那古山 1535

全般                 房総丘陵1000
 JR内房線富浦駅は大変ユニークなデザインの駅舎です。駅前の北側には、これまた、デザインされた公衆トイ
レがあります。駅前から国道までの道はインターロッキングで舗装されています。街灯も枇杷の実を模した、お
洒落なものです。(水仙の花を模したのは南房総市旧富山町)
 愛宕神社の大楠。高さ18メートル、幹周り4.65メートル。樹齢500年。駅から国道に出て、北へ曲がって直
ぐのところ。手水舎の裏手にあります。
 旧富浦町営のバス路線は朝夕の通学時以外の便は電話予約制になりました。バス停の標識は残っています
ので、場所の特定に利用します。

◎ 富浦駅西側の愛宕神社 大楠

@大房岬 ○82.2 △79.5
 江戸の守りのために砲台が置かれ、帝都−東京の防衛の為に要塞が築かれました。戦後直ちに払い下げ運
動がなされ、今は樹間に園地の展開する大変手入れのいい公園です。大房(だいぶさ)岬国定公園の大きな看
板の先に広い駐車場があって、そこまで車でこられます。「少年自然の家」もあり、観光ホテルもあります。
 1.富浦駅→0.25(海岸経由)←急坂道の下→0.10←レストハウス駐車場
 2.富浦駅→0.10(国道経由)←丁字路南→0.10(釈迦寺経由)←墓地の北側→0.15←
レストハウス駐車場
 3.レストハウス駐車場→0.10←第一展望台→0.10=0.05←明神崎
 4.レストハウス駐車場→0.10←ビジターセンター→0.05←第二展望台→0.05←弁天窟
 5.レストハウス駐車場→0.15(南芝生園地≒不動の滝経由)←第二キャンプ場
→0.05(要塞跡地経由)←第一キャンプ場≒第二展望台
 1.富浦駅下車。西側の国道に出て左折し、すぐ次の細い道路で右折する。砂浜の先には海を隔てて、大房岬
の低い緑の森が見える。海岸は海水浴場で、公衆トイレと着替えのハウスが何百メートルかおきに設置されて
いる。いずれも奇麗な洒落たものばかりだ。岡本橋を渡ってからは漁港が岬の手前に見える。山が間近になっ
たところで、左へ鋭角曲がりする。大房岬に繋がる広い道路に出て右折すると、左側には私立大学のセミナー
ハウスがある。道路は急傾斜をカーブして登る。
 左側にこざっぱりした建物を見たあと、左側に分岐する道路がある。公園内のメンテナンス用の道路で少し先
に車止めがある。「国定公園」の大きな看板があって左側に入ったところが無料駐車場で、身障者用のスペース
や観光バス用の白線も引かれている。
 ここは樹林で区切られた広い駐車場で、道路よりの北側にはレストハウスがあり、公園内の案内図もいただけ
る。この建物の西側にはトイレも併設されている。駐車場の一番南側には遊歩道があり、東屋もある。日曜日に
限り、便数は少ないが、富浦駅からのバス便がある。
 2.富浦駅下車。西側の国道に出て左折し、そのまま国道を南下する。この国道が左へ曲がるところ、直進の
県道に入ってすぐ、右手の細い道路へ入る。左右に民家が並ぶ生活道路の左右がやや寂しくなったところ、左
手に釈迦寺がある。旧富浦町の指定天然記念物、マキの大木がある。種別はイヌマキで高さは13メートルも
ある。ただし、境内には壊れかけた小堂があり、これに近づくと危険な状態なのにもかかわらず、何の注意喚起
処置もなされてはいない。本堂の前で堂外から御本尊を敬拝したければ、「ゴミは持ち帰れ」の貼り紙、二枚を
拝んで、それに替えたい。
 大房岬に至る広い道路に出る。右折すればそのまま道路で岬へ行かれるが、ここでは左折して、すぐ向いの
西浜へ行く狭い道路へ入る。右側に狭い急傾斜の道路があり、これをあがる。もし、行き過ぎると右側に墓地が
あり、左側には西浜の集落の住宅が並ぶところだ。
 コンクリート舗装の狭い道路で、右側に浅間神社がある。左側に別荘があり、ここまでの道路は更に狭くなる。
その別荘の西側に隣り合って狭いコンクリート舗装の急な坂道がある。これが大房七面山(しちめんざん ○6
0)の分岐で、草木が覆い被さっていて、とても通れない。その奥には建築途中で放棄された大きなお堂と、太い
木の下に傷んだ社がある。大きなお堂の前からは東側に展望があるが、笹竹越しだ。
 七面山の分岐からは道路の脇、左右からマテバシイの枝が道路にかぶるようになる。右下に、大きな建物の
屋根が見える。私立大学のセミナーハウスだ。広い道路に合流する。左側には大きなという建物がある。左側
に分岐する道路があるが、公園内のメンテナンス用の道路だ。「国定公園」の大きな看板があり、広い無料駐
車場がある。

@ 多田良海岸から漁港と大房岬

 3.駐車場のレストハウス脇の道路は、広いまま続いているが、これは観光ホテルへ行く。右へ分岐した狭い道
路を進む。一般車通行止めの看板がある。右側の梢越しに富浦の海が見える。左に「少年自然の家」のメンテ
ナンス道路を見た先には、大きな看板がある。舗装道路は左へ分岐して「家」の玄関を経由してビジターセンタ
ーへ続いている。右側の道路は、左側の野外炊飯場の脇で、左へ分岐してやはりビジターセンターへ向かう。
 右側へ進むと広い芝生の「運動園地」に出る。左側の林の中に径が隠れていて、その中央に展望塔がある。
高さは15メートルの大変立派なもので、、全周の展望が眺められる。富士山も見られるが、真正面には高くなっ
たシイの木が邪魔をするので、少し脇に寄ればいい。各方向に展望図があるのは嬉しい。「運動園地」の西側に
は要塞跡の地下倉庫があり、奇麗なトイレと東屋もある。園地の北側には第一展望台がある。崖の肩に北側が
展望できる舞台が造られている。その右側の樹木の下には急な下りの段径がある。下りきると明神崎の磯に降
りられる。段径ではあるが、かなり急な径なので注意したい。
 4.駐車場の南の外れには遊歩道と東屋がある。駐車場の南西の角から下りの段径がある。幅広く緩やかな
径だ。右側の林越しに観光ホテルが見える。左手には海岸園地へ行く分岐があるが、そのままゆるい斜路を下
る。鞍部で左へ分岐しているのは南芝生園地への径だ。きれいな石段を登ると、林の中で別の径との丁字路に
出る。左へ折れて下ると、舗装道路に出る。
 道路を右へ折れると、左右に湿地がある。地層の傾斜の関係で、この付近に湧水があり、池を造り、小川が
流れている。この水は南海岸園地の不動の滝へ流れている。道路は左右にカーブしてビジターセンターへ至
る。ここには大房岬の展示物がある。ビジターセンター前、南側の径はさらに第一キャンプ場へ通じている。こ
のキャンプ場の入口を右手へ曲がって行くと第二展望台に出る。ここにもトイレがある。展望台の脇から緩い
傾斜の径が下っているが、すぐに急な段径になる。右手に水平な分岐があり、その先が弁天窟の入口だ。中
には小さな祠が二柱ある。穴は奥へ続いている。
 分岐を左へ下ると磯に出る。磯伝いに北側へ進むと増間島の前に出る。人か猿かの横顔を思わせる岩山だ。
増間の馬鹿話の一つの舞台だ。島と岬の間には磯が続いている。立ち位置を少々ずらすと、遠く富士山を小さく
配した奇観が眺められる。
 5.駐車場の南西の角から下りの段径があり、これを下る。すぐ左側には海岸園地に行く分岐があり、これを
下る。舗装道路に出る。駐車場に入る手前で左に分岐していた道路だ。右に折れると左後ろに分岐する道が
ある。海岸園地に至る道で、芝生の園地の東端には東屋があり、その先から南けい船場に出られる。
 南芝生園地の東外れのトイレに出る。左後ろに遊歩道があり、これに進むと小さな橋があり、磯遊びの浜に出
られる。最近でも不発弾が見つかった海亀の産卵地だそうだ。南芝生園地には東屋があり、道路から左に
外れた奥に不動の滝と行者窟がある。以前はここにはかなり立派な堂があったようだ。道路の北側にも芝生が
広がり、「山」の中に通じる径がある。道路の左側には第二キャンプ場への段径が登っている。
 道路の先左には要塞時代の発電所跡があり、汚水処理場がある。払い下げ記念碑−終戦後まもなく、この
軍用地を戦後の復興に役立てらられないかと考え、払い下げ運動に尽力されたことを標したものだ。右側に
「山」から下ってくる径がある。道路はビジターセンターに至る。
 発電所跡の左脇にある段径を登ると第二キャンプ場でトイレがあり、炊事場もある。ビジターセンターの南西
に広がる芝生の広場の南端を通って要塞の跡地に出る。要塞は探照灯格納庫で、一周できる。第一キャンプ
場の先には第二展望台がある。
 ここで紹介したほかにも細かい道(径)や東屋がある。ただし、売店、自動販売機(ジュース類のみレストハウス
脇にある)、ゴミかごなどは無いので、そのつもりでいたい。
 大房岬の三角点は道路がレストハウス駐車場にさしかかる東側で,北側へ分岐する舗装道路へ入る。携帯電
話のアンテナ施設が左側にあり,道路は右へ曲がり,配水施設に突き当たる。この右へ曲がる箇所、左手の草
の中にある。

@ 大房岬駐車場 右寄りにレストハウスとトイレがあります。

A里見公園 ○50  聖山 ○70
 岡本城跡の西側は里見公園として整備されて、平成24年・2012年1月24日、国史跡指定を受けました。本
丸のほうは、聖山(ひじりやま)で、枇杷とソテツの畑になっています。
 1.富浦駅→0.05←聖山踏切→0.10=0.05←枇杷畑の鞍部→0.05←里見公園北端
 2.富浦駅→0.05←聖山踏切→0.15=0.20←枇杷畑の鞍部→0.05←里見公園北端
 3.富浦駅→0.10←国道側の登山口→0.10=0.05←里見公園→0.05←里見公園北端
 1.富浦駅の北側にはユニークなデザインのトイレがあり、そのまま線路に沿って公園が続いている。JAの附
近まで公園内の通行ができる。聖山踏切の西側で道路は左にそれる。「老人憩いの家」の西側の道路には学
芸大学附属小学校富浦寮の案内標識があり、寮の方へ進む。右側に里見公園への標識が寮の手前の崖にあ
る。入るとコンクリートブロックの段径になる。寮のフェンスに沿って登ると鞍部に出る。右側にはコンクリート舗
装の道路があり、左側には里見公園のへの案内標識と細い段径がある。※その急な段径を登ると、すぐにベン
チの並ぶ平地に出る。桜の並木の中にトイレがあるが、少し傷んでいる。
 水平な尾根を進むと左側に下りのコンクリート径がある。尾根筋の先には石碑と石仏が並ぶ。更に進むと、岩
の露出したところに出て、海側が展望できる。その僅か先で尾根筋は行き止りだ。
 2.駅の北側の聖山踏切を東へ渡る。道路を東へ進んですぐに、左側にあるコンクリート舗装の狭い道路へ入
る。一般道路ではなく、枇杷畑用の農道だ。ビニルハウスの並ぶ丁字路、東電柱深名192柱の付近で左へ曲
がる。すぐ左に分岐する真新しいコンクリート道路に入る。東電柱深名211柱。谷の中を進む道路は高度を上
げ、左西へヘアピンカーブする。ここで東へ進むと北側の尾根の鞍部の池に出る。桝ヶ池といい山城の水場
だったもので、今は枯れ葉や小枝に埋もれているが、かなり深いものだそうで、奇怪な伝説もある。
 道路の直ぐ西、小さな切り通しには横穴がある。これは覗くだけにしておこう。左に尾根を置く道路になる。城
跡の堀切を畑道にした分岐があるが、道なりに直進する。左手の尾根の岩の斜面に細い道路が切られている
のを見てこれを登ると、枇杷の枝をかわして最上部に出られる。小さな石祠がある。周囲はソテツの畑で切開か
れているが、それより低い位置から生えているシイの木が高くて、展望は無い。
 里見公園とを隔てる鞍部に出るとコンクリート舗装の道路は尽きる。ここまで周囲は枇杷と蘇鉄の畑だ。里見
公園への案内標識と細い段径がある。以下前節と同じ※
 3.駅から国道に出て右折し、国道を北上する。富浦小学校の押しボタン信号のところで東へ曲がれば、学芸
大学附属小学校富浦寮側の登り口に出る。
 そのまま国道を進む。右側に稲荷神社を見たあと、国道へは崖が迫っている。左側には里見公園への看板が
ある。尾根の北側に東へ折れる道路があり、これへ進む。トンネルの手前に里見公園への案内標識がある。急
な階段を登る。切り立った崖に狭いコンクリートの斜路が作られている。一回折り返すと里見公園に出る。右側
がベンチと桜の広場、左側が石碑と石仏だ。
 国道のトンネルの北側は潮入橋で、川の左岸に沿った道路で海に出る。川を渡った北側には海水浴客用の
公衆トイレ(豊岡海岸公衆トイレbP)がある。こざっぱりしたものだ。里見公園のトイレが使用できない時は、僅
かな距離のここがいい。
 バス停豊岡は潮入橋の北側にある。

A 里見公園 国道側の登山口

B尻無坂 ○50
 小尾根が西側の海岸、法華崎まで迫っています。昔、南北交通のため、この尻無(しりなし・しんなし)坂と西
寄りの小三郎坂が使われたそうです。
 富浦駅→0.10←里見公園国道側の登山口→0.10←日枝神社東の分岐→0.10=0.05←
尻無坂の峠部→0.10←尻無踏切西→0.05←一ツ橋大学臨海寮入口国道分岐→0.05←
バス停七面山入口
 富浦駅から国道に出て右折し国道を北上する。国道には崖が迫り、左側には里見公園を案内する看板があ
る。尾根北側の道路を東へ進むと、右側に里見公園への案内標識がある。これを見送って、トンネルを抜ける。
道路を右東へ進み、防犯灯002−061の角で北へ入る。日枝神社を左手上に見た先、線路との中間に左手
上への上り坂がある。大型のコンクリート製排水溝を伏せた「龕」が並び、その中に石塔類が多数並んでいる。
モノレールに沿って、潜って、急坂を上る。傾斜が緩んで東向きになると、JR線尻無トンネル南側の線路が真
上から眺められる。そのわずか東側が尻無坂の峠部だ。
 尾根筋をそのまま進めば浅間大神の石碑、ステンレス鋼製の鳥居を経て、二つの石祠の並ぶ山頂に至る。西
側に出れば好展望が得られる。峠から北側に下りかけると右側に幅の広い道が下っているが、左側の緩い下り
の細い径を下る。
 バス停七面山入口の南側、国道の東側に一ツ橋大学富浦臨海寮入口を示す標識があり、東へ進む。(東電
柱南無谷1柱)線路とは水田を隔てた西側の道路を南へ進む。尻無踏切の西側に右側への山道が分岐してい
る。遺棄された水田の谷、左岸の径を奥へ進む。最奥から二枚目附近の水田跡の平地に左側へ分岐する踏み
跡がある。左手に進むと、右山の緩い登り坂を進む。登り着いた尾根筋が尻無坂の峠部で、左へ尾根筋を登れ
ば二石祠の並ぶ小ピークで西に展望がいい。右へ進めば足元に線路を眺めて急坂を日枝神社へ下る。水田跡
の谷をそのまま進めば、小さなV字の谷を詰めて尾根筋に出る。十字路型に踏み跡があり、左側は下生えの少
ない幅広で水平な岩尾根になっている。右側は●82のピークに通じる。この●附近には石積みが見られる。宮
ノ台遺跡の一部だ。
 久保隧道は開削されて今はない。

C 七面山 国道にある標識

C七面山 ○70
 山上に七面山天女堂があります。年二回、儀式があるそうです。
 富浦駅→0.10←里見公園国道側の登山口→0.15←一ツ橋大学臨海寮分岐→0.05←
バス停七面山入口→0.15←階段の下→0.10(天女堂経由)←奥の院
 駅から国道に出て右折し、国道を北上する。右側に妙福寺の入口を見た先、西側に七面山への案内標識が
ある。右折して狭い道路に入る。突き当りの丁字路には左折の標識がある。左折ののち、緩く右へ曲がる。海
光寺への道の左側には数本の大木がある。しかし、更に左側は崖で切れ落ちていること。こちら側は舗装道
路という厳しい環境だ。海光寺の門前では右へ曲がって行く。線路をガード−南無谷(なむや)架道橋で潜る。
左へ廻って、今しがたの道路の上を線路と並行して南へ向き直る。
 左側に民家のあるところで左折する。周囲は畑の多い谷の道になる。灯篭と小さい階段の下には由緒の書か
れた看板があり、水もある。急な長い階段が一直線に延びている。又、右南側にはセメントで滑り止めがされた
斜路が延びている。この斜路の途中には右側に分岐する短い径があり、小祠を拝した突き当たりが展望台にな
っている。
 堂内は閉ざされて、中は見えない。右側に急な階段とセメントの斜路があり、更に上へ進める。狭い尾根筋に
ベンチが有り、北側に展望がある。奥の院があり、更に奥へも進められる。最上部と思われるところには、やは
りベンチがある。更に踏み跡は続いているが、ソテツ畑が見えるところを限度として戻りたい。山崎七面山。

D峯坂谷・おもんじ谷 松尾神社 ○40
 古い遺構が山の斜面に残っています。富浦の文化第4集、館山と文化財第35集。
 富浦駅→0.05←(旧富浦町役場=)南房総市役所前→0.10←バス停葉月→0.05←石灯籠
→0.10←尾根筋→0.10←丁字路→0.05←大日像→0.05←石灯籠(一周)
 バス停葉月→0.05←松尾神社
 南房総市役所の北側の道路は東へ向かって南へカーブしている。バス停葉月の僅か西側の狭い住宅地の道
路に入る。右側は地区の共同墓地になっている。左右が農地になって見通しがよくなると、丁字路に大きな石灯
篭が一基建っている。萬延元年(1860年)のものだ。くびれた胴部の四面には金毘羅大権現、松尾大明神、秋
葉大権現、出羽三山の文字が一部欠けている。
 石灯篭東側の道路を北へ進む。これが右へ曲がる尾根に細径があり、これを登る。小さく折り返すと、天満宮
の銅葺きの小社がある。山径のまま進むと先ほどのコンクリート舗装道路に合流する。30センチほどの高さの
苔生した石塔が立っている。文字は読み取れないが山の神の石塔だそうだ。そのまま東へ進むと尾根筋で道路
は尽きる。南東へ巻く径もあるが、尾根筋を北へ進む。小ピークを経て、東への尾根は見送って、北へ痩せ尾
根を進むとコンクリート舗装道の終点に出る。東側の斜面は果樹園だ。山の急斜面に突き当たった丁字路は左
西へ下る。
 石灯篭西側への道路は次の丁字路で北へ曲がり、さらに次の二又は右へ進む。道路東側は斜面の果樹園
で、西側は急な斜面の果樹園だが小さな径がある。二つの洞は浅く壁龕程度のものだが、中は空だ。その上
へ進み左側尾根筋の南端へ進むと役の行者像があり、石祠だったと思われる石が二基分重ねられている。そ
のまま尾根筋を北へ進む径は避け、一旦道路に降りて北へ進む。三つ又の左斜面の岩肌に階段が刻まれ、大
日如来坐像と三山碑が並んでいる。北側の斜路を進むと左側には果樹園の斜面が広がり、その中へ進む道路
が二本分岐している。東へ向いた道路の北側は山の急斜面になり、南へ道路が分岐する丁字路になる。東へ
道路はまだ続いているが進まない。
 この石灯篭北側の斜面が峯坂谷だそうだ。その昔どこかに文殊堂があって、おもんじ谷とも呼ぶそうだ。三角
点△122.4 床城城跡への道は近いが山越えが必要だ。
 バス停葉月の僅か東側の狭い道路に入る。右側に参道があり、石鳥居とコンクリート階段が見える。中央に
はステンレス鎖の手摺りがある。ベンチのある中段で北へ階段は向き直る。松尾神社の質素な社殿の前は広
場でベンチもあり、西側には館山・富浦方面の素晴らしい展望がある。社の西側が今一つ高い。約40メート
ルで、スダジイも太い。

D 松尾神社 参道

E床城城跡 △122.4
 富浦駅→0.05←(旧富浦町役場=)南房総市役所前→0.25←床城城跡
 南房総市役所の北側の道路は東へ向かって南へカーブしているが、左寄りに直進し、北へ左折する。稲荷社
のある丁字路を東へ右折する。突き当たりを左へ曲がると黒御影石の林道記念碑があって、「望」の字が刻ま
れている。
 コンクリート舗装道になって坂を登る。枇杷畑、夏蜜柑畑、ソテツ、ハランなど入れ替わり周囲に現れる。モノレ
ールのレールも各所に見られる。マテバシイの山を左に巻いた先、道が下り始める手前が一番高い。東に海が
遠望される。
 西側の林の中、下生えの少ない枯れ葉の下に三等三角点南床城(みなみとこしろ)がある(筈だが、コンクリー
ト製の杭しか見つけられなかった)。

F宮本手代遺跡
 富浦駅→0.05←(旧富浦町役場=)南房総市役所前→0.25←バス停真瀬口→0.30←
分岐のピーク
 バス停真瀬口→0.15←バス停宮本神社前←0.15←分岐のピーク
 南房総市役所の北側の道路は東へ向かって南へカーブしている。高速道路高架の下、バス停真瀬口より更
に東へ進む。左側に枇杷畑へのコンクリート舗装の斜路がある。(東電柱丹生185柱)左側への分岐を見送っ
て、枇杷畑の山頂に至る。害獣避けの金網を避けて北へ進む。西側の枝尾根への分岐を避けて尾根を辿る浅
い溝状の踏み跡が続く。踏み跡自身に下生えの多いときは、これを僅かにはずした位置でも通行が可能だ。
 バス停宮本神社前ではその西側にもう鳥居が見えている。石段を登ると、右から大黒天像、不動堂、神社社
殿が並び、その左端に細いが確実な踏み跡が社殿、堂宇の裏手を登る。尾根筋に達すると、境木の並木の左
側に踏み跡が続く。巻き径の分岐は直登方向へ進む。平らなピークに達して左南方向に進む踏み跡が続く。

G堂山 △107.5
 安房の国三十四ヶ所観音霊場第三番大福寺は、通称を崖の観音といいます。北側に見える山の中腹の崖の
部分には、遠方からでも赤い堂宇が見られます。中には十一面観音像が奉られています。平成27年・2015年
の2月からおよそ1年間、崖の堂では修理工事がありました。お堂は平成の大修理が終了し、平成28年・2016
年7月13日から一般公開されました。その北側の東西に横たわる山が堂山です。道の駅枇杷倶楽部が川を隔
てた北側にあります。そこからも東西に長い山容が眺められます。別名を船形山といいます。

G 崖の観音

 G−1 那古船形駅から表参道で堂山へ
 実は、ここからは登れなくなりました。その点、悪しからず。
 那古船形駅→0.10←小十字路→0.05←駐車場登り口→0.05←観音堂前(→0.10←堂山)
 JR内房線那古船形駅下車。駅前を線路に沿って北へ進み、最初の道路で左へ折れる。大木の植えられた庭
が左側にある小さな十字路は直進する。交通量の多い県道に出る直前で右折すると大福寺の表参道になる。
階段の下に駐車場がある。右手奥が本堂で、急な階段を登ると不動堂の前だ。斜面の庭に造られた遊歩道か
らでもいい。
 階段の下にあった駐車場の脇を抜けて下ると、ここにも駐車場がある。この駐車場の奥には、こざっぱりした
公衆トイレがある。車で来た場合は、県道に面したこの駐車場のほうがいい。ここのすぐ西側には諏訪神社の
参道があり、階段を登れば諏訪神社の社殿の前に出る。そこから右側へ進めば不動堂の前に出る。諏訪神社
参道階段の途中に、西隣の東京都船形学園の敷地に入れる径がある。救貧、養護の古い歴史を持つ慈善施
設で、裏山の岩壁に大きな磨崖碑がある。風化に弱い岩で、風化したところは最近の修復がなされて、今は一
字がかすれているだけだ。同じ碑文のミニチア版が硬い石に刻まれてその前にある。それでも2メートル近い普
通の大きさの碑だ。別に解説文の看板もある。
 不動堂の前から更に数段の階段を登れば観音堂だ。館山湾−鏡ヶ浦の素晴らしい展望が足下に広がる。
 観音堂の左側には中が坂道のトンネルがある。坂の上のトンネルの出口には目の細かい柵が天井まで延び
ていて、通り抜けられない。トンネルの手前の岩の斜面には幅の狭い階段が彫られている。風化のために段
形が丸まっていて、足は乗せられない。更にコンクリートブロックが2段積まれて通行できない。
 トンネルの上部には幅の広い階段があり、折り返して登っている。浸水のため足元はいつも湿潤している。狭
い径になって、草が勝るが、ベンチもある。石祠のところには東へ水平に延びる径が分岐しているがこれには入
らない。急登僅かで、平地に出る。右から左へ廻ったあとの、右側の高まりが頂上だ。この付近では踏み跡が
複数分岐しているが、いずれも薄いものだ。
 三等三角点の標識と石標が並んでいる。展望は無い。尾根筋の東西に踏み跡がある。

 G−2 那古船形駅から北側の道で堂山へ
 那古船形駅→0.10←仲尾川橋→0.10←大半津(東電柱福沢172柱)→0.15=0.10←堂山
 那古船形駅から線路に沿って北へ進む。道路は仲尾川橋で線路を跨ぐ。右側には常光寺があり、その門前で
丁字路型に取り付く道路へ左折する。ここには富浦からのバス停大半津(だいはんづ)がある。今度は岡本踏
切で再び線路を西へ渡る。三叉路を左に曲がると大半津の集楽に入る。すぐ左側に小さな標識があって、堂山
と案内される。東電柱福沢172柱。左折してマキの木の小径を進んですぐ又左へ折れる。この径は蒲鉾板より
やや大きい白地に赤い文字の標識が、要所に取り付けられている。登りの時はこれに従えばよい。ソテツ畑の
上からは尾根径だが、急斜面で倒木もある。黄と黒のロープが張られているので、これが径案内にもなる。径が
水平になって西へ僅かで、三角点に出る。西へはまだ径が続いている。
 この径を初めての下りに使う時は、下り始めが急すぎて、この崖でいいのかと思わせる。ロープの色やコース
サインに気を付けたい。尾根筋から下るところからは、裏返しの標識を振り返るといい。

◎ 道の駅 琵琶倶楽部

 G−3 富浦駅から堂山へ 
 富浦駅→0.10←国道分岐点丁字路→0.10←瀧渕神社→0.20=0.15←堂山
 瀧渕神社→0.10←大半津(東電柱福沢172柱)
 瀧渕神社→0.10←駐車場登り口
 富浦駅はユニークなデザインの洒落た造りだ。駅前北側には類似ながら洒落たデザインの公衆トイレがある。
駅前から西へ進んで、国道に出る。南左に折れる。この国道が再び左東へ曲がるところ、直進する方向は県道
になっている。その僅か先で右側の細い道に入るのは釈迦寺へ行く道だ。そのまま県道を南へ進む。左側に瀧
渕神社がある。かつて大房岬にあったものが、戦時中要塞建設のため、ここに移転したものだ。境内にはユニ
ークな石塔類が幾つかある。ここで左折する。
 房総うちわの産地で、その生産所を示す看板が県道にあり、神社と山に挟まれた道路を東へ進む。その入口
に又看板がある。その反対側の山の斜面に踏み跡がある。東電柱原岡404柱の電柱の支線の脇から、最初
は西向きに斜面を進む。すぐに左東へ折り返す。
 その後は尾根筋に忠実な径を緩く登る。左右に展望は無いが、途中北側の木立が僅かに途絶えたところで、
道の駅枇杷倶楽部の建物の方向が眺められる。以前の東京都のマーク−丸点6翼−の石標を見つけたら三角
点が近い。頂上からは更に東側へ、踏み跡が続いている。
 瀧渕神社で県道から東へ曲がり、うちわ工場の先へ直進すると、すぐに三叉路に出る。右に曲がって更に進
むと、左右に民家のあるところで、堂山への案内標識を裏から見る。大半津の登り口だ。標識は那古船形駅方
面からの便宜をはかっている。
 瀧渕神社で県道を直進して、道なりに道路を東へ曲がる。左側に船形学園の玄関を見た東側、諏訪神社の参
道の更に東側、崖の観音−大福寺の駐車場が県道に面している。

H二位山 ○60
 堂山の東に連なる低い山です。船形城跡の遺構はかなり失われたそうです。
 那古船形駅→0.10←小十字路→0.05←西行寺→0.10←二位山
 那古船形駅→0.10←仲尾川橋→0.10←二位山
 那古船形駅から線路に沿って北へ進み、最初の道路で左に折れる。大木の植えられた庭が左側にある小さな
十字路で右折する。道路が右カーブした左側に西行寺がある。本堂を左側から回り、裏手右寄りの山に階段が
ある。草や枯れ枝で通りにくいのは日当たりのいいところだけで、すぐに小さな峠状のところに出る。セメント製
の祠がある。右手の尾根筋に薄い踏み跡を求めて登る。途中もう一回、峠状のところを越える。その先に低い
石垣がある。これを登ると、広い車道のカーブ地点に出る。釈迦牟尼を祀ったオブジェが半地下建造物の上に
ある。某教団のもので、大きな香炉の前が広場で、低いながらも周囲の展望はいい。
 仲尾川橋の西側に三叉路がある。ややずれて、道路に面して石張りの門柱があり、急坂を登るコンクリート舗
装道路がある。途中、教団の本部だという建物の脇を抜けて頂上に達する。全線急な坂道だ。入山の時は事務
所に立ち寄って許可を得ること。

◎ 道の駅枇杷倶楽部の裏から岡本川の住人と堂山

I白坂城跡(当代とうしろ城跡) ○75
 那古船形駅→0.10←仲尾川橋→0.10←バス停福沢→0.05←バス停福沢公会堂前→0.10←
白坂城跡
 那古船形駅から線路に沿って北へ進む。道路は仲尾川橋で線路を跨ぐ。常光寺の先、白塚橋の袂には江戸
時代の義民忍足佐内の碑がある。次の丁字路を右折、国道を渡るとバス停福沢がある。鋭角の二又は左へ進
むとバス停福沢公会堂前があり、左側に同公会堂がある。
 広い道路に「忍足」私宅の石の門柱が建つ。屋敷の敷地内に入り、家人を訪ねて、承諾を得よう。右端の道路
を進むと谷筋の左岸のコンクリート舗装同を進む。左へVターンしてひと登りで山頂に達する。白坂城跡の石碑
が建つ。周囲は枇杷畑になっている。
 Vターンした箇所、尾根筋を下ると城跡の遺構の井戸がある。

J野高山 ○90
 那古船形駅→0.15←陸橋→0.05←鉄塔群のピーク
 那古船形駅から線路に沿って北へ進む。船形踏切を東へ渡り、長勝寺の前を通る。国道127号線の館富トン
ネルの南側に陸橋がある。この陸橋を登ると全山が枇杷畑、夏蜜柑畑等で覆われた山にコンクリート舗装の道
路が登っている。東電の送電鉄塔、携帯電話の鉄塔(二基)が山頂にある。
 害獣対策のため近々全山金網で囲われることになるとの地元の人の話だった。

K那古山 ○80
 東国観音札所の那古(なご)観音堂の北側は式部夢山周回コースが整備されています。境内の配置とコース
の案内絵看板があります。ここで示したよりも正確な所要時間が書かれています。
 補陀落山那古寺。坂東三十三ヶ所観音霊場第33番。東国へんろ関東八十八ヶ所霊場第56番。安房三十四
ヶ所観音霊場第一番。
 県有形文化財。多宝塔。山門と本堂の中間にあります。方三間、銅版葺き。宝暦十一年(1761年)の創建。
観音堂は平成の大修理が平成20年・2008年3月頃終了し、11月に落慶法要が営まれました。
 K−1 観音堂から潮音台へ ○70
 那古船形駅→0.05←石道標三又→0.10←那古寺駐車場前→0.05←潮音台
 JR内房線那古船形駅から駅前を正面へ進む。道路は南向き、最初の信号機のある交差点を左折する。バ
ス停那古船形駅前がある。線路をガードで潜る。三又には古い石道標がある。酒店があり、左側の山が大き
くなる。金刀比羅神社の参道が左にあって階段が見える。
 バス停川名の先を左へ曲がった先、左側の階段の上、左寄りに小さな鳥居、右寄りに観音堂が見える。この
階段を登るのが近道だ。左側の鳥居は閼伽井の弁財天ものだ。あか井とは仏様にお供えする水を汲む井戸
だそうだ。神社として弁財天が井戸の守り神として祀られているという。昔は旅人の飲用にもなったという。手
押しポンプは壊れてはいなかったが、水は出なかった。
 階段を上りきったところが日枝神社の前で、右側が観音堂だ。日枝神社の裏手は山の岩壁が迫っている。
観音堂の東側、阿弥陀堂との中間に、山へ登る段径の入口があって式部夢山周回コースの標識がある。
 県道を進み弁財天への階段を見送り、道路が右へ曲がりかけたところにも、左へ登る幅広い階段がある。こ
こには那古観音の看板もある。この階段を登ると仁王門の前に出る。
 県道を右カーブした先、左へ折れたところが本堂前の駐車場だ。大型観光バスのほか、車での参拝者が無
料で駐車出来るようになっている。本堂の右側には高さが6メーターあるというソテツがあり、その先は千手院
といいご本尊千手観音にちなんだ名前が付けられている。左側には納経受付所がある。
 駐車場の北側には公衆トイレがあり、その脇が緩い傾斜の坂道の参道だ。仁王門の前で先ほどの階段から
の道と合わさる。多宝塔、阿弥陀堂が並び、観音堂がある。右側に式部夢山周回コースの標識があって、階段
の径が延びている。
 幅のある緩やかな階段で、右へ曲がるとその右側が平地になっている。元禄の地震まではここに観音堂があ
ったというところだ。
 山の鞍部に出て左側にも緩い階段の径が続いていて、潮音台と名付けられた展望台に出る。南側、鏡ヶ浦の
眺望がいい。ベンチテーブル、東屋がある。和泉式部の歌碑がある。式部の供養塚ほか古い石塔、石祠があ
る。
 山の鞍部を東へ進むと那古山山頂へ行く。

K 花に囲まれた参道には境内の案内看板がある。

 K−2 那古山から潮音台へ
 那古船形駅→0.05←石道標三又→0.10←那古寺駐車場前→0.05←東側登山口→0.10←
那古山→0.05←潮音台
 那古寺の駐車場の奥に本堂がある。その右側にはソテツがあり、千手院がある。その前を通って進むと駐在
所の脇から別の道路に出る。狭い三叉路がある。公民館の方ではなく更に北側、左側の狭い方の道路を東へ
進む。すぐに十字路に出る。幸い、ここには案内標識があって、左折する。アスファルト道路が右へカーブすると
ころの左側に、又標識があって、左側のコンクリート舗装の狭い道路に入る。又、すぐ左手に標識がある。右側
は民家の庭先に入ってしまうところで、左側の段径に入る。
 ジグザグ僅かの段径で尾根筋に出て、那古山に達する。ベンチがあって休憩もできるが展望はない。北へ下
る径もあるが、西へ下ると石祠を右側に見て水平な尾根径にかわる。右下から緩い斜路が合流すところ、左側
にスタジイ(ママ)と名札の掛かった太い木がある。この山が人手の入らなかった極相林だったものだ。左側に観
音堂からの階段径を合わせて尾根筋を直進して潮音台に至る。

 K−3 とれたて市場から那古山、潮音台へ
 那古船形駅→0.05←石道標三又→0.10←那古寺駐車場前→0.05←東側登山口→0.05←
とれたて市場
 とれたて市場→0.10←那古山
 とれたて市場→0.10←潮音台
 那古寺の駐車場の奥に千手院がある。玄関脇にはソテツが大きい。その前を通り、式部夢山周回コースの東
側登山口へ向かう。アスファルト道路が左カーブしているところ、左側に標識があるがそのまま道路を進むと、
国道127号線のバイパスに出る。
 左折してまもなく左側に広い駐車場があり、その北側に「とれたて市場」というこぎれいな農産物直売場があ
る。奥の右側道路よりに農産物やお土産などの大きな売店、左に喫茶・食堂があり、一番南側が公衆トイレに
なっている。その左側に観光農園の看板が掛かっている。15坪に区切って畑地を貸し出すものだ。2メートルほ
どの幅のコンクリート道路が、奥へ延びている。
 観光農園の中の道路へ入ると、左右に曲がりながら高度を上げる。この道路の終点で、左寄りの狭い径に入
るとすぐに二又で右を選ぶ。左側に山の崖をおいて、緩く左へ山裾を巻く。右下に別の径の合流があるが、その
まま左寄りに曲がる。コンクリートの路面は、未舗装になる。
 山の字の読める杭の脇を登って行く。二回、小平地へ急登したのちに出た那古山のピークにはベンチがあ
る。きれいな遊歩道が左右に延びている。右へ進めば緩く下って、潮音台への登りと観音堂への下りの分岐点
に出る。
 山の字の読める杭の前には枇杷畑だったと思われるきれいで水平な平地があって、濃い踏み跡が西へ向か
っている。この踏み跡ではなく、1段上の斜面に刈り込みこそきれいだが曖昧な踏み跡が並行して西へ向かって
いる。右下に雑木林の帯を隔てて、枇杷畑が透かし見える。左側は緩い斜面の尾根だ。右前に下からの濃い踏
み跡が合流するが、左寄りに登ってくと、そのままきれいな遊歩道に取り付く。那古山と潮音台の中間にあるス
ダジイの大木の前で、右西側へ数歩進むと、観音堂へ下る階段のある分岐点だ。直進すると潮音台に至る。

K 観音堂の右側に潮音台への階段があります。

 K−4 西側から潮音台へ
 那古船形駅→0.05←石道標三又→0.10=0.15←潮音台
 JR内房線那古船形駅から進んでガードを潜った先の三又には古い石道標があり、酒店がある。左へ曲が
り、県道と平行した裏側の狭い道を登る。三又は右へ、右に岩が現れると左下に金刀比羅神社境内に繋が
る洞道がある。更に進めば左に果樹園への分岐を複数見る。金網で閉鎖されたところから右後ろへ折れて
尾根筋の下部に登る。深い古井戸、かまどの跡のほか多数の石塔類が散在している。馬頭・牛頭観音文字
塔、青面金剛像・文字塔、崩れた大きな石祠、石組みの上の石祠などがある。※径は五差路だが、奇麗な径
に誘われず、やや急な尾根筋の径を登る。
 県道のバス停川名に石鳥居がある。石造が並んでいる。入ると右へ寄ったのち、左へ斜路を登る。石柱の
建つ門の右手の急登路には見送って直進すると緩やかな下りを経てロープの這わされた坂を進む。※石像石
祠の並ぶ五差路に出る。右折してやや急な尾根筋を登る。バス停からここまで5分程度だ。
 山頂には石組みの上、山三講の石祠がある。天保十四年(1843年)のものだ。小さく下ると平地の端部の
土橋の径になる。再び登ると里山古道野会の設置した標識「川名金刀比羅神社コース」の脇から潮音台の西
寄りに出る。ここにも石組みの上に山三講の石祠がある。但しこれは明治時代のものだ。
 東端に下り径があり、鞍部を経て那古山等へ続く。
 県道に面した金刀比羅神社は大きく立派なものだ。その裏側に洞道がある。入ると左周りで登路と合流する
が、通行は遠慮しよう。

L諏訪山公園 ○70 (○74)
 館山駅から平群車庫行きバス、又は川谷行きバスに乗車。バス停正木原、バス停亀ヶ原、バス停横峯で下
車する。桜の名所だ。諏訪神社の自然林は館山市の天然記念物になっている。太目のスダジイほかヤブニッ
ケイ、タブノキ、カクレミノ、ヒメユズリハ。暖地性植物の北限だということだ。
 L−1 バス停正木原から
 バス停正木原→0.10←駐車場=二の鳥居→0.05←諏訪神社
 バス停正木原から北へ進む。周囲に住宅が減って見通しがよくなると、水田の先に一の鳥居が見通せるよう
になる。道路を道なりに東へ曲がって十字路に出て左へ曲がる。わずか北側で右側の未舗装道へ進む。突き
当たりを左へ進むと一の鳥居の前に出る。参道を登って駐車場への道路を横断する。そのまま参道を登れば
二の鳥居に至る。階段の先コンクリート道を進むが、右側の植木の中には未舗装遊歩道の踏み跡がある。東
屋からは館山湾方向の展望がいい。左へ曲がって諏訪神社の社殿前に出る。
 駐車場への道路を右へ進めば広い駐車場に出る。仮設トイレがあり、ベンチもある。その隅に階段があり、
二の鳥居前に出る。
 東屋の先を直進すると石碑の脇、石祠の脇から遊歩道が東へ延びている。

K 那古観音の観音堂

 L−2 バス停亀ヶ原から
 バス停亀ヶ原→0.10←諏訪神社
 バス停亀ヶ原のやや東よりの住宅地の狭い道路を北へ進む。石段に出てこれを登ると石碑や墓石の並ぶ山
の中腹に出る。新御堂の跡地だ。左へ草を分けて進む水平路には直ぐ分岐があり、右へ進むと金毘羅宮の石
碑の脇を通る。右へ曲がって進むと右側に別の石祠があり、その後ろを通る。林の中の緩やかな径を登って諏
訪神社の前に至る。

 L−3 バス停横峯から
 バス停横峯→0.15←諏訪神社
 バス停横峯から平久里川の右岸の道路を進むとすぐ左に下堀集会所があり、ここで左折、西へ進む。十字
路の一つ西側の斜路を登ると溜池注意の看板がある。堰の右岸から奥へ進むと遺棄農地を横断して石祠の
前の庭に出る。その上に径があって右へ進むと諏訪神社へ至る。 

 L−4 上御狩大塚山 (△94.3)
 諏訪山公園の周辺には低山ながら、まだ山があります。前方後円墳があるということでしたが、三角点もわか
りませんでした。
 御狩堰→0.15=0.10←大塚山
 御狩(みかり)堰南側の丁字路を東へ進んで新興住宅地を抜ける。谷の右岸側の道路になる。最後の民家
からやや急な道路になり、これが左折、右折ののち、林の中で尽きる。この附近から左側の緩やかで下生え
のない全然ない斜面を適当に登る。[段畑跡を思わせる水平な横断段ちを右へ進んだ先に浅い溝径があって
これが上下の径になっているが、そこまで進むほどでもない]
 マテバシイ並木に囲まれた広い平地に出る。東方向と北方向の並木の合流する角には溝径が接続している。
並木に沿って両方向とも進められるが、すぐに下りかける。竹薮がこの並木に囲まれているが、古墳の盛り上
がりも三角点標石もわからなかった。

L 諏訪山公園の入口 桜の木々に囲まれています。

 L−5 要害山 ○30
 名前の通り、どなたかの城山だったものです。番所のようなものがあったらしいです。南西の角に石塔が並
び、今では南半分は新興住宅地と草原です。北半分は進入不能の林です。南西端には享和三年(1803年)
の寒念仏の文字の読める地蔵坐像、馬頭観音文字塔その他風化の進んだ石塔類があり、北東端が一番高
く、山の神神社があります。
 御狩堰→0.05←山の神神社
 御狩堰南側の丁字路を西へ進む。北側は低山、南側は水田。真南へ進んで水田を貫く2本目の未舗装
道路は要害(ようぎ)山の東側を抜ける。幅広い斜路があって一本笠木の鳥居を見上げると石段にかわる。
山頂には新旧の石祠が並ぶ。ソテツが周りを囲っている。ヨウギは地元の呼称だ。   房総丘陵 1000