県道富山(とみやま)丸山線258号線の池田大畑(大日山・御殿山)方面から主要地方道富津館山線
に取り付く附近で西方向をと眺めますと、山の上部に赤い屋根のようなものが見えます。滝田(たきだ)城の展望
台(塔)です。城跡公園として整備されています。別名、根古屋城ともいわれたそうです。○150房総丘陵1000
(滝田城跡は第@項から第A項までです。ほかには第B項から第D項が宮本城跡で第F項は高月城跡です)
| @ 駐車場登り口 左に里見桜の解説板 右端に登り口 |
@南側から
滝田郵便局前丁字路→0.05←西之谷トンネル東口→0.10←駐車場登り口→0.20=0.15←
滝田城跡=櫓台
滝田郵便局のある丁字路の南に新たに開通した西之谷(にしのやつ)トンネルを潜る。西口から左折すると南
東へ進んだ道路左側に一つ目の案内標識がある。細い道路で軽車両と徒歩用だ。更に南東へ進むと二つ目の
案内標識がある。道幅は先程よりはやや広い。
滝田神社の鳥居を見た北側にある北西へ分岐する道路に入る。各種の案内標識が並んでいる。これへ進んだ
Sカーブの先、右手に案内標識がある。
狭い道路の要所に案内標識が立ち、右奥にこぎれいで小さなトイレのある駐車場に出る。左側の道路の延長
上には、滝田城跡の由緒を書いた看板と登り口がある。
始めだけがやや急な径だが、すぐに尾根筋に出て、幅のある尾根道になる。緩やかな鞍部を繰り返して、徐々
に高くなる。段径になって再び傾斜を増して、肩のピークに出る。遠見(とっけん)山だ。小説南総里見八犬伝にま
つわる犬と姫の像がある。説明板も有るがステンレスに書かれた文字がはがれて読めなくなっていたが、修復さ
れた。奥に、展望台(塔)がある。鉄骨で骨組みが出来ていて、床と手摺りが木製で、朱色に塗られている。屋根
は「もや」だけのものだ。西側の滝田城本丸櫓台方面を除いた三方に展望がある。山名の読みは(とおみ)ともさ
れ、山は台ともされることがある。 ○120
西側へ浅い鞍部を経て水平な径が緩く登っている。堀切、土橋という標識がある。径が左へ延びているが、右
側に急な階段があり、これを登る。左側の径は宮本城址へ繋がる長い径だ。
登りきった所はフェンスに囲われた送電鉄塔がある。八幡宮という小さな石の祠があり、櫓台という標識と、城
代一色九郎の居城だったという標識がある。右北側へ下る径が延びている。
A北側から
高月橋西詰め→0.05←駐車場
滝田郵便局前丁字路→0.05←駐車場
駐車場→0.15=0.10←滝田城跡主郭=櫓台
高月橋西詰めから西側へ入ったほうが近い。二軒の民家のために北寄りと南寄りとの二本の道があるがどち
らでもよく、駐車場入口の看板が見える。未舗装の駐車場と案内看板がある。
滝田郵便局の西側が農協の建物で、北側に細い道路がある。これを西へ進む。左右、とりわけ右北側に水田
が広がる道路を、道なりに直進する。この道路が正面の尾根筋に突当たって右にカーブする手前の左手に、未
舗装の駐車場と案内看板がある。
駐車場の奥に丸太で造られた階段がある。尾根筋に出て左に曲がって尾根を辿る。土塁、虎口(こぐち)と曲
輪(くるわ)と標識のがあり、径はやや急だ。
主郭という標識のある広場はもうすでに高く、その先に送電鉄塔が見える。広場の左側を通り抜けると急な径
を僅か登る。鉄塔を取り巻くフェンスがあり、櫓台、城代一色九郎の居城との標識がある。小さな石祠は八幡宮
のもので急な階段が東へ下っている。
駐車場の北側には携帯電話のアンテナ施設がある。この脇の斜面から登ると踏み跡が北東方向に延びてい
る。馬場と呼ばれた東に延びた尾根の先へ緩く上る。尾根の東端部にはベンチもある。桜の苗木の植えられた
尾根筋を西へ進むと、一箇所畑地をかわして、左下に駐車場奥からの段径が登り着いている。
| A 滝田郵便局前 向いのJAの角に案内標識がある。 |
B宮本城跡 ●183
地元では城山(しろやま)と呼んでいます。道の駅おおつの里花倶楽部空の径を案内しているガイドブックがあ
りますが、ここではわずかながら異なる案内をします。頂上には大木、ホルトノキがあります。ここから滝田城跡
への径が有ります。
B−1 大庭橋から
富浦駅→0.05←南房総市役所→0.10←松尾地区コミュニティセンター→0.05←
深名谷公会堂前高架下→0.15←宮本神社前→0.10←新道十字路→0.05←
道の駅おおつの里花倶楽部→0.05←大庭橋西(東電柱大津247柱)→0.20=0.15←宮本城跡
内房線富浦駅下車。駅から線路に沿って南へ進み、踏切を渡る。右側に南房総市の市役所がある。その先で
右カーブ左カーブと、道路なりに進む。丹生(にゅう)川を腰廻り(こしめぐり)橋の新橋で渡る。河床は岩の滑滝
状になっているが、川幅や落差、水量が多ければ名所にもなりうるものだ。ザーザンボという。道路の北側は桜
の並木で、歩道のアスファルト舗装面に根の配置を見せている。
深名谷公会堂の南側の交差点の東側には高速道路の高架が南北に走っている。ここの十字路を北へ行く丹
生川沿いの道路はその先、木の根隧道で旧富山町と繋がっている。並行する木ノ根峠の山道が昔は南北を結
ぶ重要な道だったという。東京湾側は険しい山が海に迫り、海沿いの道路も幾つかのトンネルで南北を結んで
いる。新しい高速道路もこの木ノ根峠の道と並行しているわけだ。
高速道高架を東へ潜る。岡本川に沿って狭い耕地が南北に延びる道路になる。新道路の交差点の先にある
道の駅おおつの里花倶楽部は広い駐車場に大型観光バスを並べている。広い花売場だ。北側に公衆トイレが
ある。駐車場が北側にもある。ここで東へ曲がるのが宮本城跡への道だと案内看板があるが、これは無視して
更に道路を北へ進む。
西側の道路の歩道が広い所に、右丁字路(東電柱大津247柱)があり、ここで東へ折れる。大庭橋を渡っ
て坂道を登る。
大庭橋からの坂道は十字路■に出る。右側には熊野神社経由の道路から来た時は右折するようにとの標識
がある。坂道の先で二又に出る。ここにも標識があり、左へ進む。コンクリート舗装の道路は左へ向いて急な坂
を登る。水平になると左側は枇杷畑になっている。落ち葉に覆われた狭い山道になり、右へ曲がる。
二度目の右へ曲がる所には直進の径型があるが、それは枯れ枝などで通れない。その右折箇所に標識は
ないが、こちらは奇麗な径だ。左に尾根の登りの径が続く。右側の林が途切れて南西側の展望が一時ある。
その後直ぐに頂上に出る。
山頂の広い平地の南側の西では、南西側がゆったり展望できる。手水鉢が一つあるほかには古いものは見当
たらない。「宮本城址」と彫られた石碑は新しい。ここが室町時代にも遡る遺構だと説明看板がある。延徳
三年(1491年)に館山、稲村城の支城として築かれたという。東屋があるが壊れかけているのは、残念だ。平成
3年(1991年)、桜の苗木が100本、植えられたという。中央部には林が残され、広い平地はドーナッツ状に奇
麗に刈り払われている。山頂の東端部は幅広く下りの斜面が切り払われている。その下に大木ホルトノキがある。
道の駅おおつの里花倶楽部→0.25=0.20←宮本城跡
道の駅おおつの里花倶楽部の北側で右折、宮本城跡への大きな案内看板に従うと、橋を渡った最初の丁字路
にはカーブミラーと案内標識があって左折して前述のバス停大庭からの道と十字路■で合流する。左折箇所を
直進すると、熊野神社の参道の石段の前に出る。
![]() |
| B 大木ホルトノキ |
B−2 道の駅おおつの里花倶楽部から
道の駅おおつの里花倶楽部→0.05←新道十字路→0.10←配水場脇入口→0.20=0.15←
沢源頭の分岐→0.10←宮本城跡
道の駅おおつの里花倶楽部の南側にある新道路の十字路を東へ進む。幅広い道路だ。配水場の門に出る。
そのわずか先の左側からコンクリート舗装の細い道路へ入る。
配水場のフェンスの脇を通る。右側に民家への道路を分ける所を左へ進むと、すぐ右側の藪の中に山道が
あって立派な標識がある。ここから山道へ入る。左に山を巻いて進むと、コンクリート舗装の道路が左下に現わ
れる。正面に尾根筋に径が有るのに、その左下の道路へ標識で導かれる。しかしすぐ又右側の山道へ再び導か
れる。更に直ぐ分岐があるが、左側の緩い傾斜の径を進む。右側の尾根筋が低くなって別の尾根径が後ろから
合流する。
谷筋が左へ径が曲がる所、右側に分岐がある。山に切られた溝径だが、小さな落石や枯れ枝がかぶって
いる。この右分岐の径は滝田城跡の下に繋がる長い径だ。
左から沢筋の源頭部が径を崩しているが、危険なく先へ進められる。径は北から南西へ向き直る。右側の尾
根筋がそんなに高くないと林越しに見える。それがやや高くなった所、右上の斜面の先に、大木の枝が見える。
ホルトノキだが、これは気付きにくい。径は右へ鋭角で曲がる。直進にも道型はあるが、そちらは竹藪で人は入
れない。この付近は踏み跡が変に 狭くなっているので気をつけたい。
径が広くなると、ホルトノキの前に出る。説明看板もある。樹齢はおよそ300年、高さは18メートル、根回りで
5.1メートル。下の方で幹が4本に分かれている。左側に急傾斜だが幅広く刈り払われた径がある。登ると宮本
城跡の頂上の東端に登りつく。そのまま、山頂の肩を進んで左側に展望のある東屋の前に出る。
C宮本城跡から滝田城跡へ
旧富浦町大津の宮本城跡と旧三芳村の滝田城跡は尾根径で繋がっています。宮本城跡からの方向が迷いや
すい箇所が多いので、宮本城跡から案内します。
宮本城跡→0.10←沢源頭部の分岐→0.10←小石祠の191ピーク→0.35←溝径のピーク
→0.30=0.40←西之谷溜池分岐→0.15←東電鉄塔147号案内標柱→0.05←
滝田城跡主郭=櫓台
宮本城跡山頂の広い平地の肩では、南西側が展望できる。山頂の中央部には林が残され、広い平地はドーナ
ッツ状に奇麗に刈り払われている。山頂の東端部は幅広く下りの斜面が切り払われていて、その下に大木ホルト
ノキがある。その根元の右側から下りの径が有る。左へ折り返してホルトノキの一段下を東へ進む。右手の谷
筋、仲尾沢の支沢の源頭部で径が崩れている箇所が有る。傾斜は緩いので危険はないが注意は必要だ。この
わずか東側、径が右側にカーブしている箇所の左側に分岐があり、堀割状の地形になっている。ここには宮本城
跡の標識がある。仲尾沢方面から来た場合、この分岐で宮本城跡方面を案内するものだ。
左側の山の斜面には白いロープが垂らされている。これはコースの通過とは関係ない。狭い堀割状の径へ入
ると、直ぐまた左側に堀割状の地形とロープがあるが、これも無視して緩やかな傾斜の径を進む。足元には枯葉
に隠れてロープが転がっている。この付近からは滝田城跡付近まで「尾根筋を忠実に辿って」進む。
左手にベンチを思わせる岩がある。このコースでは珍しい岩石だ。緩い尾根筋を辿ると、小さなピークに達す
る。●191標高点のピークで、その東端部に風化した小さな石の祠がある。北側には梢越しに展望がある。ここ
から、急な上下の尾根筋が連続するこのコースの核心部になる。
| B 道の駅 おおつの里花倶楽部の北側 ここよりもう一つ北側を案内します。 |
石祠の脇から急な下りになる。一旦水平になった痩せ尾根は右へ寄って背ほどの高さ、丸まった岩の「フェイ
ス」を下る。ここでは右へ寄ったとき、径がなくなったかと思わせる所で、枝にコースサインがなければ左側の
急斜面に誘われかねない。わずかな高低差だが「三点支持」を実行して危険を避けたい。このコースで「攀じ登り
の技術」が必要なのはこの箇所だけだ。再び岩を踏むところがあるが、苔を避ければ危険はない。岩を踏む箇所
はこの二箇所だけだ。
再び小ピークを登ったのち、緩く下った肩のピークから急な下りが始まる。この急斜面の下りの途中、踏み跡
が分岐している。正面の急な下りと、右に折れる急な下りとの分岐だ。ここでは右に折れる。この急な下りのあと
狭い鞍部に着くが、再び急な登りになる。このあとも急な登りを持った小ピークを越えるが、いずれも尾根筋を忠
実に辿る。
左側に浅い堀割を持ったピークに達する。この「堀割」は北側へ下る溝状の径だ。この「溝道のピーク」から尾
根筋を東へ辿る。尾根筋は若干笹が多い所も有るが全体緩い上下になる。南側に巻き径が有って水平に進
めそうだが、できるだけ尾根筋を辿る。草木が蓋って通行不能の巻き径もある。又、倒木が尾根径を塞いでいる
箇所では、僅かだが尾根筋を外れて、直ぐに尾根筋に戻ること。マテバシイの並木道も進む。
右側に尾根を置いた狭い径の後、峠状の地形に出る。右側に「三角点行き止り」の標識が下がっている。二等
三角点宮本△215.2への往復は片道1〜2分だ。下りの径は一回左へ折り返して右側に谷の源頭
部、左側に山の斜面の径になり、水平な径に変わっていく。左側の山が途絶えた所には、左北側への分岐が
ある。そのまま尾根筋を南東に進んだわずか先、右下に奇麗な径が分岐している。西之谷溜池へ行く径で、直ぐ
舗装道路に降りられる径だ。
緩やかなピーク登りの右側に巻き径がある。やや枯葉が多い。この巻き径はずっと倒木が多い歩きにくい径だ
が、地形はよく踏み固められて続いている。しかし、尾根筋の踏み跡も上下が緩やかで、この付近はこの尾根筋
がいい。その尾根筋の径も幅広い裸地状の斜面で右下へ下る。明瞭な径に降りる。右側は先ほど避けた巻き径
へ繋がるもので倒木が斜めに径を塞いでいる。左側は緩い下りで、こちらへ進むがやはり倒木をかわさねばなら
ない。ハナミョウガなどが被る径は左へカーブして行くが踏み跡が曖昧になる。行き過ぎると北東側の崖の上に
出てしまう。鞍部の地形で右側へハナミョウガを踏みながら進む。バスタブ状に掘られた穴がある。たぶんヌタ場
として利用されているのだろう。この付近、黄色・ピンクのコースサインがある。東西どちらからもわかりにくい。
痩せ尾根を緩く登ると、笹に囲まれて黄色い東電鉄塔147号案内標柱がある。右側には家庭用テレビアンテ
ナの部品とポールが転がっている。その左側は草の薄い小ピークへの斜面で、これは●149標高点のピーク
だ。その左側に笹で囲まれた水平路が延びている。転がっているポールは「通行止め」のサインで、これを跨ぐ
とピークの右側を巻く径が延びている。これは右へ曲がっていくやや急な下りの溝径だ。エスケープルートとして
利用できる。
東電鉄塔案内標柱147号から左側の笹で囲まれた水平路を進むと、尾根筋を踏み換えて左側が尾根筋にな
る。これも痩せ尾根になって再び左側が山になると「堀切」「土橋」の看板と共に左側にかなり急な擬木の段径が
登っている。これを登ると滝田城跡の櫓台で頂上だ。送電鉄塔があり、八幡宮の石祠がある。段径の前を右へ進
めば、遠見山という展望台(塔)を経てトイレのある駐車場へ至る。
| B 配水場の門前に出る。その僅か先の左手からコンクリート舗装の細い道路へ入る。 |
D枝道と仲尾沢林道
滝田城跡と宮本城跡を結ぶ径には幾つかの枝道が取り付いています。
D−1 送電鉄塔から
滝田郵便局前丁字路→0.05←西之谷トンネル東口→0.05←送電鉄塔
駐車場登り口→0.05←送電鉄塔
送電鉄塔→0.15=0.10←東電鉄塔147号案内標柱
滝田郵便局のある丁字路の南に新たに開通した西之谷トンネルを潜る。西口で右折する。
滝田城跡登り口の駐車場から西之谷トンネル西口を経て更に西へ進む。
右側に個人開設のギャラリーへの案内標識がある。大きな水槽の脇に東電鉄塔148号案内標柱があり、そ
のわずか先に鉄塔が見える。道路を右折して脇道から案内標柱に従って進むとわずかで148号鉄塔の下に出
る。ここから狭い切り開きの暗い径を上る。やや急な径で、左側に分岐があるのを見送って更に傾斜を強める。
左へ曲がった径は水平になり、尾根筋に達する。右側には笹に囲われて東電鉄塔147号案内標柱がある。
●149標高点のピークで笹を潜る水平路を東へ進めば滝田城跡方面だ。
D−2 西之谷溜池から
駐車場登り口又は西之谷トンネル東口→0.05←送電鉄塔→0.20←西之谷溜池→0.10←尾根筋
滝田城跡登り口の駐車場から西之谷トンネル西口前を経て更に西へ進む。右側にギャラリーへの案内標識、
東電鉄塔148号案内標柱があり、そのわずか先に鉄塔が見える。そのまま道路を西へ進む。東電柱上滝田97
柱の脇には右に民家への道路があり、正面と左下へと向かう道路の分岐がある。正面の緩い上りの道路を進
む。アスファルト舗装道路は一回ヘアピンカーブをしたのち砂利道に変わる。左右は高い山の崖に囲まれてい
る。右側に平地があって斜路が分岐している。西之谷溜池だ。
道路から右折し、溜池の堰に出る手前、右側に切り開きがあり、これを登る。わずかで尾根筋に登り着く。地理
院の地図では尾根筋の破線は道路の崖に達して東へ向いている所だ。
狭いが刈り払らわれた緩やかな尾根径で、Zカーブには右側への分岐があるが左へ直進する。右側の尾根筋
が高くなりかけると滝田城跡と宮本城跡を結ぶ尾根筋に合流する。そのままの向きで尾根筋を進むと正面に山
の斜面を仰いで左右に道が分岐している。左側の水平路を進むと西之谷溜池からの谷筋の源頭部を廻り込む。
一回折り返して峠状の地形に達する。左手には三角点△215.2を案内する標識がある。
D−3 仲尾沢林道 西之谷溜池まで
尾根伝いに宮本城跡から滝田城跡へ向かうのはけっこう難儀な「みち」です。その尾根筋と並行して林道が通
っています。
配水場脇入口→0.05←奥山仲尾沢林道分岐→0.15←東仲尾沢トンネル→0.15=0.10←
西之谷溜池
宮本城跡を南から目指して配水場の南側の新道を直進する。バス停仲尾沢の標識を見て仲尾沢隧道に入る。
これを出て左へ水平に進むと、右側に奥山仲尾沢林道が分岐している。未舗装道を左へ直進すると最後の民家
を後ろにして沢沿いの道を進む。右岸左岸と変わるが左へカーブした所、東仲尾沢トンネルの西側入口が開
いている。その南側には歩道も付いている。そのまま未舗装道を進む。左側に堰の土手、右側に舗装道路が分
岐している。西之谷溜池の峠の所だ。直進すれば舗装道路で下って西之谷、滝田城跡登り口にいたる。北側
溜池方向へ進めば右側に尾根筋への径が分岐している。
| D ギャラリーへの案内標識、東電鉄塔148号案内標柱があり、 そのわずか先に鉄塔が見える。 |
D−4 青木山から溝径のピークまで
道の駅おおつの里花倶楽部→0.05←大庭橋西(東電柱大津247柱)→0.10←大居橋→0.05←
拡幅道路の端青木山→0.05←右下分岐→0.05←青い瓦の家・入口→0.15←●162ピーク南巻き
→0.20=0.15←溝径のピーク
道の駅おおつの里花倶楽部を経て、県道を更に北へ進む。大庭橋、大居橋経て、これまでの幅広い県道が
狭くなりかけ、右カーブする。
狭くなった県道はカーブを繰り返して南東から北へ向き直る。右へ下る分岐がある。東電柱大津151柱。無名
の橋を渡った左側に青い屋根の民家があり、その向かいに草の切り開きがある。
小さな分岐を左・右へ選ぶと山裾に出て右へカーブ、南へ緩く登る。左へ曲がった箇所には右にこれまでの山
裾の巻き径と左に山径の分岐に出る。(実際は十字路で、西向きの小径は目立たない)
左の山径は溝径になって左右に振れながら登る。水平な尾根、直登から右巻きの径になる。左手の斜面は下
生えが少ない。●162ピークの南側を巻く径だ。少々の往復なので山頂を目指しても良い。各所に太い木々が
ある。但し山頂には特段何もない。
南巻き径を東へ進むと藪っぽい南東方向の径になる。太いマテバシイの脇に少しばかりの露岩がある。尾根
径は左に低いピークを巻き、マテバシイとスギの境木の尾根がスギだけになる。その並木の途中で右へそれて、
尾根筋の右寄りの肩に踏み替える。溝径の急坂になって溝径のまま滝田城跡と宮本城跡を結ぶ尾根筋に取り
付く。左東側の尾根の方に休憩にいいスペースがある。
E仲尾沢山 ●204 金毘羅大権現 ○190
新道十字路→0.10←配水場脇入口→0.05←奥山仲尾沢線分岐→0.10←南小山入口
→0.05←横断側溝入山口→0.10=0.05←丁字路分岐→0.10←山頂
丁字路分岐→0.15←尾根筋→0.10←金毘羅大権現
新道の十字路から配水場入口、仲尾沢隧道を出て左へ水平に進む。左に未舗装道仲尾沢林道、右側にコン
クリート舗装の下り道で奥山仲尾沢林道が分岐している。コンクリート舗装の道路は橋へ下り、急傾斜を登る。左
右カーブを繰り返して水平になると、右側には小山への斜路があり、左手には畑がある。右側はソテツ畑の浅い
谷に変わる。左右ともに山になると、退避場の看板があり、道路が広い。横断グレーチングの位置北側の斜面に
入山口がある。法面を登ると竹藪の中、奇麗に切り開かれた径があり境界見出標もある。
直ぐ二又になる。右側は境界見出標が繋がり、山肌の急斜面に正対する。左は薄い踏み跡を辿って竹をかき
分ける。すぐに竹のない溝径になって右側へ折れる。「七曲がり」の始まりだ。第三曲では直進方向に下りの径
が分岐している。周囲に太い樹木が多い。第六と第七とは距離が短い。東へ向いたやや長い斜路が水平になる
と右丁字路に出る。斜面を直登してきた境界杭と再会し、左丁字路★を左折する。
右側に小高い丘を見上げた所、溝径が右側に分岐してカーブするが、尾根筋の左肩のままでもいい。溝径
と合流して左折、直線で山頂に達する。尾根が分岐しているが山頂自身には何もない。東側ほぼ水平で下草の
多い尾根を進むと小塚に石造大日如来座像が奉られている。天明三年(1783年)宮本村だ。風化は進んでい
ない。
| F 白山神社 |
左丁字路★から東へ水平な径は長く繋がっている。緩く下り左へカーブする。左側からの緩い尾根筋が下って
きている。これを乗り越す。若干踏み跡が狭くなる。左右の傾斜が緩くなると道幅も広くなる。切り通しに差し掛か
って大きく左へカーブする。左側は緩い斜面で盛り上がっている。径は右巻きのままだ。右カーブして左後ろから
の尾根筋に合流する。幅のある尾根筋の気持ちのいい径になる。右ピークは馬頭観音文字塔の奉られたもの
で、左側の巻き径を進む。K番の数字の読める杭が二本連続する。左下に並行して木々の中に径型が見える。
尾根径には左側からのこの径型が合流して尾根筋が緩く登る。
正面に幅のある急斜面の径、右側は下生えや竹薮の中に踏み跡が見える。斜路を登ると石灯籠が一基、慶
応四年(明治元年、1868年)が読める。手水石もある。小振りの覆い屋の中に小さな鳥居と社が納められてい
る。奥社魂巌神社のお札が納められている。「富浦の昔ばなし」P67(生稲謹爾氏平成12年・2000年)でいう
七曲がり金毘羅大権現だ。山頂の肩にはマテバシイ、スダジイが太い。独立しているが周囲に展望はない。東へ
下る踏み跡があるが、直ぐに竹薮の中に消える。入らないこと。
F白山神社
白山神社入口→0.05←白山神社→0.35=0.30←尾根分岐→0.20←西之谷溜池分岐
白山神社参道入口から西へ進むと白山神社に至る。石段の上の社殿の右側には石祠が並び、斜路が上って
来ている。左側には山車庫の背が高い。その前を通って、害獣避けの扉を開閉する。146号鉄塔への案内標柱
にしたがってプラスチックの段径を辿る。この段々がなければ通行不能なほどの急斜面だ。左折して緩やかな登
りのあと、ジグザグを経て鉄塔下に達する。境内からおよそ10分だ。展望がある。一般のハイカーはこの付近を
限度に引き返すこと。
鉄塔の下、右折して北へ、北西へ、西へ尾根筋を進む。藪に覆われた細い溝径が左下から合流してから、尾根筋
乃至右巻き径は小枝の被りが多くなる。左側に尾根を置く右巻き径は断片的に藪の覆いが繰り返される。この尾
根の西端、巻き尻の位置に左へ下る「切堀」がある。幅広い溝径が尾根の南側斜面を東西に走っている。
幅広い溝径は南斜面を緩く東へ下っている。Zカーブを3回繰り返して高度を下げるが、土砂崩れのために倒木
とその後の潅木のために、通行できない。径は緩く西へ登り、左へカーブして尾根筋に達する。西之谷溜池分岐に
は目印らしいものはない。左へ分岐を進むとマテバシイ並木の尾根筋になって滝田城跡へ至る。
白山神社前から県道をわずかに北へ進むと、クランク曲がりしている箇所がある。山が川に迫り、道路の狭ま
っている所だ。北側の角、西側に小さな川と狭い道路がある。これを進むと、この川が滝になっている。不動の
滝、落差6メートルほどだ。
G高月城跡
高月橋→0.10=0.15←高月城跡
高月(たかつき)橋を渡った先で左折。畜産家の角には龍喜寺の案内標識があり、これに従って右折する。広
い円形の平地の畑地東側は一段高く龍喜寺の境内になり、由緒の書かれた看板も有る。東側には萬勢稲荷神
社の社があり、寛政五年(1793年)の諏訪大明神の石祠が並ぶ。小枝と下草の中に東側の山へ続く薄い踏み
跡が見える。○140の山も含めて南東側が城跡だが、入らないほうがいい。
| E 仲尾沢山 金毘羅大権現 |
H鹿島山 △137.4
道の駅三芳村鄙の里→0.10←標識の並ぶ十字路★→0.10←三坂青年館→0.20=0.15←
鹿島山
道の駅三芳村鄙(ひな)の里には広い駐車場と二箇所のトイレとがある。ここの北、看板標識が並ぶ広い道路
の十字路★がある。北西には鹿島山が形よく眺められる。更に北進したNTT43号柱のある交差点で西へ折れ
ると送電鉄塔154号の前を通る。スクールバスのバス停三坂青年館の変則十字路で右折する。
看板標識が並ぶ広い道路の十字路★で左折した時、正面に六地蔵像の並ぶお堂の手前の十字路で右折す
る。ここのお堂は中堂といい周囲は墓地で、外には新旧数組の六地蔵像が並ぶ。堂内には薬師如来像と十二
神将像が並んでいるが、薄暗くてよく見えないのは残念だ。道路がやや右へ曲がったところが変則十字路で、
スクールバスの標識がある。左寄りに曲がる。
一段高い所右側に三坂青年館がある。入口に看板はない。左側に低い石垣があり、これに沿って西へ進
む。二又の右側がコンクリート舗装の道路でこちらへ入る。再び二又で、農業の倉庫の北側、石垣の下の径へ
入る。
石垣のマキの垣根の途切れる所で山道へ入る。幅はあるが、水の流れる溝が中央、右、左に変わりながら
足元にあるので、降雨の後などは特に気をつけたい。一回Sカーブをして尾根筋に達する。右側の石の鳥居は
大正8年(1919年)のものだ。これを潜って急坂で、また一回Sカーブをしたのち石段を上ると、鹿島神社の前に
出る。向拝の梁には龍の彫刻が見える。石灯籠は天保三年(1832年)のものだ。右東側がやや高く、踏み跡が
続いている。平地には石祠が多数並んでいる。草を分けて更に右側へ進むと、三角点がある。踏み跡は北側へ
続いて下っている。
看板標識が並ぶ広い道路の十字路★から更に北進すると、東寄りの集落の中にタブノキの大木が見える。み
よし交流館への案内標識のある交差点で東へ入り、案内標識に従ってみよし交流館を目指す。旧称滝田公民館
みよし交流館の広い駐車場、運動場がある。公衆トイレの脇に農村公園という看板と、旧村の指定天然記念物、
タブノキがある。高さ15メートル、幹周り6.8メートル。樹齢200年。ここのわずか先には寺と皇神社が並ぶ。素
木の一本笠木の大鳥居がある。
標識の並ぶ十字路★→0.05←みよし交流館案内標識の交差点→0.05←滝田公民館
![]() |
| H 滝田公民館があり、農村公園という看板が有る。旧村の指定天然記念物、 タブノキがある。 |
I稚児塚 △210.1(改め△209.8) 四等三角点野野山
I−1 鹿島山から
道の駅三芳村鄙の里→0.10←標識の並ぶ十字路→0.10←三坂青年館→0.20=0.15←
鹿島山→0.30=0.25←北西分岐→0.20=0.15←大木のピーク→0.10←市境登り口
→0.05←稚児塚
鹿島神社の右側を登ると石祠が10柱ほど並べて祀られている。その又北東側へ進むと三角点標石がある。
更に北東へ杉林の斜面を下ると小さな鞍部に出る。右側溝径が広い。神出ヶ谷(しんでがやつ)堰と庄司堰へ繋
がる下り径だが、これは途中径が荒れていて、進めない。ここからK番の境界見出し標が北側尾根筋に繋がる。
右寄り尾根筋の踏み跡に対し左西側寄りに巻き径がついている。どちらも笹薮の中の切り開き径だ。この巻き
径が痩せ尾根になると自然林の尾根になる。その後西巻き、東巻きの後、K256前後の数字の付近には左下
北西方向への幅広い溝径が分岐している。
尾根筋を辿ると大木の目立つピークを前に径は左西へ巻いていく。逆コースのとき、このピークに差し掛かって
南側の巻き径を選ぶこと。太い木の目立つピークにはK227前後の数字が見え、真東にも幅広い尾根筋が延び
ている。
奇麗な舗装の幅広い林道に降りて、右北へ進む。道路左カーブの箇所、カーブミラーと14%看板の中間だ。
林道を北へ進むと、右カーブになるカーブミラーと15%看板の中間左側にある法面の北側の外れに狭い尾根が
ある。市境の尾根筋で、入るとトラロープ、綿ロープを伝って急斜面を登る。三角点標石の前に出ると、わずか離
れて大正2年(1923年)の文字の読める記念林の石祠が南面している。南側にも踏み跡が続く。
稚児塚 房日新聞。 チゴハカ 館山と文化財。
I−2 潮之下橋から
潮之下橋→0.15←竹の花堰左岸→0.20=0.15←林道カーブ→0.05←旧町村境登り口
→0.05←稚児塚
潮之下橋から長谷寺の案内看板に従って北西へ進む。左右の田畑が住宅地に変わると、長谷寺の石段に突
当る。その右側が住宅への通路で、更に右側の道路へ進む。フェンスで囲まれた堰の上を進んで堰の左岸へ
渡る。
左岸の径を進む。堰の水面が小さな水流になった付近、右北側斜面の傾斜が緩くなり、斜面を折り返してその
斜面を登る。イノシシのせいか径は荒れ、枯れ竹や小木が径を塞いでいる。尾根筋に達してやや急な径を登る
と、林道のカーブ地点に出る。奇麗な舗装の林道を左南へ進む。道路の低部から上り直して右側にカーブミラー
と15%看板を見ると狭い尾根筋がある。これをロープにも支えられて登ると頂上に至る。
I−3 西之谷溜池から
西之谷溜池→0.25=0.20←三分岐ピーク→0.05←林道カーブ(竹ノ花堰分岐)→0.05←
市境登り口→0.05←稚児塚
西之谷溜池の南側にはピークがそびえ、細い踏み跡がある。折り返して尾根筋を登ると広いピーク(西之谷観
音山)のあと小さく下る。右直登と左巻道の分岐がある。痩せ尾根で合流すると三芳村の猟区看板がある。まと
まった登りのあとのピークは右寄りと正面に下りの径がある。逆コースのとき北西方向の径が広く奇麗なので、
そちらへ誘われかねない。南側正面の下りは始めこそ緩いが、狭い急な下りになって慎重に林道に降りる。そこ
には特定猟具使用禁止区域という赤い看板が立っている。左東へ奇麗な舗装道路を進むと右カーブする。竹ノ
花堰へ至る尾根径が左側に取り付く所だ。道路の底部を経て、右側にカーブミラーを見ると狭い尾根筋があり、
これを登ると頂上に至る。
西之谷の長谷寺は北西1キロメートルの観音山にあったという。このピークと三分岐のピークらしいが、●174
のピークには堂宇が在したのではと思われる平地があるので、これを観音山と特定した。
![]() |
| H 寺と神社が並ぶ。(白)素木の一本笠木の大鳥居がある。皇神社 |
I−4 上堀堰から
道の駅三芳村鄙の里→0.10←諏訪神社→0.10←丁字路
道の駅三芳村鄙の里→0.10←標識の並ぶ十字路→0.10←丁字路
丁字路→0.05←上堀堰→0.10←右岸左岸→0.10←三又林道標識
三又林道標識→0.10←市境登り口→0.05←稚児塚
三又林道標識→0.05←峠→0.15=0.10←稚児塚
道の駅三芳村鄙の里から西側の諏訪神社経由で、北側の標識の並ぶ十字路・中堂経由で、丁字路へ向かう。
丁字路北側二本の道路は西側を進み、上堀(かみほり)堰の西側に至る。右岸の道路は管渠で左岸にうつる。
アスファルト舗装がコンクリートにかわった急傾斜の道路の右側に林道の標識がある。左側に未舗装道が分岐
している。
舗装道路を直進するとカーブを繰り返して高度を上げる。切り通しの東側には鹿島山方面からの踏み跡が下っ
ている。更に林道を北へ進んで左側の狭い尾根を辿って、三角点標石と石祠のある山頂に達する。
林道標識のある箇所から未舗装道へ進む。入口附近だけ崩落で埋まっているが、背の高い草で覆われた幅
広い道路だ。この道路が左へVターンする箇所は直進方向に下生えに覆われた踏み跡が続いている。銃使用禁
止区域の看板がある。この踏み跡へは進まず、北側尾根筋に枯れ葉や下生えに覆われた浅い溝径を求める。
枝をかわして尾根筋に踏み替える。下生えの無い痩せ尾根を進む。浅い溝径を横断して急登を上った先に、太
い木々の並んだ向いに石祠が祀られ、その後ろに三角点標石がある。
J鐘撞堂 ●166 要害山 ○170
カネツイドウ、リョウガイヤマと呼ばれるのだそうです。昔、鐘撞堂があったというピークは●166です。その南
●137との中間が要害山だそうです。そこには枝分かれした太いスダジイがあります。
J−1 北側から
上堀堰→0.10←右岸左岸→0.10←三又林道標識→0.05←峠→0.25=0.20←要害山
→0.10←源頭の三又分岐
上堀堰西側の林道を北へ進む。林道の標識のある未舗装道へ進む。この道路は左へVターンして広い平地に
出る。西側にも小山と一段高い平地がある。
東側の尾根へ登りつくと太いスダジイが立ち、尾根筋を南へ進む踏み跡がある。最初の小ピークは右へ下る。
東側の尾根へ登らず、その山裾を南へ進むと左側の小ピークからの下り径が合流する。以下たびたび東西に
巻道がからむ尾根筋が続く。新しいコンクリート杭と頭部の欠けたコンクリート杭もある。
切り通しと尾根の踏み替えで東側の巻き径を進むが、南西から南に向き変わるときの西側のピークが鐘撞堂
●166だ。要害山はヌタ場の穴の手前北側の巻き尻から北へ僅かな時間で頂上に達する。スダジイが太い。内
一樹は数本に幹分かれしている。幹周りは6.4メートルにもなる。西側には緩い尾根筋が見える。
ヌタ場の穴がある径は東側から西側を巻く。笹が塞いでいると思われた東巻き径は直ぐに抜けてスダジイの大
木が径の右側に立つ。根が張っているはずの東側は崩落して径を狭めている。危険注意喚起の紐が張られて
いる。嵐の一回も直撃すれば倒れかねない。小鞍部には銃使用禁止の看板と東側斜面へ下る曖昧な踏み跡に
コースサインがある。これには進まないこと。この小鞍部の先、尾根先をSカーブして登り東巻になった径の西側
は岩が目立つ。この岩を丁寧に登った頂部には蛸壷を思わせる竪穴がある。南へ進んで、源頭の三又分岐
がある。右側に下る径があり、直進は狭いが傾斜の緩い尾根で●137ピークに至る。
| H バス停物産センター前=道の駅「三芳村」鄙の里 右端に特大ハンバーガー店 |
J−2 東側・上堀堰から 1
上堀堰→0.15←小岩のピーク→0.05←源頭の三叉分岐→0.10←要害山
三坂から西へ進んだ丁字路を北へ進む。上堀堰に出る手前左側に分岐がある。直ぐ三叉になる。右側の尾根
筋寄りへ進む。左へカーブして下生えの少ない尾根を急登する。この傾斜が緩むと下生えの多い踏み跡の曖昧
な尾根筋になり、これを急登する。小岩が現れるようになると緩やかな尾根筋になり、右寄りに進む。小岩の折り
重なった小ピークでは最高部へ進む。そこには風化した石祠がある。この石祠の右裏側、北西方向へ踏み跡は
ないが、下生えの少ない斜面を下る。鞍部からは右側へ下生えを分けて踏み跡を求める。水平になって梅林か
らの尾根筋急登の肩の位置に出る。左側への急登わずかで●137のピークだ。コンクリート杭が4メートル離れ
て二本ある。右側へ下る。狭い尾根を下った鞍部は源頭の三又分岐だ。左折は涸れ谷の右岸を下る。右直進
は(蛸壷)山の東巻き径で、小岩の目立つSカーブを下る。
小鞍部を経て尾根の右側を巻く径にはスダジイの大木が脇にある。小さなヌタ場の穴の先で左側には緩く尾根
筋が上がっている。ここでは左へ上がるとわずかで要害山に達する。スダジイが太い。西側には緩い尾根が見え
る。
J−3 東側・上堀堰から 2
上堀堰(梅林)→0.20←源頭の三叉分岐→0.10←要害山
三坂から西へ進んだ丁字路を北へ進む。上堀堰の北西側には梅林がある。谷からの水を排水するグレーチン
グが計二本、道路を横断している。南側には明瞭な踏み跡が見えるが、これには入らない。北側グレーチングの
右岸相当位置から、梅林の奥の笹薮をひと漕ぎして林の中に入る。尾根の末端部へ登り、下生えの少ない尾根
筋を忠実に辿る。鞍部を一回経て急登した肩には、左側に水平な踏み跡があるが、そのまま直登する。●137
のピークにはコンクリート杭があり、右側へ下ると源頭部の三又分岐だ。左折は涸れ谷の右岸を下る。右直進は
(蛸壷)山の東側を巻いて小岩のSカーブ、小鞍部、ヌタ場の穴、左直登分岐を登って要害山へ至る。
| H 三坂青年館は右手 石垣の前を左へ進む。 |
J−4 正木堰から 1
那古船形駅→0.10←那古寺駐車場→0.05←東側登山口→0.10←那古小学校正門前
バス停那古小前→0.05←那古小学校正門前
那古小学校正門前→0.05←十字路→0.25←三又分岐(東電柱小原340柱)→0.10←痩せ尾根
→0.10←小岩のピーク→0.05←源頭の三又分岐→0.10←要害山
JR内房線那古船形駅から那古寺を経て周回コース東側の登山口へ行く。更に東へ進むと、「とれたて市場」へ
の道路から右側に分岐して住宅地の道路を進む。絵画で彩られた地下道で国道を潜ると左には白岩弁財天が
ある。プラタナスやイチョウの大木が見られる那古小学校の敷地の南側を進んで正門前に出る。バス停那古小
前から北へ進んでもこの正門前に出られる。校庭東側の道路を北へ進むと右へ曲がって十字路に出る。東電柱
小原10柱。ここには鉱泉の案内看板がある。
十字路を北へ進んで二つ目の右丁字路を右折する。左側に一軒目の温泉、正木下堰への分岐、右側に二軒
目の鉱泉の看板を見た後、正木上堰の脇を通る。右側の椰子の木とカイヅカイブキの並木、細い三又分岐があ
り、右へ進む。東電柱小原340柱。
左右に住宅や別荘が散在する道路は傾斜を得てコンクリート舗装になると、左側に二階建てがあって道路が
尽きる。そのままの方向で一段上ると右側に竹薮を切り開いた幅広い径が水平に繋がる。左側に狭い尾根の鞍
部に取り付く。痩せ尾根は左右とも進行が可能だ。
竹薮の平地から痩せ尾根を左北へ、最初は緩いが登るに連れて強まる傾斜の斜面を進む。肩の位置に登り
つくと、その先には小岩の折り重なりが見える。右巻き径を選ばず、左直登を選んで進む。岩にもたれて風化し
た石祠があり、やはり風化した石祠がもう一柱、最高部にある。
小岩のピークから石祠の左裏手、北西方向へ斜面を下る。鞍部からは右側へ踏み跡を求め梅林からの尾根
筋急登の肩に出る。左側への急登わずかで●137のピークだ。右側へ下った鞍部は源頭の三又分岐だ。左折
は涸れ谷の右岸を下る。右直進は東側を巻いて小岩のSカーブ、小鞍部、ヌタ場の穴、左直登分岐を登って要
害山へ至る。
J−5 正木堰から 2
三又分岐(東電柱小原340柱)→0.15←源頭の三又分岐→0.10←要害山
右側の椰子の木とカイヅカイブキの並木、細い三又分岐がある。東電柱小原340柱。左へ曲がるとオート
キャンプ場の入口がある。左奥がキャンプ場で、右側へ進む。墓地の脇を抜け、左側に「山頂」を案内する標
識と分岐を見送る。果樹園の中を通って、源頭部の谷の下生えの中をジグザグで登る。溝径になって尾根先
の分岐点に達する。右東寄りにも径があるように見えるが、いずれも下生えに阻まれて径は繋がらない。左
北へ尾根筋を辿る。
山の左側を巻いてマテバシイ並木の広い平地に出る。右側には土塁を思わせる盛り土がある。下生えの多い
林の端を進むと。左側の山が高くなる。これが(蛸壷)山で、源頭の三又分岐に出る。右側は狭い尾根筋で●
137ピークへ。左側は山の東側を巻いて小岩のSカーブ、小鞍部、ヌタ場の穴、左直登分岐を登って要害山へ
至る。
マテバシイの並木のある平地は曲輪ではなかろうか、土塁のような地形もある。これは専門家による調査、
御報告を待ちたい。
オートキャンプ場入口には関係者以外立入禁止の看板がある。進入できないときは前項によって尾根筋を目
指したい。
| I 三坂から西へ進んだ丁字路を北へ
左が奥山仲尾沢林道 これを進む。 上堀堰に至る。 |
J−6 正木堰から 3
三又分岐(東電柱小原340柱)→0.15←無名峰山頂→0.05←(蛸壷)山=源頭の三叉分岐
→0.10←要害山
オートキャンプ場の入口から右側へ進むと左側に「山頂」を案内する標識と分岐がある。これに従って進み、や
や急な坂径を左折右折をして北向きの尾根筋に達する。右側が平地になるが、左側の尾根筋を目指す。北東、
北側と狭い尾根筋を進んで山頂に達する。境界杭と小岩の狭い山頂だ。
北東方向を見下ろすと倒木に隠れた先に尾根筋がある。急な下りで尾根筋を進むとわずか上って山頂に出
る。蛸壷を思わせる小さな竪穴が掘られている。東側には斜面の下に径が見えるが、急過ぎる。南東側へ急斜
面を滑り落ちれば源頭の三又分岐だ。北東側へ岩の斜面を転がれば小岩のSカーブだ。小鞍部、ヌタ場の穴、
左直登分岐を登って要害山へ至る。
オートキャンプ場入口には関係者以外立入禁止の看板がある。進入できないときは前々項によって尾根筋を
目指したい。
J−7 御狩堰から
那古小学校正門前→0.05←十字路→0.10←御狩堰
バス停正木原→0.15←御狩堰
御狩堰→0.05←丁字路(東電柱小原60柱)
道の駅三芳村鄙の里→0.10←諏訪神社→0.15←丁字路(東電柱小原60柱)
丁字路(東電柱小原60柱)→0.15←左分岐→0.25=0.20←十字路→0.25←痩せ尾根
→0.10←小岩のピーク→0.05←源頭の三叉分岐→0.10←要害山
那古小学校の正門から校庭の東側の道路を北へ進む。右へ曲がって十字路に出る。更に直進して御狩(みか
り)堰の丁字路を左折する。バス停正木原から北へ進んでもこの御狩堰に来られる。北側に住宅の点在する農
地の道路の丁字路のひとつ、東電柱小原60柱で左折する。ここまでは道の駅鄙の里から西へ進んだ諏訪神社
の十字路から市境を越しても来られる。
丁字路を北へ進んですぐ、岩壁の下を右に折れる。東電柱小原67柱の奇麗な二階建ての住宅の前で右折、
前を通る。倉庫手前の尾根先、梢の下に山道が隠れている。はじめは刈り払いが悪いが、ソテツ畑の脇から電
気牧柵の脇を進むに連れて奇麗な径になる。この電気牧柵の北端には西からの農作業道がある。梅林と枇杷
畑の脇を抜けて、右カーブする。果樹園を右側に見て下りかけると分岐があり、左へ進む。
竹の中の切り開き径から緩い登り傾斜の径になり、笹薮を抜ける。右側に低いピークを置いた巻き径からハラ
ンの脇の径になる。左へ尾根筋を巻くとカーブで下り、左へ直角に曲がる斜面を下る。東側にやや離れて柑橘系
の果樹園が見える。痩せ尾根の径になって左側の溝径が倒木などで進めない箇所は右側の土手を進む。痩せ
尾根の鞍部では左手に幅広い竹藪の切り開き径が見える。これは住宅・別荘地からの道の取り付きだ。ここま
で東側に下れそうな径が2,3あるが、いずれも下生えが覆っている。
竹薮の平地脇の鞍部から痩せ尾根を北へ、緩い傾斜が登るに連れて強まる。小岩の折り重なるピークは左直
登を選ぶ。風化した二柱目の石祠が最高部にある。
小岩のピークから石祠の左裏、北西方向へ斜面を下る。鞍部からは右側へ踏み跡を求め梅林からの尾根筋
急登の肩に出る。左側への急登わずかで●137のピークだ。右側へ下った鞍部は源頭の三又分岐だ。左折は
涸れ谷の右岸を下る。右直進は山の東を巻いて小岩のSカーブ、小鞍部、ヌタ場の穴、左直登分岐を登って要
害山へ至る。
| J 御狩堰から北へ進んで、ここで左折します。丁字路小原60柱 |
K町界尾根
岡本川左岸の旧富浦町と旧富山町との町界尾根筋と滝田城跡と宮本城跡を結ぶ尾根径とは旧三芳村の西之
谷附近で合流するはずでした。
犬掛お堂→0.10←巡視路入口→0.15=0.10←旧町界の峠→0.30←「堀切」・切り通し
犬掛お堂の北側に消防署があり、西丁字路で別の県道185号線を西へ進む。道路が山の中に入ってまもな
く、右北側に東電柱142鉄塔への巡視路入口がある。道路はU字曲がりを経て旧町界の峠▼状の位置に至る。
峠▼に至る直前、道路南側のガードレールが尾根に変わる中間にある狭い切り開きに入る。一段高いほかに
目印は無い。小尾根を踏み越えて直ぐ右折、細い径を登る。小ピークに接近して左へ巻いたあと、林班境界標の
立つ痩せ尾根の奇麗な径◆で左折し、南へ進む。
峠▼を越えて下ると岡本川上流を土橋で渡る。この「橋」に至る手前、南側の斜面に保安林の標識が立ち、細
い踏み跡がある。進み易いのは最初だけで、右上がり斜面の刈り払いの悪い細い急なケモノ径程度の踏み跡が
複数分岐する。小尾根筋に達せられても登路に小枝や下生えが覆う。林班界標識の立つ小ピークの右下には別
の林班界標識が立つ痩せ尾根の奇麗な径◆が南へ向いている。この保安林標識からの径は紛らわしいので進
入しないこと。
痩せ尾根の奇麗な径◆は尾根筋に変わり右へ巻く。直ぐ尾根筋に合流し、ここにも右巻き径があるが、これは
●179ピークの北側へ進むものなので、進まないこと。左側、並木に沿ったやや急な尾根筋を選ぶ。
その後は尾根筋の奇麗な径が続く。急下りの先、「城跡の堀切」では慎重に足元を選んで下る。「堀切」の底部
■では林班界標識が立つ。東西に緩やかな下り径が見える。
犬掛お堂→0.05←逆柿北商店角→0.05←(舗装道尽き)進行不能(西山林道)
西山林道 犬掛お堂の南、逆柿(さかさがき−治承四年(1180年)、大勢の加勢と伴にここを通った源頼朝は
鞭にしていた柿の枝を上下逆、この地に挿したという場所)の植わった商店北側の道路を西へ進む。日宣寺の
参道を左に分け、道なりに直進する。最後の民家前の二又を左へ水平道を進む。舗装道路は金網ゲートの先の
先で尽き、草むらの径になるが、直ぐに倒木地獄になって進めなくなる。沢の左岸側だ。これが西山林道で「倒
木地獄」でなければ幅広い源頭部の左岸になって切り通し・「堀切」の底部■に至る。その西側は緩やかな傾斜
の幅広い谷に出て、左へ下る。岡本川左岸の枝沢の上部だが、倒木地獄に変わって進めなくなる。
「堀切」・切り通し■→0.15←曲がりのピーク
「堀切」■の南側も急斜面でこれを慎重に登る。尾根筋は緩い傾斜の上下で続く。急登斜面の下に見える小鞍
部には境界見出し標が立っている。[ここまでは林班界標識―書入れ部が二箇所あるが空欄ばかり、たまに記
入されても掠れている文字では読めない。−とコンクリート標柱のものばかりだった]小鞍部からまとまった斜面
を登る。
| ◎ 西之谷トンネル 東側 県道から |
東西に伸びるピークに達すると右西側の肩には林班界標識が立ち左東へ曲り、やや急な下り斜面になる。こ
の下り先、小鞍部は倒木に覆われて通行は困難だ。
右に折れ奇麗な踏み跡の径になって西側に源頭部を見せる鞍部でも更に南へ登る。
この尾根筋は●191のピークから△215.2U宮本に至る。この尾根筋のどこかから、西へ200メートル下
った谷に戦国時代の遺構「仏ヶ森」があり、洞窟に供養の石仏があるという。 房総丘陵 1000