房総の金毘羅山について考えてみたいと思います。 房総丘陵 1000 関東山歩き案内index
先輩の著作に「房総山名考」があります。福田 良 氏の1991年のものです。そこでは房総の金比羅山とし
て5山が挙げられています。引用します。@富山北峰 金比羅様の石碑がある。 A鴨川市の金比羅山 山頂
近くに石灯籠が残るが山頂のお宮は痕跡だけ。 B丸山町・三芳村境の金比羅山 石堂寺の北西2キロに
ある。ほかにもう一座あるかもしれない。 C三芳村の金比羅山 海老敷の桜の名所。 D豊岡の金比羅山
大塚山の尾根の西側か不詳。 ○ほかに香取郡万歳村、ごく低い丘。
一方「房総丘陵」のハイキング案内では多数の金毘羅山・山中の金毘羅神社、宮を紹介しています。これは
「房総丘陵索引」のファイル(房祖丘陵のCD注文者に添付しているファイルで案内子が自身の便宜に作ったも
の)中では山名を転倒させていますので、各所の金毘羅山が一覧表になっている。それらを福田氏の著作の順
に紹介しよう。
@富山北峰 索引に紹介無し。
A鴨川金比羅山
B山名金毘羅山
C海老敷金毘羅山
D金毘羅山 富津市民の森
○範囲外 その他として
E金毘羅大権現 F仲尾沢大権現 G高塚金比羅山
H千倉金毘羅山 H花園金比羅山 I松ヶ岡金比羅山 J象頭山 房総丘陵 1000
@富山北峰を金毘羅峰として紹介し、金比羅様の石碑のある覆い屋については記述せず。山頂の広場に出る
僅か手前の山道の右手に覆い屋がある。
A鴨川金毘羅山 山径の途中、右側の参道の石段があり、その上に石祠が並ぶ。写真あり。石氏は日月風神
の物で僅かに左手へ数メートルに西側に石垣の基壇があるのが金毘羅宮の跡地だそうだ。杉の木が大きいの
を見ると宮がなくなって久しいようだ。この位置は山の中腹だ。「山頂近くの石灯籠」はない。風化の激しい石祠
があったが、東日本大震災以降に失われ今はその屋根石だけが残る。写真あり。山頂はゆるい凸地で、建造
物や石宮の跡(基壇などが残る)はない。この山は金毘羅山と呼ぶのは不適切のようだ。
B山名金毘羅山 北側の斜面が伐採され、苗木の斜面になり、山頂の小社も北側の道路から見えるようにな
った。鬱蒼としていた時、南側から社を目指して、その周囲で径に迷ったのは余談。石堂寺からすると西北西に
2キロに当たる。他のもう一座は次項のの海老敷金毘羅山のことだろう。
C海老敷金毘羅山 林道で車での登山が可能。海老敷第二堰からの径は若干荒れているので、注意が必
要。山頂には石垣に囲まれた石祠がある。大きな赤い鳥居が道の駅三芳村鄙の里附近の県道から見られた
が、これが倒壊し、一廻り小さくなったが再建された。南側に好展望、海も眺められる。
D金毘羅山 豊岡の僅か北側。バス停中倉、駐在所の脇、毘沙門橋から。高宕山自然動物園の北東。大塚
山(関)からすると南南東へ1.3キロ。
E金毘羅大権現 上総興津駅の北側の尖塔状の小山の中腹に他の神様と共に祀られている。小山の名前は
未調査。
F仲尾沢大権現 「七つ曲がり」の登路のあと、長い尾根歩きの先に社に出る。おおつの花倶楽部の東方。滝
田城跡の項に写真あり。
G高塚金毘羅山 七浦高塚山の高塚不動側登山道の途中に小社があるが山への登路は不詳。
H花園金比毘羅山 烏場山の花婿コースとされた道の途中、黒滝の北側に拝所がある。小山の中腹。
I松ヶ岡金比羅山 館山市 館山や小の森の東。松ヶ岡八幡神社の社殿の脇から背後の山へ、その中腹に
横穴を穿って祀られている。
J象頭山 鴨川市太田学。象頭山と聞いた山は登路が複線で登っている。古い石祠が風化に耐えている。
もっと大きい山の山腹に浅い鞍部を隔てた付属の小ピークの山頂。 房総丘陵 1000
@金毘羅A金比羅B金刀比羅C琴平D金平 等の表記があるが現地の神額、石祠石碑石標塔の彫に拠る
ことを基本とした。「毘」「比」など複数あるときは「毘」とした。「昆」は恥ずかしい誤字であろう。
山とは山屋の常識では周りが皆低い場所、山頂をいう。一方農村地帯に居住する人達の間では、畑の
先はヤマである。住宅地があり水田がある。その水利の悪い箇所、水平に均さない農地は畑として穀物以外
でも多数ある作物の栽培地として利用された。更にその奥、畑にも適さない傾斜地、谷や尾根筋が隣接する
箇所等はヤマと称されて、柴刈りや秣採りになり、山菜・茸などの採取に入山された。これは山頂ではなく、傾
斜地をヤマと読んでいる。
金毘羅様は本来クンビーラ神で、ガンジス川の鰐の神格化だとも。仏教、釈迦の守護神の一つで、
仏教のものである。これが本地垂迹説により神道の神となり、神社としてあがめられ、海運の安全を願う人の
祈念所として発展した。讃岐の象頭山中腹の金毘羅大権現が国内では最大の拝所だ。これが海運とくに
船乗り漁師の安全祈願の為に各所に勧請された。象頭山の中腹に讃岐の金毘羅宮があるように、山の中腹
に社殿が祀られることも多い。立地は社殿前から海や水路が見える位置がいい。社殿の前から海が見えるか
振り返ってみよう。
社殿は参拝に容易な住宅地から遠い参道の上の山頂まで色々ありますが、山の中腹にあるのも珍しくなく、
そのほうが象頭山の形に合っている。金毘羅山といえば山なのだから、山は、山頂はと、張り切りそう。しかし、
その中腹に祭殿、拝所、祈念所、社、石祠を置いている金毘羅山も多い。別の神格の名を持つ山の中腹に小
社を祀る金毘羅様もある。登山道の途中の小平地に面した崖に横穴が穿たれて祀られているものもある。
鴨川の金毘羅神社は特にこの例なのだ。山腹に登山道に面して別の参道があり、登ると別の神格の石祠が
並び、その脇に社殿の跡地がある。この境内に当たる範囲が金毘羅山なのだ。山頂はないと考えた方がいい。
同じことは七浦高塚山の登山道途中もそうだ。同じ南房総市平磯の金毘羅社もそうだ。同様に山中、中腹に
金毘羅社があっても、その背後の山を金毘羅山だとするのは不適切だといえる。しかし、鴨川金毘羅山はその
不適切な扱いをしてきたのだ。山とは山屋の常識では周りが皆低い場所、山頂をいう固定観念が生んだ大きな
誤解の産物だ。山中の拝所の背後の山へは急傾斜を慎重に進むことで分けなく山頂に達せられる。そこはほと
んど水平な尾根筋が北へ続く「肩のピーク」で南端が僅かに高い。広さも僅かあるが何の拝所もその跡もない。
房総丘陵 1000