健田富士 1620

 全般 ○63.3                 房総丘陵1000
 JR内房線千歳駅から千倉駅。太平洋岸には低いながらもユニークな山がそびえています。

@峯山 △102.6
 南房総市旧丸山町の南端にある山で旧千倉町との境界上にあります。千歳駅からは西側に大きく全容が見
えます。千歳駅下車。周辺の案内では千才と表示されていることもあるので注意したい。
 @−1 北側から 大杉神社
 千歳駅→0.15←大杉神社前十字路→0.15←峯山
 千歳駅は無人駅は無人駅だが、割と広い駅前広場があり、北側には奇麗な公衆トイレがある。薬局との間の
道を進み最初の踏切一丁目踏切で線路の西側を北へ進む。西側には既に峯山の山容が聳える。左折し麓の
舗装道路を更に北へ進む。十字路で左折する。直ぐに又左折し、南へ向き直る。左に墓地を見たのち、幅広い
コンクリート舗装の斜路の傾斜が強まると右側に石段の参道がある。これを登ると先ほどの道路を左から合流
させて立派な社殿の前に出る。南側には参詣者用の駐車場があり、峯青年館がある。太目のソメイヨシノと海
の展望がある。社殿の左側の山道には入らない。
 墓地の僅か南側、幅広いコンクリート舗装の斜路の左側の一段上に並行した踏み跡がある。並行して進むと
急斜面に踏み跡が繋がっていて、これを登る。稲荷の小社の脇を抜けて急で狭い踏み跡を辿る。その傾斜が
緩まるにつれて径の幅も広がる。小ピークには富士浅間大神の板碑と石祠がある。陶器製の神像、仏像が並
んでいる。小さな下りには木段とロープが張り渡されている。横断している溝径は城跡にみる堀割か戦時中の
塹壕か分からないが、そのまま直進する。左東側は急斜面で、マテバシイからスダジイの太い木の幹や枝を透
かして海岸が見られる。
 草むらに入って三歩で未舗装道路に出る。そのまま進んで右側に三角点の標石を載せた塚が有る。別荘地
造成のため周囲を削った、高さ1メートルほどの残留旧地盤なのだろう。北西側のみ屋宅がなく、展望が有る。
東側は民家の庭越しに狭い海が見える。

@ 道路に面してモルタル法面に看板があって階段が登っている。

 @−2 南側から 別荘地
 千歳駅→0.10←白子郵便局→0.10←愛宕神社西丁字路→0.05←別荘地入口→0.15←峯山
 千歳駅から東側の国道へ出て南へ進む。千倉白子郵便局の手前で右へ分岐するか、郵便局の先で右折す
る。久保街道踏切を直進し、右に白雲山地蔵院、左側に愛宕神社の石段を見て、丁字路を右折する。右分岐に
は別荘地の入口を示す大きな看板が有る。コンクリート舗装の斜路を進む。左右に分岐があるが、いずれも高
いほうを選ぶ。このコンクリート舗装道がジグザグして高度を上げる箇所では振り向くと南西方向海の展望が
ある。右側には別荘が並ぶ舗装道路の終点左側に大きな標杭に峯山と標高がかかれている。法面が養生され
ていない塚なのでいずれどうにかなってしまうだろうと容易に想像される。西側には屋宅がないので北西方向の
み展望がある。東側は別荘のためその庭越しに僅かな展望があるのみだ。
 道路の延長、突き当たりの別荘の脇から未舗装道路を進むと、草むらに突き当たる。その先の林の中には幅
広い緩やかな傾斜で下る径が有る。

 @−3 久保城山城跡・みかん山 ○80
 千歳駅→0.10←白子郵便局→0.10←愛宕神社西丁字路→0.05←別荘地入口→0.10←
みかん山入口
 みかん山入口→0.05←みかん山休憩所→0.10←倉庫
 みかん山入口→0.15←コンクリート擁壁の階段→0.05←主郭→0.05←倉庫
 千歳駅から別荘地入口の分岐を目指す。分岐では左水平に進む。幅広い新道になった十字路から右側の蜜
柑狩りの山に案内される。
 駐車場、トイレ完備の休憩所では蜜柑狩り、購入、オートキャンプなど営業されている。多種にわたる柑橘
類が栽培されている。休憩所から奥へ進むと山中の十字路に出る。直進するとすぐに二又に出る。左のほとん
ど水平な方へ進む。コンクリート舗装になるとやや傾斜を強める。大きな円い水槽を見たあと倉庫に突き当た
り、道路は尽きる。左側の藪の中が一番高い。
 幅広い新道になった十字路をそのまま北へ進む。右へカーブし、東へ向いた道路は峠の地形になり右側の山
はコンクリート擁壁になる。その中央に階段があり、「久保城跡・矢倉台・腰曲輪」の看板がある。これを登ると段
径が整備され、一の郭・二の郭・三の郭と、順に表示される。主郭との標識がある箇所より、その先の方が高
い。進むと踏み跡は丁字路に出る。右は下りだが左は尾根筋を絡む曖昧な踏み跡になる。幹分かれした太目
の木の株が現れ、僅かに高いだけの最上部を目指す。足元に黄色の杭を見つけて、左側の藪越しを見ると、小
さな小屋がある。みかん山の作業道終点の倉庫だ。
 県城館跡報告書によれば、この最上部が久保城山(じょうやま)城跡で主郭の標識のあった附近は範囲外
だ。(しろやま)埋蔵文化財分布図 城域の入口は大手門とか虎口という。本陣や天守閣に当たる位置を本丸と
か主郭、第一郭とする。その中心箇所から離れるに従い第二郭、第三郭と数字を大きくして、その他の遺構が
点在する。ここではその順になっていない。又、市道からの入口・擁壁に見た看板は中間に配置された看板とも
一致しない。階段の手摺りや段径、標識の整備は結構だが、城跡の名前をはじめ、そのほかの点でもなんかお
かしい。
 ここの果樹園の温州みかんは特に美味だ。

@ 高坂ヤグラの向かいにある小さな滑滝。
  中央は中の島 右滑滝 左小滝 わかりにくい。

 @−4 久保砦跡(仮称) △68.8
 やまいり堰の周囲が安馬谷里山として整備され、その南側に連なって久保砦跡(仮称)があります。その南
側には道路を隔てて久保城山城跡があります。
 みかん山入口→0.15←コンクリート擁壁の階段
 コンクリート擁壁の階段→0.15←物見台三角点分岐→0.05←長尾坂郭分岐
 コンクリート擁壁の階段→0.10←丁字路安馬谷77柱
 千歳駅→0.15←大杉神社前十字路→0.15←丁字路安馬谷77柱
 丁字路安馬谷77柱→0.10←水田の中の小尾根先安馬谷401柱→0.05←長尾坂郭分岐
 長尾坂郭分岐→0.05←井戸曲郭里山南端丁字路
 みかん山入口→0.10←高坂ヤグラ前(峰山315柱)→0.15←長尾坂郭西の井戸分岐

@−5 安馬谷里山 案内地図看板がある。

 久保山城跡入口の擁壁の階段脇にある看板「久保城跡」を右側に見送って舗装道路を下ると左へカーブし、
未舗装道路が分岐している。これを進むと住宅地になり右折した左側、民家の右側に斜路が分岐している。安
馬谷71柱。石の積まれた狭い径を登る。二軒の民家の前の尾根筋に登りつく。尾根筋の山径には久手畑(き
ゅうてばたけ)郭の標識がある。右側にソテツやニューサイランの畑を見送ると左下からの狭い径を合流させ
る。笹子堀切の標識がある。右巻き径のとき、左側に物見台・三角点を案内する標識がある。一段上に登る
と薄い下生えの先に小さなコブが二つ並ぶ。先のコブの上部には三角点の標石がある。四等三角点0523
17。僅かな往復だ。乾郭台。痩せ尾根径に大切岸。切残土塁、張出土塁などの標識。27号鉄塔の脇を通
ったあと、長尾坂郭の標識の立つ三叉に出る。左へ進むと安馬谷里山方面へ繋がる。
 擁壁階段の看板「久保城跡」を右側に見送って舗装道路を下る。久手畑の登り口に繋がる左未舗装道路を
見送って更に進むと道路は右カーブ、東に向き直る。東電柱安馬谷136柱。背の低い龕の中には地蔵像が
奉られている。ここでは北向きのまま狭い道路を進む。左側には神明神社の覆い屋がある。左側丁字路、安
馬谷77柱で左折、西へ向く。
 千歳駅から大杉神社入口の十字路を目指す。大杉神社側には進まず狭いコンクリート舗装道路を直進する。
道路の頂部では左丁字路に入ってもいいが、さらに直進する。右手の土手に六地蔵像石板を見た後、幅広い
道路に出る。左折するとしスクールバスのバス停安馬谷和田がある。西へ進んだ道路が左カーブする箇所で
右北へ向き直る。東電柱安馬谷136柱。背の低い地蔵龕。北向きのまま道路を進む。左側に神明神社の覆
い屋。左側丁字路、安馬谷77柱で左折、西へ向く。向く。
 左手のモルタル山肌には久保城跡山田曲郭、外道(げどう)曲郭の看板が取り付いている。突き当たりから
住宅地を抜けた小切り通しの先には水田等平らな農地が広がっている。コンクリート舗装の十字路の先、安
馬谷401柱の位置には東電鉄塔27号を案内する標柱の立つ尾根先が取り付いている。これに入る。日当
たりのいい位置では下生えが多い。左右の木々が背を高めると溝径になって長尾坂郭の三叉に出る。左は
僅かで27号鉄塔の脇に出るが、右へ進むと安馬谷里山方面に至る。
 みかん山入口附近から北東へと真野への道路を進んだところ、送電線の真下でクランク曲がりする箇所、
水音がうるさい。小さな滑滝が竹藪に隠れている。高坂ヤグラ南側の分岐点だ。東電柱峰山315柱。この川
を渡る方向へ道路に入り、次の二又を右へ進む。谷津田の道路から左側の山径を進む。尾根筋の径を避け、
右巻き径を行くと倒木に隠れた「井戸」の脇を抜けて、安馬谷里山と久保砦跡を結ぶ径に出る。
 長尾坂郭の三叉から安馬谷里山方向へ進むと左側に井戸を案内する標識がある。みかん山入口と真野を
結ぶ道路のクランク曲がり部(高坂ヤグラ南・峰山315柱)へ至るものだ。
 久保城跡主郭がこの附近だという標識がある。金毘羅宮石祠の脇で尾根筋を踏み替えると丁字路看板の立
つ安馬谷里山のチップロードに出る。井戸曲郭という標識もある。
 曲輪、郭(くるわ)というのが他所で見る表記です。

 @−5 安馬谷里山 △64.2
 やまいり堰の周囲の山が安馬谷里山として園地整備され、その先には久保砦跡(仮称)もあります。
 バス停加茂瓦屋前→0.15←安馬谷里山入口
 バス停加茂原→0.10←福性院南三叉→0.15←安馬谷里山入口
 安馬谷里山入口→0.10←道路終点中央広場→0.10←井戸曲郭南端丁字路
 バス停加茂瓦屋前から南へ進む。急坂の道路にかわり、切り通しを抜けると丁字路に突き当たる。左へ折
れ、道なりに道路を進むと未舗装道路に変わる。安馬谷444柱の位置では右側に農地を横断する道路(イ)
が取り付き、突き当たりの山裾には安馬谷里山の標識(ロ)が立っている。再びコンクリート舗装道路にかわ
る。安馬谷青年館、八幡神社、福性院方面からの道路との変則十字路(ハ)を経て坂を登ると、安馬谷里山
の案内地図看板がある。
 バス停加茂原の西側から南へ進む。安馬谷青年館、八幡神社の先、福性院南側の三叉を西へ、コンクリー
ト舗装の農道を進む。切り通しを抜けたあと、かなり左右に曲がるが、要所に案内標識がある。バス停加茂瓦
屋前からの道路との変則十字路(ハ)を経て坂を登ると、安馬谷里山の案内地図看板がある。
 やまいり堰右岸では左に展望台への狭い山径(ニ)が分岐している。堰の上を西へ進む。堰の左岸にも山径
(ホ)がある。右側には未舗装道路が北へ向いている。バス停加茂瓦屋前からの道・444柱の丁字路(ロ・イ)
に繋がるものだ。池の左岸を進むと久保城跡を案内する看板が右側の山肌にあり、左下に池の上流を横断す
る足場板の橋と径(へ)がある。右側の山に三角点への山径(ト)があり、その先の右側に中央広場がある。
水仙の低い段畑が谷の奥に続いている。仮設トイレも建つ。ジュウガツザクラ十月桜もあるので季節違いでも
桜の花が見られる。梅や早咲きの桜も植えられている。谷の右岸側には井戸があり、その後ろには尾根筋を
登る径(チ)がある。左岸側池の上流部を横断する径(リ)も分岐している。

A 写真には納まっていないが右端にポンプ小屋があり、花壇とベンチ。
  左手に小松寺454柱

 中央広場からは南へ細くなった砂利道(ヌ)が緩い傾斜で上っている。チップロード420メートルの標識が
立ち、足元には気持ちのいいチップが敷き詰められている。正面のピークを左へ巻く緩い登りの径が続く。
右後ろに合流する径(ル)は四等三角点84.2、好展望のピークに繋がるものだ。久保城本丸200メートル
円内という看板を見たのち、丁字路に出る。安馬谷里山南端の分岐だ。井戸曲輪の標識がある。久手畑、外
道の方向へ進むと、別の三角点△68.8への分岐と27号鉄塔の脇を通る。
 安馬谷里山の案内地図看板のある入口から東へ未舗装道路を進んだ先にもトイレがある。堰の右岸、左に
展望台への狭い山径(ニ)が分岐している。チップの気持ちのいい径で尾根筋を進む。丁字路を右へ曲がれ
ば下って足場板の橋(へ)から未舗装道路に合流する。丁字路を左へ登れば好展望のピーク(ヲ)から右分岐
のある小さな鞍部を経て、井戸曲輪の標識のある「里山」南端の丁字路に至る。
 444柱の向かいの山裾(ロ)から左側の谷津田右岸を登れば「里山」北端の尾根筋に取り付く。尾根筋を南
へ進めば高度を上げ、左から小尾根筋の径(ホ)を合流させる。堰の左岸にあった和泉家の看板の桜木の箇
所からの小尾根のものだ。広場から三角点への案内標識のあった径(ト)を合流させるとピークに水の溜まっ
た穴がある。井戸なのか蛸壺かは不明。下ると中央広場の井戸の裏への尾根径(チ)を左へ分岐させる。鞍
部を隔てたピークにベンチがあり、三角点標石もある。
 広場から南へ細い径(ヌ)が登っているがその左側、水平に湿地を進む(リ)と丸太橋に出る。これから尾根筋
の段径を急登する。タワに至る小ピークを左へ巻くと奇麗な踏み跡に出る左側の盛り上がりは前述の展望台
(ヲ)だ。右へ進むと井戸曲輪の標識のある分岐へ至る。ただしこの丸太橋(リ)から展望台(ヲ)の径は途中紛
らわしいところがあるので進まない方がいい。
 県の「城館跡報告書」、「千葉城郭研究−7」では久保城山城跡とは別の城跡として久保砦跡(仮称)としてい
た。現地の標識はいずれも久保城跡であり、曲郭とか本丸とかなんか変。曲輪、主郭、第□郭(単にローマ数
字のときも)などの他所との表現が異なる点ご容赦を。現地標識にあった「宇右門」は右衛門ではなかろうか。

B 震災碑 宇田のバス停から宇田城跡を目指して、  ゴミ集積場の脇なので記憶に、

A健田富士
 A−1 健田富士 ○90
 下立松原神社のスギ 高さ32メートル、幹周り4.29メートル、樹齢約300年.
 千倉駅→0.05←千倉牧田郵便局前→0.20=0.15←健田富士
 千倉駅→0.15←ポンプ小屋小松寺454柱→0.15←健田富士
 千倉駅前の花壇には周囲が4メートルにもなるイチョウの大木がある。JR線および高速バス利用者の無料駐
車場が二ヶ所あり、やや東よりには大き目の奇麗な公衆トイレがある。駅前から南へ進んで直ぐに右折する。狭
い道路の先、十字路の先には下立松原神社があり、ここには頼朝が馬を洗ったという池やオオスギの他、多数
の巨樹もある。この十字路を左折、郵便局のやや南側で右側に狭い道路へ入る。アパート名の大書きされた先
で右折する。角には街灯がある。08−001。住宅地の狭い径を抜けると竹薮の中の径になる。左右に分岐が
あるが何れも直進する。この竹は刈り込みがされていないので、狭い径は竹薮で通行し難くなる。左右は相当以
前に遺棄された水田の跡地の段部分に踏み跡がある。右側からの尾根筋を乗り越すと右山左下りの斜面のト
ラバース径になる。径は狭く刈り込みは悪いので足元には充分注意したい。山中の十字路に出て、右上への急
斜面の径を登って、小石祠の前に出る。頂上の平地でその裏側には幅広い溝径が左へ向かっている。そのま
ま直進すると小さく登った塚状のピークにやや大きなの石祠が並ぶ。風化が進んで壊れたものを積み直された
りして手入れはいい。向拝の部分は山と水と読めそうだがほかの文字は読み取れない。一段下がった高さで水
平に周回できる幅がある。円墳かとも思わせる。県埋蔵文化財報告書では釜沼塚、牧田砦跡だった。
 駅から西へ進み、踏切の南側をそのまま真西へ進む。左へカーブした後、道路は傾斜を強める。右に尾登堰
の水面を見たあと、左側の山が高い。二つ目の谷に差し掛かると、東側にコンクリートブロック造の建物が有
る。水道関連の施設らしい。そこには木製ベンチがある。東電柱小松寺454柱。その裏に急な狭い踏み跡があ
り、これを辿ると踏み跡は確実になり、痩せ尾根の径になる。頂上の見えるところで左に進めば健田(たけだ)富
士の頂上に至る。又、やや南へ進むと小石祠の裏側の溝径へも繋がる。牧田富士とも。

 A−2 海岸美術館散策路
 千倉駅→0.15←ポンプ小屋小松寺454柱→0.15←道路分岐→0.10←海岸美術館入口
→0.05←散策路一周
 駅から尾登堰の脇を通りポンプ小屋の前を南へ斜路を進んで右へカーブする。左右は千倉運動公園で右側
はクラブハウスと野球場、左側には事務所と体育館が並ぶ、左側のテニスコートの奥には外トイレと東屋があ
り、道路は下る、丁字路が上から見える。右側手は川戸方面で左折は海岸美術館の駐車場へ行くという看板
がある。
 駐車場の奥には美術館に繋がる径があり、その途中に散策路の入口がある。古くからの用水池で池側には
必ず手摺柵があり、足元もいい。堰の右岸は道路で北側の法面には穴が穿たれ多臂の弥勒菩薩像がある。
堰には柏尾の堰の由来を書いた看板がある。

 A−3 おんだら山 ○100
 道路分岐→0.10←おんだら山入口→0.05←駐車場→0.10←おんだら山山頂
 駅から尾登堰を通り、千倉運動公園名前から斜路を下ると丁字路に出る。右側、川戸方面に進むと「おんだ
ら山」「たのくろ里山」の看板がある。ここで左折し水田の中の道路を進む。突当りを左へ進むと未舗装の駐車
スペースと花道を思わせる登山道とおんだら山の文字が見える。サクラの苗木に囲まれたコンクリート斜路が
尾根に登りついて左へ曲がる。最初の展望台からもう周囲の眺めがいい。
 川戸地区里山活性化活動開始のいきさつが書かれた掲示板があって、「俺達の山」の休憩場と事務所トイレ
もある。尾根筋を南へ進むと4本の桧の立つ「おんだら山」山頂に至る。山包講の石祠と山名の詳しい展望図
が掲示されている。大きな三角形の石もある。石神様のようだ。尾根筋は南から東へ続いている。記念の訳の
書かれた札のかかった苗木が山を覆っている。

C 御嶽山への路、径 水田の中の十字路から西へ進みます。

 A−4 川戸神社 △71.3
 道路分岐→0.10←おんだら山入口→0.10←川戸神社
 駅から尾登堰を通り、千倉運動公園名前から斜路を下ると丁字路に出る。右側、川戸方面へ進むと「おんだら
山」「たのくろ里山」の看板がある。ここで右折、小橋を渡る。街灯のある十字路を右折すると東側尾根の樹木の
中に赤い鳥居が見える。後ろ側だけに控えのある両部鳥居の参道は岩を刻んだ幅広い段径で苔生している。
山頂にしては意外に大きな社殿だ。

B宇田城跡と熊野神社
 千倉駅→0.15←バス停瀬戸→0.05←新川橋→0.05←コンクリート農道曲がり部→0.10←
23号鉄塔主郭部
 新川橋→0.05←バス停宇田→0.10←熊野神社
 バス停瀬戸の西側、新川橋西詰めで県道から東へ折れる。最初の丁字路で左折する。地域の集会場、新川
阿弥陀堂には文殊大菩薩の文字の大きな、小堂もある。
 倉庫の脇、宇田262柱でアスファルト舗装の道路からコンクリート舗装の農道に入る。左側には基礎が高く
造られた鉄塔が見える。山裾で農道が右折する箇所を直進して山道に入ると23号鉄塔を案内する標柱があ
り、これに従う。
 尾根筋に出て東へ進むと竹薮の中の径、段を登る急坂を繰り返す。左側に熊野神社の屋根を透かし見たの
ち、主郭部に建つ鉄塔の下に達する。展望はない。
 バス停宇田から東へ進むと直ぐ右側に分岐がある。左側のやや先には震災碑が建っている。右側に分岐した
道路は北側山裾を縫う。善性寺の先、防火用水池附近の畑の脇からも尾根筋へ行かれる。
 熊野神社は南へ石段を登った上にある。「陶製の唐獅子」型の狛犬が並ぶ。文政八年(1825年)の文字が読
める。イチョウの大木幹周り3.2メートル、マキの大木同じく3.3メートル。他にも太目の木々が立ち並ぶ。

D 北朝夷八幡神社 平成28年・2016年本殿の改築が落成した。左側に御神木。

C御嶽山 ○84
 千倉駅→0.05←バス停千倉駅入口→0.15←庚申像分岐→0.15←御嶽山
 千倉駅から南へ進む。バス停千倉駅入口の交差点では県道の西側に鋭角で分岐する市道を進む。左側に地
蔵の龕、右側に電柱が複数建つ十字路でははげた看板に揚島天神の標示があり、右折して西へ進む。水田の
真ん中の十字路を南へ進むと西側御嶽山の山裾に鳥居が見える。次の十字路には立派な民家が見える。更に
次の十字路の西側山裾には杉林のほか山の斜面の木々が見える。ここで西へ折れて山に入る。正参道は大き
く変化、失われました。
 金網を開閉して山に入り、直ぐ右折する。水平径を北進し、Sカーブして※尾根筋の西側へ踏み替える。西へ
下る径は右側の山裾には小さな横穴が幾つか並び、左側には遺棄農地の段平地が連続するが、途中から下
生えと小枝倒木湿地に阻まれて進めなくなる。進まないこと。※尾根筋の西側へ踏替えた位置では西へ下る径
を見捨て、南西側の遺棄農地の段平地に入る。*ここで右端へ進めば急傾斜の斜面に向かい、細い曖昧な踏
み跡を繋げて尾根筋に取り付き、南へ登ると山頂石の垣根に囲まれた拝所の裏側に出る。*段平地の左端
(東側)を南へ進み、数段これを登ると右側に山頂からの小尾根筋に出る。これを登ると不動明王の石像の先、
石の垣根の拝所の右脇に出る。
 金網を開閉して山に入り、直ぐ右折する。水平径を北進少々で左後ろへ分岐する細い径がある。先輩のコース
サインが無ければ見落とすくらいの細い斜路だ。谷の地形の左岸から南へ進み、傾斜の強めたところで右へ折
れる。不動尊像が倒れている。山裾に基盤が残っている。北へ向き直った径は少々で尾根筋の幅広い径に合
流する。その脇のある三又には左北西側にも踏み跡※があるが、右寄り直進する。
 風化の進んだ石灯籠、狐の狛犬、石祠、金剛山と読める石碑などが参道に並ぶ。石組みの垣根は高さ80セ
ンチ、幅2メートル80センチ、奥行き2メートルのもので、六体の石像が並べられるように基壇が並ぶ。五体の
石像が並んでいるが、頭部があるのは一体だけだ。内一体の基壇から覚明菩薩の文字が推測ながら読める。
山三の紋も認められる。垣根の外、右後ろには不動明王の像もある。垣根の脇を抜けて北側へ進むと、同じく
らいの高さのピークに達する。
 三又の左北西側にある踏み跡※は●106ピークから先、竹薮になって進めない。
 健田富士西側の登山口ポンプ小屋東電柱小松寺454柱から僅か南へ進むと、小松寺455柱の山裾に径が
見える。これを進んで直ぐに右手にあるオネスジヘの径に入る。竹薮が濃くなると倒竹で進めない。●106ピー
クから前述の三又の踏み跡※に繋がる。

D高家神社 富士山 ●93 谷の富士
 高家(たかべ)神社は料理の祖神を祀る神社として料理関係者、味噌醤油の醸造関係者の信仰篤く、庖丁式
が毎年二回奉納されます。
 ここに近い圓蔵院にはイチョウの木が大きい。幹周りは5メートル以上あり、乳が数本垂れています。内一本
は目の高さまで下がっています。

D 高家神社本殿(拝殿)
D 谷の富士 浅間大菩薩の幟幡 谷講中 開山祭前の準備中です。

 バス停高家神社入口→0.10←高家神社駐車場→0.10←表参道→0.05←富士浅間神社
 表参道→0.05←コンクリート道三又→0.05←富士浅間神
 コンクリート道三又→0.05←三叉大井倉76柱→0.05←頌徳碑林道千倉線分岐
 千倉駅の広い駅前から安房白浜駅行きバス乗車。または駅から西側の県道へ進み、バス停千倉駅入口から
平舘(へだて)車庫行きバスに乗車、バス停高家神社入口下車。県道を南へ進み、次の広い県道の丁字路を西
へ曲がる。八幡神社の丁字路を直進すると左に高家神社の駐車場があり、右側に立派な参道が有る。茅葺の
神明造りの社殿だ。
 道路を西へ進んでカーブミラーと放送塔の建つ十字路を右折する。三又(大井倉254柱)を左折。南へ進んで
橋の手前を右折する。すぐに道路の北側は山になる。ポンプ小屋の脇に山包の紋の読める手洗石があり、急な
石段がある。参道の途中には出羽三山の碑がある。狭く急な登山道なので充分気を付けたい。左から緩い傾
斜の径を合流させ、鳥居を潜って石碑と小社の並ぶ山頂に至る。
 ポンプ小屋の脇の急な参道を見送って西へ進む。右側にコンクリート舗装の幅広い道路が分岐している。車
止めがあって、関係者以外の車輌は進入できない。道路の左右は高い法面だ。斜路を上り詰めたところには
巨大な貯水配水塔がある。左側の法面はセメントで固められ、手摺柵で囲まれた階段がある。配水塔より高く
なると山頂の肩になって左へ折れる。緩い傾斜を進むと足元に右下からの参道を見て左折、浅間神社に至る。
 周囲の展望はいい。地名は南朝夷の谷(やつ)なので、山は谷の富士ともいう。
 車止めの前、更に狭い道路を西へ進むと林道千倉線分岐方面に繋がる。  

E大仏山
 小さな山頂に仏頭の彫られた大石があります。
 丁字路→0.05←山頂
 バス停高家神社入口下車。県道を南へ進み、次の広い県道の丁字路を西へ曲がる。八幡神社(社殿前のご
神木はスダジイ周長3.5メートルの大木だ)の境内の北西角のやや北、丁字路(東電柱大井倉32柱)を西へ
進む。北側に建つ最初の民家の西側の生垣と二軒目の生垣の中間で生垣に沿って北へ畦道を進むと小山の
南西端に達する。ここから尾根筋を辿ると東西山頂の西端に出る。東へ緩く下った山頂の東端に大きな仏頭
石が立つ。縦1.76メートル横1.1メートルもの尊顔だ。三山碑もありそのやや西側には横穴もある。
 一軒目の家屋の屋根が足元に見える。南斜面は切れ落ちている。行動には充分な注意を。
 石頭については「房総の石仏」誌第25号57頁が詳しい。        房総丘陵 1000