への旧道
久留里駅→0.10←高沢家井戸≒真勝寺参道分岐→0.10←久留里神社≒隧道西側→0.15←
二ノ丸=久留里城址資料館
久留里神社に近いところで久留里街道から久留里城入口へ向かう。久留里公民館の先に、城山隧道がある。
その隧道の入口左手には二ノ丸への旧道が取り付いている。これを登るとすぐ右に曲がって行き、隧道の真上
にあたる付近を登って行く。左手に神社の階段がある。「狛犬」という「犬」らしい狐か柴犬の容貌をした犬の石像
が左右に置かれている。吽像にあたるべきもう一体の口元が大きく欠けているのは残念だ。階段の数段上に
は、唐獅子の狛犬も並んでいる。城山神明社の社殿がその上にある。社殿の左側にはその奥の尾根筋への径
もある。
やや急な坂道だが最近も手入れされている。これが正面の山を避けて左に振れると径の傾斜は緩やかにな
り、左側の林の中に薄い踏み跡がある。城山探鳥路という標柱と左下へ下る階段があり、見おろすと車道が見
える。火薬庫跡という看板もある。左側に車道が尾根筋を抉るフェンスのところが一番の痩せ尾根で、その左下
は先ほどの車道だ。右手西側の眺めがいいが、場所としては狭い。その僅か先にはもっと広い展望箇所があ
る。堀切と看板のでているところで、左下だった道路と接合する。そのまま右手寄りの径を進むと、資料館の裏
手に出る。二の丸の西側の薬師曲輪で、西側の展望がいい。解説の石碑、雨城八幡神社がある。長屋塀を伝
えば、新井白石の像があり、資料館のスタッフ用の駐車場があり、資料館の入口になる。左下は無料駐車場へ
行く車道、右側は天守閣(展望台)へ至る径だ。
B 西側
B−1 秋葉神社から二ノ丸への旧道
久留里駅→0.10←高沢家井戸≒真勝寺参道分岐→0.25←隧道上部→0.15←
二ノ丸=久留里城址資料館
久留里駅から久留里街道を南へ進むと、高沢家の井戸を右手に見た後、街道は緩やかに左右に曲がる。左
手に真勝寺への案内標識のあるところからその参道に入る。参道の右手には真勝寺の立派な石碑がある。そ
の脇に小さな階段があって、これを登る。木立の中に秋葉神社の社殿がある。右手にある水色の鉄骨階段は水
道部のものだ。社殿と灯篭の中間左手に径があって、これを進むと裏手の山、秋葉山へ登る。この山は古久留
里城跡だという、上の城(うえんじょう)又は上の山だ。小さなピークと小さな鞍部−堀切が繰り返される。幸いコ
ースサインが取り付けられているので、山の左側や右側を巻いていく。右側に振れて急な坂道から狭い踏み跡に
なる。笹竹の多い径で右側が僅か開けて久留里神社の杜が眺められる。 秋葉山 ○80
僅か下って痩せ尾根の径になると右下には屋根が見える。城山神明社の社で、そこへ降りられる径もついてい
る。左より直進は城山隧道の真上だ。そのまま進んで城山神明社からの径と合流する。城山探鳥路という標柱と
左下へ行く階段がある。直進して資料館に至る。
秋葉神社から隧道の上までは山道で意外に時間の掛かるアップダウンを伴う径なので山に慣れていない人は
入らないほうがいい。
@ 久留里城旧道からの街並みの眺め |
B−2 浅間山遊歩道 ○160
久留里駅→0.05←新井白石旧宅案内標識→0.15←浅間山
久留里駅から久留里街道を南へ進み、信号を左折して県道を東へ進む。右側に新井白石の旧宅跡を案内す
る標識があって、右折する。右側に大井戸を見たあと、突き当りを左へクランク曲がりする。安住公民館の一角
に旧宅跡地を示す立派な石碑が立っている。その先は小学校のグランド側の校門で、その右側に浅間山遊歩道
入口の標識がある。グランド越しに校舎の右端の山に大きなオブジェが見える。遊歩道はプールの裏などグラン
ドを大きく廻り込む。オブジェは忠霊塔で、その左側から山道が始まる。三峰神社、ヤマツツジ公園の看板があ
る。枕木の段径を登る。正面の山道に対して緩やかな径を左へ折れる。山頂からは久留里市場方面の素晴らし
い眺めが広がる。三峰神社の社、木之花佐久夜毘賣命の大きな石碑、二十三夜様の社も並ぶ。
南へ尾根筋を辿れば、前項の秋葉神社の山に繋がってはいるが、刈り込みが完全ではないので、同じ山塊で
はあるが、進まないほうがいい。
C林間歩道
君津市森林体験交流センター、城側の駐車場→0.15←天神曲輪または天守閣裏
広い駐車場の北側半分は森林体験交流センターの駐車場で北側の県道から進入できるが、この駐車場の真
中に車止めがあり、交流センター、資料館の開館日開館時間に合わせて県道側の入口とともに開閉される。南
側半分は開放状態で若干の時間延長でも利用できる。森林体験交流センタ−と並んで休憩所(東屋)が「山崎」
の上にあり、更に南側にも駐車場が繋がっている。この城側の駐車場に喰い込む「山崎」に絵看板(周辺案内
図)があり、その裏手に登り口がある。この案内図の描き方では東屋の山崎の尾根の元に繋がるようだがそうで
はない。その点に限らず細かい間違いがあるので、この図はあてにならない。
絵看板(周辺案内図)裏手の登り口を少し登るとミツバツツジの案内のある平地に出る。左へ進んで木製の階
段を登る。この階段には足元に隙間がない。左右に山肌を切った切開きの階段に変わって尾根筋に登りつく。
尾根の元側から普通では下れないほど急なの尾根の先の方を見ると、東屋が見える。
林間広場と看板がある。ほとんど水平な径を進む。榧の木広場の標識の後、径は分岐点に出る。左右とも径
はいいが、ここにある標識は右手を示している。大きく右手へカーブしながら登る。左へカーブしなおして出たとこ
ろは天神曲輪のトイレの裏だ。表の径に出れば右は資料館、左は天守閣へ至る。
先ほどの標識は右側の径を案内しているが、左手もいい径なのでこれを進むと、右山の崖の径だ。大木がこ
の崖に根を張り、水平に幹を伸ばしている。頭を下げねば通れない。二回頭を下げると排水のU字溝をまたいで
天守閣の裏手に登りつく。左手下には弥陀曲輪が見える。
@ 久留里城二の丸資料館、新井白石像、八幡神社 |
D内山堰=城山探鳥路
城内を抜け、天守閣の奥から内山堰を回遊する径が、設定されています。あまりいい径ではないので(靴など
の服装も含めて)山慣れない人は入らない方がいい。北側の県道側からも近付けますが、その道は探鳥路と
はされてはいません。
久留里城址天守閣の奥→0.05←尾根筋分岐→0.20(左右の径とも)←下の堰→0.10←
県道大多喜君津線東電柱小市部101柱→0.05←県道交流センター入口→0.05←
君津市森林体験交流センター駐車場
天守閣からは全周囲の展望が得られる。その南側には再建の碑が建っている。長屋塀の外れには山道が繋
がり、怒田方面内山堰という標識がある。下ると左手に水平な分岐がある。弥陀曲輪への径だ。尾根筋を進む
と左へ下る。右上には岩の崖が覆い被さるように直立している。その先で径は尾根筋に戻り、小ピークに出る。
左後に「戻り下る方向」に分岐があり、いく種類かのコースサインがここに取り付られている。尾根通しの径を避
けて「左に下れ」と具体的に示すものはここにはない。下るとすぐに又分岐点に出る。ここには左下が内山堰で、
今来た径が久留里城だと標識がある。右上は怒田だ。
下っていくと尾根筋の径になる。左手下にやや荒れた径が分岐しているが尾根筋の先には探鳥路の標柱があ
って右下に水面が見える。右へ下ると堰に下りつく。左右に水面がある。左側が下流側の溜池だ。右岸に渡るが
下流の枝沢の食い込みに従ってどんどん上流側へ進む。狭く深い枝沢だ。ロープが垂らされて一旦この沢に下
りる。僅か幅30センチほどの水流が洗面器のような奇麗な谷底を流れている。刻まれた階段で登ったあと、緩く
下って行く。又標柱があって左に折れる。緩く下って分岐に出る。左後ろに戻る方向は内山堰の下の堰へ行く径
で、右直進は県道へ至る。
尾根筋の先に探鳥路の標柱があって右下に水面が見えるところ、左手下にはやや荒れた径が分岐している。
この径は溜池の左岸で下る径だ。ここを下ると幅の広い枝沢を渡る。踏み跡も薄く、雑木も多いので慎重に進
む。このような沢渡りがもう一箇所ある。又左山右崖下の径は「房総丘陵」にしては狭く、崩れかけているところも
ある。右下に水面が近づいてきて堰に下りる。今踏んだ左岸の外れには放水路のトンネルが隠れている。堰を
渡って右岸側を下流側へ進むと、標柱がある。右へ鋭角曲がりして右岸を登ると上流で元の径に合流する。左
へ直進すると県道に至る。
君津市森林体験交流センターの駐車場は専用道で県道に接続している。県道に出て右折、東へ進む。右側だ
けに歩道がある。山の切肌を見た後、右側は水田の広がる広い沢筋になる。道路とは一段低いので、パイプの
手摺が付いている。その途切れたところ、東電柱小市部101柱のところには急な坂道が取り付いている。農作
業用の車道だ。
小さな川を渡り、水平な径になる。左側が水田で、右側は水流と山の崖になる。これが林の中になると丸太の
橋で左岸右岸と渡り直す。これまでの水平な径から、登りの径に足を掛けるとすぐに標柱がある。下の堰のすぐ
下の分岐点で、径は左右に分岐している。いずれも久留里城天守閣の奥へ至る。
E怒田第二隧道から
久留里駅→0.10←高沢家井戸≒真勝寺参道分岐→0.10←久留里神社(公民館前)→0.05←
旧登城路分岐→0.15←怒田第二隧道→0.10←内山堰分岐→0.05←久留里城天守閣
久留里神社に近いところで久留里街道から久留里城入口へ向かう。久留里公民館の前を更に南へ進む。左
手には配水槽があり、階段がある。この階段は、資料館に至る径だ道だ。右手に道路が分岐している。バス停久
留里城三の丸跡への道路だ。左手へ道路はカーブしていく。もう一つ右手への道路の分岐を見送ると怒田第二
隧道だ。潜りぬけた先のすぐ左側に久留里城への案内標識がある。
幅広い谷の右岸の径で、尾根を二回乗り越して、再び左山の径になると三又の分岐に標識がある。右の下り
が内山堰で、左へ登ると尾根筋で僅かで久留里城天守閣の南側に至る。
@ 久留里城 資料館全景 |
F未整備の旧登城路
久留里城資料館の前の長屋塀の裏に下りの斜路があります。道の真中に通行禁止という札が立っていま
す。通行してはいけません。
久留里駅→0.10←高沢家井戸≒真勝寺参道分岐→0.10←久留里神社(公民館前)→0.05←
旧登城路分岐→0.15=0.10←久留里城資料館
久留里神社に近いところで久留里街道から久留里城入口へ向かう。久留里公民館の前を更に南へ進む。左
手には配水槽があり、階段がある。この階段は数段のもので、土砂崩落防備保安林の看板の脇に上がる。林の
中の緩やかな斜面の径を進む。山に突き当たったところから左右が崖に囲まれた急な山径になる。足元は落ち
葉が厚く、湿潤している。左右に曲輪のような平地がある一方、左手の斜面は急な山だ。直線的な登りの径にな
ると、左手に長屋塀が現われ、資料館の前に出る。
G浅間神社 △179.0 三等三角点城山
G−1 怒田浅間山を経て
久留里駅→0.10←高沢家井戸≒真勝寺参道分岐→0.10←久留里神社(公民館前)→0.05←
旧登城路分岐→0.15←怒田第二隧道→0.20←三角点城山
怒田第二隧道を潜り抜けた先のすぐ左側に久留里城への案内標識がある。そのまま道路を進むと、平成24
年・2012年の春改修された急な石段が左手にある。これを登るとすぐに緩やかな尾根径になる。左手に石の祠
がある。更に、忠実に尾根筋を辿ると径の傾斜が急になる。その先で浅間神社の石の祠がある頂上に出る。祠
は二つあって奥の方が古い。この祠の先に境界石と境界見出標がある。東側の境界の流れの先にも尾根筋の
鞍部が見えるが、これを下るのはやや急だ。
浅間神社の祠のピークから僅か戻った所に、このピークの東側を巻く細い径がある。水平なこの径を進むと、出
合った境界見出標は325と読める。左側の急斜面の先には、境界杭がピークへ登っている。
右東へ進んでピークを二つ巻く。386標から三つ目を右に巻きながら登った先が緩やかな小さなピークで、三
等三角点城山の石標がある。この径は尾根筋で続いている。久留里神社の紀元二千六百年奉祝記念の石碑の
ところで左へ下る。
@男井戸・女井戸 |
G−2 探鳥路から分岐して
君津市森林体験交流センター駐車場→0.05←県道交流センター入口→0.05←
県道大多喜君津線東電柱小市部101柱→0.10←下の堰分岐→0.15←枯れ木の分岐→0.10←
三角点城山
君津市森林体験交流センターの駐車場から県道を右折して東へ進む。歩道のパイプ手摺の途切れたところ、
東電柱小市部101柱に急な坂道が取り付いている。農作業用の車道だ。
小さな川を渡リ、林の中になって、左岸右岸と渡り直す。水平な径から、登りの径になる。下の堰のすぐ下流の
分岐点で、径は左右に分岐している。いずれも久留里城天守閣の奥に至る。ここでは左側へ進む。再び標柱が
ある。探鳥路はここで右折するのだが、ここで分岐して直進する。
左手の尾根が高くなり、径がこの尾根筋を登ると、そこには別の径がある。枯れた太い木と僅か離れて赤い境
界石が尾根筋にあって、左後ろにも径がある。川谷砦跡に繋がる径だ。「イ」の字型の合流点だ。そのままの方
向、南へ尾根筋を進む。径は尾根筋より左へそれる。標識見出標348標のところから左後へ溝径で登る。尾根
筋に登りつくと左側には紀元二千六百年記念の石碑がある。右側へ進んだ、すぐ右に、三等三角点城山の石標
がある。その後、この境界杭を忠実に辿って325標に至る。ここからも急斜面を境界杭のまま登れば石祠のピ
ークだ。325標から左へ水平に進めば、ピークの僅か下で怒田からの径に合流する。
H老僧様北参道
江戸時代初期、久留里の常光院の住職は村民救済に尽力され、村民の敬意を得た。浦田部田山に大聖頼佑
尊として奉られ、そのお堂が山中にある。
バス停久留里城三の丸跡→0.15←老僧様お堂
久留里街道を南へ進んだところ、バス停久留里城三の丸跡がある。バス停は改称されている。道路の東側に
は飲食店と広い駐車場がある。又、西側には交通安全を祈願した観音立像がある。その南東側にかつて老僧
様と書かれた看板と大賀蓮池の看板も並んでいたが、撤去されてしまった。それによると寛文元年(1658×)
(1661年)ここに近い常光院の住職になったという僧侶の御威徳が書かれていた。
未舗装道を溜池に沿って東へ進む。その池の東端には「久留里の湧き水」がここにもある。そのまま東へ進む
と、東屋が二棟あり、ベンチテーブルがある。水田がハス池に変身している。その東側で交差する細い径の十字
路を右折する。害獣避けの門塀が造られている。幅広い谷の右岸になる径の左側には石塔がある。風化と苔で
文字は読みとれない。塀に隠れて見落としかねない位置だ。右手には水田が広がり、左手は今にも崩れ落ちて
きそうな崖だ。水田が竹薮、林に変わり、谷の源頭部で折り返して上部の平地に出る。径の十字路に出て、左北
へ進めば林を抜けてお堂の前に出る。質素なお堂だがお供え物など、手が尽くされている。これが北参道だが、
十字路の南側の径も、東側も手入れ不足で通れない状態だ。
I川谷砦跡 ●195
久留里城後詰めの山城だといわれています。
I−1 川谷の浄蓮院から
久留里城駐車場=君津市森林体験交流センター駐車場→0.05←県道交流センター入口→0.05←
県道大多喜君津線東電柱小市部101柱→0.10←内山トンネル東側→0.10←川谷丁字路
→0.05←浄蓮院→0.15=0.10←土塁・曲輪→0.15=0.10←東側の小鞍部
久留里城の駐車場は車の通り抜けは出来ないが、森林交流センターの駐車場を抜けて県道に出て、東へ進
む。歩道は南側だけにあり、その手摺りの開いているところは内山堰城山探鳥路に至る箇所だ。内山トンネルは
広くて明るい。川谷(かわやつ)丁字路の先、消防団の倉庫があり、地蔵像の立つ覆い屋がある。右折して細い
道路へ入ると井戸に突き当たる。左手の墓地の奥には浄蓮院の堂が有り、右手は急坂が墓地の奥へと続いて
いる。
右手の急坂の先、部分的にコンクリート舗装された丁字路を右折する。古い墓石や大日如来像の脇を抜けて
山道に入る。登りきった径は平地を抜け、山裾を右へ廻り込む。右手に二つの三角形の塚が見える。二タ村(ふ
たむら)塚だ。廻り込んだ尾根先には左へ登る山道が分岐し、直進すると一段低く青い倉庫がある。右側は塚の
ほうにも行かれる。山裾の径は幅が広くなる。腰曲輪のようだ。これらは専門家の判断を仰ぎたい。
左手にある尾根への山径は最初だけ笹薮を分ける径だが、その後右へ曲がって尾根筋を辿るようになると、
小さな鞍部に出る。東側の小鞍部だ。
@ 再建された久留里城 |
I−2 内山トンネルから
久留里駅→0.05←新井白石旧宅案内標識→0.10←新道丁字路
久留里城駐車場=君津市森林体験交流センター駐車場→0.05←県道交流センター入口→0.05←
新道丁字路
新道丁字路→0.05←切り通し東→0.35=0.30←544標分岐→0.05←尾根筋合流
内山トンネル東側→0.15=0.10←尾根筋合流
尾根筋合流→0.15=0.10←宿畑西端部
久留里駅から東へ進み、国道で右へクランク曲がりして更に東へ進む。右手に新井白石旧宅案内標識を見送
る。円覚寺、円如寺へ繋がるスーパーマーケットの左丁字路の先で道路自身が右へ曲がる。南東に向き直ると
左手に新道の丁字路がある。
久留里城の駐車場から君津市森林体験交流センターの駐車場を抜け、北側県道に出て左折すると右手に新
道の丁字路がある。
新道の丁字路から北へ進むと久留里大谷側から来た場合の道路案内標識がある。この標識の柱のところ、右
へ折れる。※林業の集積場で左側山裾に未舗装の急傾斜の道路があり、これを進む。一回折り返して高度を上
げ、山崎を左へ曲がりこむと谷の右岸の斜面のトラバース山径に変わる。進んで合流した※山径は尾根の南側
を巻く径だ。左手西側は切り通しになっているが藪の中に消える新道の法面の上だ。右手東側へ進む。
※〜※までは新道の建設のために尾根筋の山道が新道の切り通しで切断された箇所の案内だ。本来この山
道が道路に接合するべく山道を「擦り付ける」べきだが、新道建設の折に山道を切断したきりにしたもので、前述
の案内は幸い南斜面にあった踏み跡がうまく山道に接合したものだ。南斜面の地主にお話が聞けた。南斜面の
地主が形成した斜面の西端の生え際をうまく進められなければ302号の新コンクリート杭にもお目にかからず、
山径に接合もできまい。この附近は読物として行かない事だ。
尾根の右側を巻く径は笹薮の箇所もあるが幅のある溝径で尾根筋に変わったのちは主に尾根の右巻き径で
進む。枯れ竹が溝径を埋めている。とても通行できない所では、一時右手の土手上を進む。550番台の境界標
が現れる。551番では樹木の伐採された明るい谷筋になるが、細い丸太と下生えがうるさい。549番から高い
尾根を左に置いた右巻き径になる。風化の激しい地蔵像を左手の山裾に見た直後の544番の境界杭のところ
が分岐点だ。
これまで来た方向で左へ緩く曲がりながら下る径から右手の尾根径へ一段上がる。内山トンネルの車の音を
聞いたのち、左側からこの尾根に登りつく小径がある。
久留里駅方面から内山トンネルを潜り東側に出ると、南側に内山国有林の看板がある。その東側に未舗装道
路が南へ向いている。進むと直ぐに山崎を右へ曲がる。左下に川の砂防堰を見下ろしたところから道路は狭く
なる。赤い杭と幹に塗られた赤ペンキの境界見出し標代わりのコースサインを見たのち、右岸の支流が滑滝に
なっているのが見える。高さが3メートル、長さ7.7メートルの小さなものだ。ここで右後ろへ折り返す登り径へ
進む。その後、折り返し一回で尾根筋に登りつく。
尾根筋は浅い鞍部の後左へ巻く。右手の盛り上がりには「道(3)1」という書き込みの杭と西への尾根と小径
が付いている。溝径から尾根筋になると狭い角度の二又になる。左寄りの尾尾根筋に忠実なほうを進む。「山
三九四」の石標附近では左手の斜面からの巻き径を合流させる。「北東尾根筋」の「く」の字型分岐からのもの
だ。直ぐに右巻きの径に変わり、径がなくなる。地滑りのため僅かな距離、径がなくなっているのだ。下生えを透
かし見て径の連続を確かめる。再び溝径の右土手の低くなったところが久留里城方面への分岐だが左へ溝径を
直進すると僅かで平地の一角に出る。宿畑の西端部だ。
A 城山神明神社 |
I−3 内山堰から
内山下堰と繋がる山中の径の途中から川谷砦跡の西側の分岐点目指します。
県道大多喜君津線東電柱小市部101柱→0.10←下の堰分岐→0.15←枯れ木の分岐
→0.15←西分岐→0.10←宿畑西端部
東電柱小市部101柱までは別項参照。ここから農道入る。内山下堰の分岐から進んで尾根筋を登ると、そこ
には別の径がある。枯れた太い木と僅か離れて赤い境界石が尾根筋にあって、左後に尾根径がある。
三五□の赤い石標杭の尾根径を南へ進むと小ピークを右へ巻いて狭い痩せ尾根を進む。二度目の痩せ尾根
の先が泥岩の露出した狭い尾根で登る箇所、巻き径を選ばす、急で危険な泥岩を進む。登り切った小ピークの
赤い杭は三六四と読める。その後も若干上下の激しい尾根筋のピーク鞍部を繰り返す。緩やかな鞍部が続いた
後正面の尾根を僅かに避けて右巻きの登り径がある。この西分岐点には尾根の更に右側を巻く水平な径もあ
る。西分岐からは別項。
A この標識を左に見て、この径に入れば二の丸の旧道。 |
I−4 南側から
内山トンネル東側→0.10←川谷丁字路→0.10←上川橋への分岐→0.10←木ノ川橋
月崎駅→0.25←柳川橋→0.20←菅野隧道東丁字路→0.10←
林道長者線北側の道路の延長入口→0.05←木ノ川橋
木ノ川橋→0.10←東電柱川谷256柱分岐→0.25←南の四分岐
内山トンネルから県道を更に東へ進んで川谷の丁字路を経て更に東へ進む。縫製工場の看板の建つ分岐は
右下に分岐している。鳥獣保護地区の赤い看板も建つ。上川橋を渡ると長めの素掘りトンネル、短めのトンネル
を潜って木ノ川橋を渡り、林道長長者線の北側道路の延長部に入る。
月崎駅から南西へ県道を進んで柳川橋、菅野隧道を通って林道長者線の北側の道路から左折、南へ進む。
高い切り通しを抜ける。右下の御腹川の川面とはだいぶ高度がある。道路を横切る支流の水流が滑滝を見せ
ている。木ノ川橋からの道路とは丁字路で合流する。
右岸の道路のカーブ地点では左岸に川トンネルの穴を見る。林道長者線から無名の橋が取り付く箇所は丁字
路ではなく三角分岐になっている。川谷256柱。
橋を渡って間もなく右手に分岐する。右手の山裾の水路に板の渡されたところから山径に入る。僅かな登りで
尾根筋に出る。その後は尾根道または溝径を忠実に辿る。
右巻き径で山崎を右へ曲がる箇所では、下りのとき右尾根筋へ間違えそうな箇所が一箇所ある。尾根筋が急
な岩壁に突き当たる。無理に一段登ると岩壁に小さな横穴が穿たれ風化した石祠が祀られている。ここでは尾
根筋からやや左へ尾根筋を外す。その地面も小幅ながら流されて、下生えを避けて左寄りの岩壁の下へ向か
う。岩壁の下には左西へ下る斜路があり、右へ登ると左へ曲がって東への登り径、北側へ溝方の登り径の四分
岐点だが十字路とは言い難い。南の四分岐点だ。
木ノ川橋→0.10←東電柱川谷256柱分岐→0.15←岩船地蔵尊分岐→0.25=0.20←
房総ふれあいの道合流西丁字路
川谷256柱の無名橋の三角分岐から舗装道路を南へ進むとやがて山中の道路になる。墓地の二又分岐の東
側では岩船地蔵尊が見られる。西分岐は長者集落への新道分岐を経て林道長者線になり、そのまま舗装の行
き届いた林道は房総ふれいの道大福山2.4キロ標識の建つ西丁字路にデル。東電柱福の50柱。但しダンプ
街道である。
I−5 北東の尾根筋から ●195
久留里城駐車場=君津市森林体験交流センター駐車場→0.05←県道交流センター入口→0.05←
県道大多喜君津線東電柱小市部101柱→0.10←内山トンネル東側→0.10←川谷丁字路
→0.25=0.30←●195
川谷丁字路までは別項参照。ここの僅か西側には道路拡幅のために尾根先が切られ、パイプの手摺に囲ま
れた斜路がある。低い手摺を失礼して斜路を登る。セメントの径から自然の尾根径に変わる。すぐに水平な径は
左へ巻く径を登って水平な尾根筋に登りつく。下りのとき右下へ尾根筋を外して下る径に入るのだが、水平な奇
麗な尾根筋が続いていて、僅かな距離の先で尾根先は切れ落ちている箇所だ。
尾根筋を緩やかに登る。左右に巻く径があっても尾根筋を辿る。曖昧なピーク二度目の場所には小石祠の石
が倒れている。その直後「く」の字型の尾根切りに出る。実際は右後ろと右前へカーブする幅の広い溝径だ。右
後ろの溝径は北西へ下っているが途中で下生えが多くなり、細いケモノ径程度の迷い径の交差する斜面に出
る。右前の登り径は西南西に緩く上っている。頂上尾根の北側を水平に西へ進む。途中か羅狭い踏み跡にな
る。境界石を見たあと小尾根を小さく下り、内山トンネル方面からの径と「山三九四」石標で合流するものだ。「く」
の字型尾根切りからは踏み跡が曖昧だが獣径程度の踏み跡を辿ると●195ピークの肩に出る。広い山頂に下
生えは少なく、喬木と化した山桜の株が散在し他の広葉樹が混じる。「く」の字尾根切りから左へ水平に踏み跡
を辿ると谷の源頭部のまだ谷にならない平地を抜けて東の小鞍部からの径と合流する。
G 浅間神社の石の祠 |
I−6 山頂回遊
東の小鞍部 宿畑西端部 西側の分岐点 南の四分岐点 崖口 宿畑 「く」字型 ●195 等、便宜上ここだ
けの固有名称を使います。
東の小鞍部→0.05←●195→0.10←宿畑西端部
東の小鞍部→0.05←南の四分岐(崖口経由)点 崖口→0.05←宿畑西端部
宿畑西端部→0.10←南の四分岐点
西側の分岐点→0.15←南の四分岐点
「く」の字型→0.10←「山三九四」標柱
小鞍部の西側は正面尾根径と左下りの巻き径が分岐している。尾根径は笹竹の多い踏み跡の曖昧な斜面で
三角の平地の西側は低いが壁になっている。右北寄りに巻いて急籐を避けたのち尾根筋を目指す。広い平面の
●195はややでこぼこしている。喬木の山桜の株が多い。他の樹木も混じるが下生えは少ない。西へ向かうと
竹薮になる。竹をかわして右肩を進む。その右下に曲輪を思わせる平地が見える。尾根筋のまま下って西端部
へ降りる。
小鞍部の西側の左巻き径は狭い径で、僅か下って宿畑の崖口部に出る。そこで右折すれば少々の倒木と下
生えの平地、茶色のジュータンをしいたのかと思わせるまっ平らな平地を抜けて宿畑の西端部に至る。崖口部を
抜けてそのまま進めば狭い径のまま南の四分岐点に降りつく。
宿畑の西端部に出る直前南への分岐は西側の分岐点へ向かう。宿畑西端部では左へ薄い下生えを分けて●
195へ向かう。正面の平地はまっ平らな平地から少々の倒木をかわして崖の上に出る。そこまで左右は尾根筋
だ。崖の上は小鞍部と四分岐とを繋ぐ径だ。西端部の右寄りの尾根の肩部分に浅い踏み跡が僅かな下生えの
中にある。尾根筋を右へ越えて四分岐へ下る。
西分岐では尾根の右側を巻いて登る。左の尾根の根元に登りつくと、三六□の杭があり、尾根を左へ乗り越え
る。右巻き径は崩落のため狭く危険な感じがするか黄色の注意標杭がある。宿畑西端の僅か西側に合流する。
三六の杭のある尾根の根元は逆コースの時、尾根筋自身を下る踏み跡に誘われかねない。細い杭のある急下
りに変わるときに左斜面に獣径ほどの径で東側の巻き径へ移ること。
西分岐の尾根右巻きの登り径の更に右側にトラバース径がある。急な壁の下の斜面に薄い踏み跡が続く。壁
の下には横穴が一つずつ計二つ繰り返して開いている。南側から食い込む谷と北側から下る小尾根が繰り返さ
れる。横穴5つの並びの跡の尾根先を回り込んだのち、岩の登りになると右手に南の尾根からの径が合流して
左へ曲がる。
この四分岐点では右上は宿畑崖口、小鞍部への径。正面の登る溝径は宿畑西端へ向かう。溝径は尾根筋の
左巻き径からその尾根を斜めに乗り越す。宿畑の平地を右下に見る道で低い尾根筋の上、右肩から浅い踏み
跡のまま宿畑西端部に合流する。
●195ピーク北東の尾根筋の「く」の字型の鞍部は堀切ではなく峠状のもののようだ。横穴(5+1+1)は内山
トンネルの北東にも一つある。僅か離れて煙突の小さな竪穴があり、その内側は煤けている。
日本城郭大系6川谷砦の記述とは一致しない。要約すると「大木戸三又路東へ500メートル。高さは100メー
トル。中ノ台という山頂。長方形をした平坦な台地。三方に細尾根が派生し、それぞれ空堀があって、遮断され
る。土塁が南北方向に構築され。中ノ台では瓦や陶器片が出土した。久留里城から約600メートル」だ。久留里
城天守閣から西分岐まで700メートル、●195なら1キロメートルを越える。
G 2012年に改修される前の浅間神社の石段です。 |
J横尾番所跡 怒田城跡 ○140
久留里まちづくりの会で作られた久留里ガイドマップで怒田大日堂と北向地蔵も案内されています。しかし、北
向地蔵尊の位置がそのマップではよくわかりません。この地蔵堂を通り、横尾番所跡へ行きます。更に足を伸ば
すと上総亀山駅まで行かれます。
久留里駅→0.10←高沢家井戸≒真勝寺参道分岐→0.10←久留里神社(公民館前)→0.05←
旧登城路分岐→0.15←怒田第二隧道前分岐
怒田第二隧道前分岐→0.10←大日堂先分岐怒田64柱
怒田第二隧道→0.10←北向地蔵への分岐点(林道怒田福野線)→0.05←
大日堂手前分岐怒田64柱
北向地蔵への分岐点(林道怒田福野線)→0.10←庚申社の分岐→0.25←北向地蔵
怒田64柱分岐→0.05←怒田77柱分岐→0.20←北向地蔵→0.05←道路カーブ地点分岐
→0.35=0.30←未舗装道の分岐→0.05←横尾番所跡石道標→0.05=0.10←
林道坂畑線NTT電柱77柱→0.30←北端の民家→0.10←坂畑公民館十字路→0.10←
上総亀山駅
大日堂分岐→0.10←怒田城跡
久留里駅から国道410号線を南へ進み、久留里城の案内標識で左側の小道に入る。左折が久留里城跡の駐
車場を示す標識のある曲がり角の右手には公民館がある。ここは直進する。バス停久留里城三の丸跡からの
道路が右手にあり、この付近から道路は坂道になる。
道路の二又で、右手へ進むと切り通しを抜けて、水田の広がる農村に出る。左側には大日堂への石段がある。
三間の宝形造りで唐破風の向拝を持つお堂は宝暦十年(1760年)亀山の滝原神社を移築したものだと由緒書
きがある。中には大変立派な厨子が納められている。怒田神社の社殿もその右側にある。この怒田神社の背後
東寄りの急斜面の中に薄い踏み跡を辿る。家庭用テレビアンテナの転がっていた平地の先で山頂に至る。広い
平地の怒田城跡だ。報告書では○150だ。この大日堂前から僅か先の東電柱怒田64柱の建つ丁字路で右折
する。
「道路の二又で、左手へ進むと」怒田第二隧道を抜ける。左手には久留里城への案内標識がある。怒田浅間
神社の石段はかなり荒れていたが2012年の春修復された。左へ分岐する小道は北向地蔵を案内しているが、
これは全線道路で行くものだ。次に左手へ分岐する丁字路、東電柱怒田64柱のところで左折する。行き過ぎる
と右手に大日堂の石段がある。
水田の中の道路は怒田77柱のところで分岐する。左手の未舗装道路へ入って三歩先のところで、左手に登る
狭い斜路に入る。本来なら棚田や段畑の中の径だと思われる。季節によっては草で覆われて通行の辛い径にな
るかもしれないが、踏み固めはしっかりしている。奥の農機具庫を目指す。その脇からは明瞭な山道が続いてい
る。一部、露岩の湿潤した路面もあるので十分注意したい。左側、山の崖が低くなると狭い舗装道路に出る。ガ
ードレールの端で、数種類のコースサインが取り付けられている。右折して南へ進むと石塔の立つ覆い屋があ
り、道路の分岐に出る。ここが北向地蔵尊で、二つの道路の真中に石段がある。新築されて間もないお堂があ
り、隣には開放と施錠の休憩舎がある。林道怒田福野線新設記念の看板も中にある。
怒田浅間神社石段の先、左の小道は全線道路で北向地蔵尊へ行くものだ。これを進むとやや急な舗装道を登
る。左の崖上に鳥居と庚申石塔を見たあとの分岐を右へ折れる。右側からの山道の合流を見て5分足らずで北
向地蔵尊の道路分岐に出る。
アスファルト舗装の道路を進むと左手の崖に青いトタン板がある。地蔵尊の霊水で、崖に穿たれた横穴に水が
溜められている。トタン板は落ち葉と雨水を避けるもので、柄杓も用意されている。道路の路肩は退避場以上に
広い。道路は右手に未舗装の空き地を置いて左、東へ曲がる。この右手の未舗装の空き地から二本の踏み跡
を見る。右側、南西方向の踏み跡へ進む。進むにつれて道幅も拡がり、左に曲がりながら露岩の斜面を下る。
南へ向き直って、水平の尾根径になる。幅広い谷筋の右岸に該当する位置を進む径から尾根筋の径になり、緩
やかに登る。左手に蜜柑畑を見た付近から径は幅を広げる。この未舗装道路が左へ曲がるところ、これまでの
直進方向に径が続いている。これを進むと右へ下り始めるが、左手の斜面に細い上りの踏み跡がある。この左
手の細い径へ登る。斜面の狭い径は左へ曲がって竹林の中になると、石柱が立っている。昭和3年に大典礼を
記念して坂畑青年会で建立した道標で、四方向の地名が書かれている。一段高いところには石幢の六地蔵像が
ある。ここが横尾番所跡だ。
僅かな登りの後、左右に曲がる急な下りを経て、舗装道路に降りる。林道横尾線でNTT電柱77柱がある。右
折すれば道路を下って、上総亀山駅へ行かれる。左折すれば大福山へ行かれる。
G−2 城山探鳥路=内山堰の水面 |
K愛宕山 ●192
同名の山が各地にあります。表参道には大きな鳥居があります。山頂には立派な社殿があります。主神は軻
遇突智神です。
スダジイ 幹周り3.5メートル、高さ15.0メートル。大木、多数あり。
K−1 表参道から
久留里駅→0.30←新国道交差点→0.05←丁字路(東電柱愛宕85柱)→0.05←鳥居
→0.15=0.10←愛宕山
久留里駅下車。駅前から東へ進むが、久留里街道に出る手前で、右南へ折れる。浄土宗正源寺のところで右
折し、線路をくぐる。ここの正源寺には、加勢観音堂がある。軍の時、陣に持ち出した聖観音が加勢なされて、勝
利したという。
この道は主要地方道93号線なので意外と交通があるので注意したい。向郷の集落の西の外れには「迎い郷」
の堂がある。改良国道410号線が近くを通るために、移転を余儀なくされた石仏が集められている。お堂の中に
不動明王、外に地蔵坐像、石幢六地蔵が並んでいる。そのすぐ西側が、410号線の新道の十字路がある。ここ
より更に五分ほど西側に丁字路がある。野菜直販所愛彩畑西側、愛宕85柱、上総自動車教習所東端。ここで
右折、北へ進む。進むにつれて正面に意外と大きな鳥居が迫ってくる。
道路を渡ったところに新建立なった鳥居があり、愛宕神社の文字が鮮やかだ。参道には新しい石碑で、由緒が
書かれている。ここのすぐ東側は空き地と廃棄されたゲートボール場と推測される荒地がある。更に東側は君津
市東部土木事務所の資材置場だ。
表参道は車一台分くらいの幅で水平に続く。左手に民家への分岐のあと、上り坂になる。やや傷んだ石段とこ
れに$の字のように斜路がからんで高度を上げる。緩い傾斜になってから、左右に大木が目立つようになる。そ
の倒木のために石段の壊された所もある。
急な石段を目の前にしたところでは、右手にそれて斜路が分岐している。これは裏参道に繋がる径だ。急な石
段は、段組が荒れているので注意したい。途中、二回踊り場がある。一つには右手に水平な径が延びている。や
はり裏参道へ繋がる道だ。もう本殿の前のひと登りだ。この山頂に意外と立派な造りだ。前庭も広く、君津市観光
協会のベンチもある。社殿の西側が高く簡素な地蔵堂、浅間大神と御嶽神社の石碑がある。
I−1 浄蓮院の入口 中央の二本の喬木は令和元年この地方を襲った台風の後、 切断されてしまいました。令和元年房総半島台風です。 |
K−2 表参道脇 青葉高校から
久留里駅→0.35←丁字路(東電柱愛宕85柱)
→0.05←鳥居→0.20=0.15←愛宕山
久留里駅下車。正源寺脇を経由して、表参道の鳥居の前へ向かう。鳥居の位置から僅か西側には、やはり北
側へ向かう道路がある。濃い緑の大きな看板が県立青葉高校を示している舗装道路だ。進むとすぐ二又にな
る。校長名で部外者の立入を禁止している看板がある。左へ進むと、道路に山道が取り付いている。東電柱愛
宕115柱。山道はこの愛宕キャンパス内の通路だ。実習棟と林の間の道は徐々に傾斜を強めながら右にカー
ブする。右手に、このキャンパス内の真中を縦断する道が取り付いたのち、道は左へ曲がる。右山左谷の地形
で緩く登っていく。右へUターンすると、左右は針葉樹の緩い登りになり、目の前が開けると、社殿の脇に出る。こ
こまで、轍のある道だ。
K−3 裏参道から
久留里駅→0.15←岩室山分岐→0.20←東電柱富田73柱の十字路→0.20=0.15←愛宕山
(鳥居→0.20←東電柱富田73柱の十字路)
久留里駅下車。駅前から東へ進むが、久留里街道に出る手前で、左北へ折れる。突き当たった道路を左に折
れると、高倉街道踏切があり、このまま西へ進む。菰捨(こもすて)橋という珍しい名前の橋があり、その名前のい
われが書かれた看板がある。
左手にオートキャンプ場への案内看板のある道路が取り付いている。この付近を国道410号線が改良されて
通ることになるので、じきに様子が大きく変わることになる。左手の低い山が岩室山だ。この道に入ってすぐに右
に別の細い道路が有り、これに入る。すぐまた別の細い道路が左手に有り、これに入る。東電柱富田147柱の
ところで、消火栓の手前だ。道路は左右が藪の上り坂で、右手に畑地、農家が見えるようになると、その山崖に
は三猿の石像がある。ビニルハウスのところで道路は左に、続いて右に道成りに曲がって、二又に出る。
左手のほうがいい道のようだが、ここでは右手へ進む。道路脇には太い木が茂り、笹薮も迫っている方だ。その
竹薮の脇には石幢六地蔵がある。二つ目の丁字路で左に曲がる。東電柱富田71柱。誤って直進すると道路は
下っていくので、電柱番号のほか目印は無いが気をつけたい。
交通量の意外と多い道路の十字路に出る。東電柱富田73柱。表参道の鳥居の前から交通量の多い道路を
進んで来たとき、十字路になって下りの道路に変わるところだ。
細い道路を進み、道成りに左、右へ進むと土蔵の脇に出る。その先から細い径になる。一番左よりの田畑の谷
を横切る水平な径を進む。緩い傾斜の溝径になる。左カーブして、傾斜を増す。シダ類の多い湿潤した径だ。
傾斜が緩くなると左手に狭い展望がある。この山で唯一、下界が望める場所だ。右手に小さな石段の径、その
左手に緩く下る径の二つがある。左手の径は表参道の石段の下に繋がる径だ。右手の小さな石段とそれに続く
斜路を登る。又、左手に分岐がある。水平な左手の分岐は表参道石段の踊り場の一つに繋がっている。社殿の
屋根が坂道の先に見えてくる。
I−5 川谷砦跡 |
K−4 岩室堂 岩室城跡 ○70
久留里駅→0.15←岩室山分岐→0.10←岩室堂→0.05←岩室城跡
久留里駅下車。駅前から東へ進み、久留里街道に出る手前で、左北へ折れる。突き当たった道路を左に折れ
ると、高倉街道踏切があり、西へ進む。菰捨橋を渡る。
左手にオートキャンプ場への案内看板のある道路が取り付いている。この付近を国道410号線が改良されて
通ることになるので、じきに様子が大きく変わることになる。ここで左折して南へ進む。東西に長い岩室山の西端
の山裾が新国道の為に切られている。その南側には地蔵像があり、細いコンクリート舗装道を東へ進む。山の
南の山裾を進んだ先に、建物がある。堂の前の小屋だ。山の崖に大きな穴が穿たれて、その奥に石仏が六体
並んでいる。
堂に至る僅か手前、平成24年・2012年に林道が開削された。南西側の尾根にある東寄りの堀切附近で北へ
登り、第二郭附近で北西側の第二郭、第三郭側へ下る経路だ。主郭を取り囲む空堀を渡れば主郭だ。東へ薄
い踏み跡の尾根が水田近くまで続く。南側山裾にヤグラ(横穴墓)がある。日陰山(ひかくれやま)古墳群と日陰
山横穴群だ。
L朝日山 △292.9
久留里駅→0.35←丁字路(東電柱愛宕85柱)→0.10←笠付地蔵石塔左カーブ地点→0.10←
信号交差点→0.20←西野集会所
西野集会所→0.20=0.15←右カーブ分岐→0.10=0.05←朝日山
西野集会所→0.10←間野丁字路→0.20←電波塔入口(温泉施設入口南)→0.10←朝日山
電波塔(朝日山)入口→0.15←払下げ記念碑丁字路右→0.20←国有林ゲート(背波澤山入口)
久留里駅下車。正源寺脇を経由して、野菜直販所愛彩畑の西側、上総自動車教習所東端の丁字路は直進す
る。左カーブ地点にはカフェ等があり、道路に面して笠付地蔵尊の石塔が立っている。県道93号線の北側には
歩道があらわる。坂の上は信号のある交差点で、広域農道とのものだ。更に西へ進む。北側に養鶏場が続く。
道路の最上部を過ぎると北側は西野の住宅地になる。三本目の北へ入る道路で右折する。
西野集会所直ぐ北側の小山の上にはお堂があり、スダジイが太い。その墓地の入口の西側の未舗装道へ進
む。東電柱間野82柱。正面には大きな電波塔を山頂に置いた朝日山が見られる。
轍が消えても道は3.6メートル、二間の幅を保った浅い溝径になる。倒木が僅かにあるが、全て処理されて通
行には差し支えない。左側の細い二箇所の分岐はいずれも直進する。径が左へカーブする箇所、東側の急斜面
の細径へ踏み替える。笹に囲まれた東向き直線の径は左へカーブして北へ向く。傾斜が緩むと電波塔の建物が
左側に見える。小御嶽神社の石碑、小塚には浅間石碑(山水講)が建つ。奥の切開きの先から電波塔の下に出
る。北西側の眺めがいい。
○ 久留里大谷の八坂神社 ケヤキの大木 鳥居の右側の柱と重なっている。 |
西野から更に西へ県道を進む。北側の歩道が途切れる丁字路で県道は左折して間野へ行くが、直進する道
路は右へカーブ、歩道の余地はあるが荒れて歩行は無理、車道歩きになる。植木屋の植栽地では東西の見晴
らしがいい。上り坂が下りかけたところ、右側に狭い舗装道路が分岐している。チェーンが張り渡されている。
西側は配水場と水場の集落へ道路があり、僅か北側には宿泊温泉施設への入口のあるところだ。
チェーンの張られた右分岐は直ぐVターンし南へ登る。未舗装道になって左カーブすると電波塔が見上げられ
る。二つの施設の右端から林へ入ると浅間祠の前に出る。府馬清氏が「房総の古城址めぐり」で千本城跡から
のすばらしい眺望の一つだとする旭山がこれだ。
宿泊温泉施設の入口から北へ道路を下ると桜並木になる。右丁字路は県道で、法木山拂下記念碑がある。こ
こで右折して戸崎国有林の背波澤山入口へ至る。 房総丘陵 1000