金毘羅山 △208.5 房総丘陵1000
水運の守り神である金毘羅様は、この付近だけでも二つあります。こちら側は海老敷(えびしき)金毘(比)羅山
と呼ばれることがあります。天明十三年(1783年)に創建され、慶応元年(1865年)に再建されたという琴平神
社ですが、今も石垣と塚と石祠があります。金毘羅、金比羅、琴平。
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| ◎ 道の駅から金毘羅山の全貌 中央の凹部が山頂です。 |
@海老敷金毘羅山
@−1 堰から
道の駅三芳村鄙の里→0.10←標識の並ぶ十字路→0.10←山下橋東詰め丁字路→0.05←
林道大学口上滝田線起点→0.10←海老敷集会所→0.10←溜池の堰→0.25=0.20←金毘羅山
溜池の堰→0.10=0.05←林道
道の駅三芳村鄙(ひな)の里には広い駐車場と二箇所のトイレがある。ここの北、看板標識の並ぶ十字路があ
る。右折して左右に田畑の広がる道路を東へ進む。左北東側には金毘羅山の低い山並みが展開している。中央
のやや低い所に枝の広がる喬木が数本並んでいるのが金毘羅山の頂上で、わずか左寄りには小さくアンテナ
も見え隠れしている。又、かつては大きな赤い鳥居がよく見えた。山下橋を渡る。
「夢の花館」を左側に坂を登ると林道大学口(おおがくち)上滝田線の起点が丁字路型に取り付いている。その
まま東へ進んで突き当たりを左折する。小作橋左側に墓地があり、海老敷集会所で地蔵像も並んでいる。スクー
ルバス海老敷の標識の西側、狭いアスファルト道路に入る。菜の花をデザインした街灯85番もあり、みかん農
園の看板もある。道なりに進むと最奥で未舗装になり、二又になる。右側の畑沿いの径を進む。「危険につき立
ち入り禁止」の標識がある。これはその先の堰の溜池転落危険の注意喚起のものだ。谷筋の右岸の径から海
老敷第二堰の右岸に出る。
この右岸から西側の林道へ行かれる細い径があり、お手製の標識とピンクのコースサインが案内している。ケ
モノ獣径程度の踏み跡と細かい倒木、急坂の繰り返しなので、入らない方がいい。これは往路10分復路5分程
度で林道に出る。
堰の土手を左岸へ進み、放水路を木橋で渡る。左右に踏み跡があるが、右下流側の薄い踏み跡の方をお手
製の標識とピンクのコースサインで導かれる。堰から下流の左岸側に流入する枝沢の斜面を登る山道で、踏み
跡としては薄いが、ピンクのコースサインが細かく取り付けられている。これを辿って尾根筋の鞍部に出る。
左右に踏み跡のある鞍部では、左北側へ進む。厚い落ち葉の径ながら明瞭な径が尾根筋をからんで進む。頂
上の台地のすぐ下になって、径は左へ曲がる。右山左谷の狭いトラバース径になる。右上はわずかで山頂の切
開きの肩なので、倒木の枝を分け、枯草を漕いで「無理登り」してもわずかな時間で、南東に延びた山頂の広場
の端部に出られる。この付近は旧来からのルートが別にあるのかもしれないが、ピンクのコースサインに導かれ
て狭いトラバース径を進み、右側、笹藪に覆われた急傾斜の石段を登る。
琴平神社の赤い大きな鳥居は倒れかかっていたのが処理され、今は小振りのものが再建(平成30年・2018
年)されている。ベンチも用意されて、ここからは館山湾側を西端に南側の展望がいい。一番高いところには、
琴平神社の看板があり、石垣が積まれて神域が囲われている。中に入ると一対の狛犬、石祠2柱のほか、石
塔、天保十三年(1842年)3月と読み取れる手水鉢などがある。その石祠には金毘羅大□□(権現)とかろうじ
て読める。太い木の根が、その石垣に絡んでいる。
仮設のトイレがあり、小さな道路が造られていて、市の防災無線アンテナと三角点が並んでいる。2柱の神名
(白取大明神、東照大権現)の刻まれた石碑もある。「低名山倶楽部」が設置した立派な山名標金比羅山も並ぶ。
北側には防災無線の管理用道路がコンクリート舗装の斜路で林道へ繋がっている。
この海老敷金毘羅山には「金比羅山保存会」が組織され、登山道の手入れなどをなさっているという。今後の
継続的なご活躍を期待したい。
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| @ 林道の入口 左右に案内がある。 |
@−2 林道通しで
海老敷金毘羅山はルートを選べば、全線舗装道路で行かれます。
バス停物産センター前=道の駅三芳村鄙の里→0.10←バス停千代原→0.10←
山下橋東詰め丁字路→0.05←林道大学口上滝田線起点→0.15=0.10←堰への分岐点
→0.05←甚兵衛様分岐点→0.05←カーブミラー(海老敷775柱)→0.10←管理道路入口
→0.05←金毘羅山
バス停千代原の十字路で東へ進む。「夢の花館」を左側に坂を登ると林道大学口上滝田線の起点が丁字路状
に取り付いている。ここで左折する。コンクリート舗装とアスファルト舗装が路面の傾斜に応じて入れ替わる。竣
工が最近なのか道路面は奇麗で幅もあり、退避場もある。それにも増して新しい侵蝕による道路の決壊もある
ので、この林道には車を入れないほうがいい。右側の低い斜面の切れ目にカラフルな看板と小さな入口がある。
浄土宗正林寺の裏山側の出入口だ。境内にはギャラリーとしてユニークな絵画、書、塑像を展示した常愧庵と
トイレがあり、七福神巡り、その先の本堂の前庭にも羅漢像を置くなど、楽しいお寺だ。
右側のガードレールの始まりに、お手製の標識がある。海老敷第二堰へ行かれる細い径の入口を案内してい
る。
わずか先、左側の山が低くなった所、東電柱海老敷765柱の所にも又、お手製の標識がある。「甚兵衛
様入口」とあり、急な斜面にコースサインがついている。
その後道路は左右にカーブを繰り返す。右へ急カーブするところカーブミラーの裏にひと一人分の切開けがあ
る。東電柱海老敷775柱の脇だ。路肩にゆとりのある箇所には桜の苗木が植えられている。ソメイヨシノではなく
河津桜なので、早春から開花が見られる。右側の崖が金毘羅山で、やや北に寄ったところに「管理用道路」の看
板がある。右後ろに分岐したこのコンクリート舗装道路の入口は車止めとチェーンが張られ、金比羅山の看板が
大きい。車輌の場合はそのまま北へ進むと道路のピークで退避場として道路幅の広い所がある。通行の妨げ
なしで一時駐車できる。
右側に防災無線のアンテナ、左側の先に琴平神社の石垣があり、南側に広い展望が得られる。
@−3 甚兵衛様
案内がなければ誰も知らないで済んでしまいそうな所に役の(えんの)行者の石像があります。甚兵衛様と呼ば
れているそうです。
林道大学口上滝田線起点→0.15=0.10←堰への分岐点→0.05←甚兵衛様分岐点→0.10←
小窟又は大坂山
林道大学口上滝田線を進んで、左側の山が低くなった所、、東電柱海老敷765柱の所に、お手製の標
識がある。「甚兵衛様入口、役の行者」と書かれ、急な斜面にコースサインがついている。
急斜面を複数のコースサインに導かれて登る。すぐに小さな頂部に達する。更に直進して小さな鞍部になる。正
面には今より高いピーク大坂山があるが、ここで右折して幅広い谷の左寄りを緩く下る。左の斜面に水平気味に
導かれると、西へ向いた尾根筋の北側斜面が岩壁になっている裾を径は縫っている。その岩壁の崖面の西端部
に幅94センチ、高さ144センチ、奥行き181センチの洞の中に高さ90センチの「役の行者」の像が置かれてい
る。顔面はうつむき加減だ。
周囲にはコースサインのほかには踏み跡も薄く、ながく人跡のない場所で、忘れられたような場所だ。林の
中で下草も少なく、わけなくその奥のピーク大坂山へも足を運べる。ただし何にもない。
三芳村史P989で紹介され、房日新聞(房州低名山&温名湯 ひくめいざん、ぬくめいとう)に詳報されたルー
トだ。
| @ 名なしの滝 用水路の段ちなんて、言わないで。 大学口おおがくち の滝 川崎一氏 村の滝54 |
@−4 二反森 ●217
海老敷金毘羅山とは尾根続きです。向こうが南側の展望、こちらでは北側の展望が得られます。頂上は桜の
園地です。
金毘羅山→0.05←管理道路分岐=林道大学口上滝田線→0.10←林道増間御門線→0.10←
二反森
金毘羅山頂上から北側の管理用道路を進み、林道大学口上滝田線に出る。そのまま、北へ林道を進む。両ピ
ークを結ぶ尾根筋と道路が一致したのち、道路は正面上部に林道増間(ますま)御門線を見上げて左へ曲が
る。林道大学口上滝田線終点で今度は林道増間御門線へ右折する。
林道は二反(にたん)森の尾根筋で左へカーブする。路面には横断側溝がある。その先、道路の一番高い所
には退避場があり、右側には「さくらおか」「二反森」の大きな看板がある。
もう腐食した丸太の段径は崩落して登れない。補助ロープも短い。「無理登り」すると、ススキの勝る桜の苗木
少々の園地がある。その頂部はベンチテーブルがススキに埋もれている。北側、富山、大日山の方面の展望が
いい。南側の外れはススキの背も低く、自然林との境は太い桜の老木の並木になっている。
道路のカーブ地点、横断側溝のところ、南側の崖が低く藪が途切れている。倒木の根がつかまえた岩の脇から
入ると、右から溝径があり、左に折れて左寄りの薄い踏み跡を登る。小枝をかわしススキの原との境を登れば、
太い桜の老木を数えながらピークに達する。ススキの中のベンチテーブルからは北側の展望がいい。
@ー5 天満神社から
山下橋東詰め丁字路→0.05←天満神社参道下→0.10←峠部→0.20=0.15←
カーブミラー(東電柱海老敷775柱)→0.10←管理道路入口→0.05←金毘羅山
山下橋の東詰め更に東側の丁字路を左折する。次の三又も左折、石塔や墓石の並ぶ山下集会所(無量院)の
角でも左折。住宅地を抜けると天満神社の参道、長い石段の下に出る。左側の道路を進み、右側がK字路になっ
ている所で、右前方の竹やぶで囲まれたコンクリート舗装道に入る。(東電柱海老敷143柱)
左右にカーブを繰り返して上る道路は峠部に出る。右側、竹薮に囲まれた細道。(天満神社の社殿、古峰神社の
石祠の裏から尾根を辿り、果樹園東の外れから来た径)正面緩いくだりのコンクリート舗装道。左側は二本、緩く
上る未舗装道と山道。この未舗装道を進む。
小さな鞍部の左側は果樹園で、尾根の西側を巻く山道に変わる。この径が緩く下ると、倒木と潅木類で径が塞が
れている。左下からの谷の切れ込みに伴う崩落があって、日当たりがよくなったせいだろう。やや右寄りに倒木や
枝藪をかわす尾根筋で進むと、今度は尾根の東側を巻く径になる。小尾根先を一回左折して、左側から別径を丁
字路型で合流させる。尾根筋からの径だ。痩せ尾根の径になり急斜面に突き当る。この急斜面に足掛かりを求
めて登ってもいいが、ここでは左右の内、左側の殆んど水平な踏み跡へ進む。一回右へ折り返してカーブミラー
のポールに出る。林道の急カーブ地点で東電柱海老敷775柱の脇だ。
左折して舗装道路を進んで金毘羅山へ至る。
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| @ 夢の花館 玄関先 空気も笑顔も暖かい。 |
@−6 増間御門線
この林道は全線、桜の並木になっています。かつ全線奇麗な舗装道路です。
潮之下橋→0.10←知恩院参道御門集会所→0.25←東西ターン箇所→0.10←
林道丁字路大学口上滝田線→0.10←二反森→0.15←切り通し部→0.20←林道終点丁字路
潮之下橋から東へ進み道なりに南へ進む。左側に知恩院を案内する看板が有る。参道を進めば駐車場と立派
な山門、本堂が有る。旧三芳村の有形文化財指定の仏像を紹介する看板がある。知恩院への参道の南側は御
門集会所で、ここで左折する。林道増間御門線起点の看板がある。左から知恩院からの道路を合流させる。
林道に沿って、サクラの木が右ひだりに植えられている。これはこの林道の二反森さくらおかまで、途切れるこ
とはない、道路が左へカーブして傾斜を強めた時、左側には桜の林地になっている箇所が二箇所ある。右側か
ら大学口上滝田線の丁字路を経て、二反森さくらおかのピークに至る。ここも桜の園地だ。
道路は下りに転じ、再び上ると三等三角点奥野△220.8の西側の切り通し部を抜ける。山名金毘羅山西側
の丁字路で林道増間御門線の終点になる。
この丁字路より東は別項、渡度山 立石山へ。桜の並木が続き、桜の園地もある。
@−7 山名大塚山 ●198
林道大学口上滝田線起点→0.10←海老敷集会所→0.10←丁字路左折(トンネル東)→0.10←
丁字路左折(山中)→0.15←痩せ尾根→0.35=0.30←大塚山→0.25←●235ピーク西
→0.10←山名金毘羅山西側の丁字路
海老敷金毘羅山の登り口、海老敷集会所から更に東へ進む。三芳トンネルの東側の丁字路を北へ進む。左
側の丁字路、東電柱山名40柱で左折する。二又は左へ進んで緩い坂道を右へ曲がって行く。左に尾根筋を置
いた丁字路で左へ進む。尾根筋の道路は蜜柑畑に差し掛かる。笹藪と槙の垣根に挟まれた未舗装道でコンク
リート道から分岐して左へ進む。右側は垣根で隔てられたみかん畑で、左後ろには館山方面の展望がいい。右
側が尾根筋に変わると径幅は広がり、落ち葉と枯れ枝が増える。竹藪に開かれた痩せ尾根を通り越した後、再
び左右からの侵食の激しい狭い尾根を渡る。その後は尾根筋西側の巻き径を進むことの多い径になる。しか
し、その巻き径が通りにくい所では尾根筋の方へ移る。その後、尾根筋を小さく下ると南東方向の幅広い草の
尾根筋になる。急坂を目の前に左へ折れて緩く登る所が山名大塚山だ。
山頂には幾本か太い木があるほかは自然林の頂上だ。ルートの踏み跡や標識が無いので迷いやすい。往復
で帰る。正面に急坂、右寄りに巻き道のある所が●235ピーク西側の分岐で、巻き径で通るのが無難だ。道
路に降り立つとカーブミラーが右側にある。左北へ進めば林道増間御門線の終点にもなる林道丁字路に出る。
北側から進むとき、林道から尾根径を進むと右側、緩い登りから鞍部を一つ置いて●235ピークに至る。かな
り急な下りを経て、左後ろから下ってくる巻き径と合流する。
| @正林寺の入口と満開の里桜 |
A平松城跡 ○77
バス停池之内→0.10←平松城跡
バス停池之内下車。西へ進むと平松城跡を案内する看板が上に、案内標柱が右寄りにあって、北側へ入る。
直ぐに右折して東側の山裾の道路を進む。左にカーブして三又に出る。これを右折して東へ進むと低い尾根筋上
の丁字路に出る。
平松城跡の由来を書いた看板があり、左折北へ進む。細いコンクリート舗装道と段道が並ぶ。果樹園の東端、
山の肩から太い木の自然林に覆われたピークに至る。樹林にはその樹種名板が取り付けられている。
ピークの北寄りには古峰神社ほかの石祠、御嶽社の石祠を最奥に三山碑、平松城跡の石碑が建つ。南側の塚
にも石祠が並んでいる。県道から入った最初の屋敷にもクスノキの大木があるが、山頂付近も大木、太い木
が多種多数あり、展望は無理。
バス停大作の十字路から東へ進んだ防火水槽の東、地蔵龕の岩尾根先の東側、崖の裾を北へ進むと姫ヶ井
がある。崖の裾は小川になってわずかな距離の先、西側の崖の下に小さな横穴があり、湧水が見える。道路の
大きなグレーチングの集水桝がその末端だ。千葉県安房郡誌898頁によると、横穴の先には四畳半くらいの広
さがあり、水面の上30センチ程空いていて、頼朝が追っ手を避けて隠れたという。
B堀之内観音山 △121.8 ○120
林道大学口上衛滝田線起点→0.10←海老敷集会所→0.10←丁字路直進(トンネル東)→0.05←
バス停山名=八雲神社
バス停御庄→0.20←バス停山名=八雲神社
バス停山名=八雲神社→0.05←山名堀之内看板の分岐(堀之内橋)→0.05←防火水槽分岐
防火水槽分岐→0.20←堀之内観音山
防火水槽分岐→0.20←グレーチング北尾根先端→0.20=0.15←尾根の丁字路→0.15←
堀之内観音山
バス停山名は便が少なく利用不能。道の駅三芳村鄙の里からか、南側のバス停御庄から八雲神社を目指す。
八雲神社の前は路肩が広い。道路を北へ進んで山名堀之内を示す看板の立つ左分岐へ進む。丁字路の突き
当たりには防火水槽★がある。
防火水槽★の丁字路の北側には細い未舗装道があり、実は十字路だ。これに入るとこぎれいな就農支援住宅
3棟の裏を進む。藪の中の刈り払われた未舗装道の左奥に大きな横穴がある。果樹園を通過したあと、藪を通
り抜ける尾根筋を無理に進むことになる。
防火水槽★の丁字路の北側は空き地の入口になっている。広い空き地の右寄りから斜路を進む。草の刈られ
た斜面を進むと右側は藪、左は草の斜面という刈り分かれの径を緩やかに登る。赤い鋼製の鳥居が建つ苔生し
た石段の上には稲荷社を収めた覆い屋が建つ。径は尽きるが、裏の一段高い位置へ足を運ぶ。疎らな杉林の
中、北東寄りに進むと、前述の登路の先の踏み跡があり、左へ進む。猛宗竹林の外れになって左側から別径が
合流する。
防火水槽★の丁字路を左へ進むとすぐ三又分岐がある。右へ入って二軒目の民家の入口に入る。東電柱山
名368柱。母屋正面の斜路から右端の倉庫の更に右側へ進むと岩段がある。先ほどの母屋の上、更に一段
上のソテツ畑の奥から細い踏み跡が山の中へ繋がる。左山右斜面の狭い径だ。右側は孟宗竹林の原になる。
踏み跡の丁字路がある。
| C 二反森 入口 |
孟宗竹林の外れの踏み跡は急な登りの分岐になる。中央の直登路を選ぶ。左は曖昧な径が繋がり、まるで腰
曲輪のようだ。右は更に分岐して獣径程度の踏み固めと藪っぽい径になって、それていく。小ピークから痩せ尾
根になると、先ほどの巻き径が合流している。短い痩せ尾根の先、高まりを右へ巻く。左側のわずかに笹が覆う
直登路を進むと三角点の標石がある。右へ巻いてもピークを巻いた気がしないほどの高さだ。
痩せ尾根がもう少し高いピークに差し掛かると左巻き径、直登路、東巻き径の分岐に出る。この東分岐の径は
東へピークを巻いて曖昧になる径だ。この附近にヤグラ群が2箇所あると聞いたが、案内子は見つけられなかっ
た。直登路はピークに近づくのだが、スダジイの太い木が嵐の為に倒れている。左西巻き径を進むと、このピー
クの北側に西へ向いた奇麗な谷筋がある。山間(さんま)堰の水面が遠望できる。
防火水槽★の丁字路を東へ進む。林道堀之内線の起点の看板を見ながら北へ進む。東側の尾根筋への道
路が二箇所ある。西側の斜面に用水路の隧道が口を見せている。西側二つ目の谷には道路を横断する水路の
グレーチングがある。この北側にある尾根先を道路が掠める。その北端で三つ目の谷に差し掛かる箇所、二又
の木の脇から藪の中へケモノ径程度の急坂を辿る。尾根先の肩の位置に出ると薄い藪の中、幅のある尾根筋
右寄りに踏み跡が繋がる。城跡の地形を思わせる低い段と浅い掘り切りを見たのち、緩く傾斜を強める。南北尾
根との取り付き点で踏み跡の丁字路に出る。細い木の幹にバッテンマークと矢印がある。ここで尾根筋東肩を南
へ進む。東側の谷にはヌタ場が見える。幅広い尾根筋に踏み替え、尾根筋西肩に変わると右側には奇麗な谷の
先に山間堰の水面が遠望される。正面のピークを西に巻く。巻き尻には東側からの径も合流している。痩せ尾根
の先、低いピークを左に巻くが、踏み跡を無視して緩く尾根筋を辿ると低い頂部で三角点の標石に出会う。北側
には006の数字が読める。標石の位置のやや北側、山間堰の水面を遠望できる。その附近の東側のピークに
は不自然な地形がある。一時期光明寺があったという観音山だ。○120
C七つヤグラの巡礼道 三芳村史P458
山名堀之内と山間堰の谷との間には観音山と大塚山のアプローチを結ぶユニークな巡礼道があります。今は
下生えに阻まれて通れません。
林道大学口上滝田線起点→0.10←海老敷集会所→0.10←丁字路左折(トンネル東)
丁字路左折(トンネル東)→0.10←丁字路右折(東電柱山名44柱)→0.05←尾根の丁字路
丁字路直進(トンネル東)→0.05←バス停山名=八雲神社→0.05←
山名堀之内看板の分岐(堀之内橋)→0.05←防火水槽分岐→0.15=0.10←尾根の丁字路
![]() |
| G 平松城址(跡)入口の道路 上に吊るし看板 入口に標柱がある。 |
三芳トンネルの東側の丁字路を北へ進む。右側の丁字路(東電柱山名44柱)で右折する。コンクリート舗装道
路が東から南、再び東へ向くと尾根の丁字路に突き当たる。
山名堀之内を示す看板の立つ左分岐へ進む。丁字路の突き当たりには防火水槽がある。この丁字路を左へ
進むと直ぐ三つ又分岐がある。左へ入ると、堀之内集会所を右に見て東電柱山名94柱の先左側には急傾斜の
農地へのコンクリート舗装道路がある。これを登ると右側には稲荷社があり、左手に阿弥陀座像明治33年(19
00年)と丁字路に三界萬霊石塔と首の欠けた合掌座像がある。右折してソテツ畑の脇を登ると再び尾根筋に
なる。左後ろから細い踏み跡が合流する。幅広い北向きの径は緩く下り左への丁字路に出る。ヤグラ―横穴墓
尾根の丁字路を尾根筋を乗り越して左へ曲がる。左側の低い崖に小さなヤグラが一つ、5メートル程離れて六
つ、計七つのヤグラが奇麗に並ぶ。その入口は四角に造型されている。
本来の巡礼みちはこのヤグラの前を通って山名堀之内防火水槽の丁字路まで前述とは異なるルートなのだ
が、倒木小枝下生えのため、通りにくくなっている。 房総丘陵 1000
| H バス停山名 八雲神社 |